芝 幹雄
1983年多摩美術大学デザイン科卒業、GKインダストリアルデザイン研究所に入社。1990年株式会社GEO設立に参加、医療機器の設計とデザイン、その他産業機械の設計を手がける。2007年3月独立、株式会社SHIFT設立。同社代表取締役。
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これまで、フリーランスデザイナーがデザインプロジェクトを引き受けるにあたって、直面するさまざまな問題や障害に関して考えてきた。
これらの問題は、視点をデザイナーに依頼する側に変えてみても、もともとは双方の思惑の違いや誤解によって生じているわけで、双方にとって不利益をもたらすものである以上、同じ問題であるはず。
仕事を引き受ける側に慎重さが必要になるのと同等に、依頼する側にもどのようなデザイン事務所を選ぶのかは重要な問題であろう。
デザイン事務所はオールマイティーではない。依頼内容にあった性格のデザイン事務所選びが出来ればよいのであるが、では依頼する側はどのようにしてデザイン事務所の性格を見極めればよいのか。過去の作品を見て選ぶしかないのが実情かもしれないが、それだけでその事務所の性格や資質を読み取ることまでは難しい。
今では、デザイン事務所は、経営する人間の数だけ事務所の性格があると言える。実際にデザイナーとデザインについて語り合っていただければ良いのだが、経営者サイドとしてはデザインについて何を語り合えばよいのかが問題となるのではないだろうか。
そのようなわけで今回から少し、依頼する側からデザイン事務所の性格を見極めるためのヒントのようなお話をしてみよう。
20年以上前、私がGKに入社しデザイナーとしての人生を歩き始めたばかりのことである。場所は高田馬場のとある居酒屋で、ガタンという大きな音から、殴り合いの喧嘩が始まった。「また始まったか」とばかりに先輩たちは特に気に留める様子もない。それほどこの喧嘩は日常茶飯事であった。原因は何かというとデザインに対する考え方の違いである。その頃GKはモダニズムの保守本流を自負していた(今でもそうかもしれないが)。その1980年代、デザイン界には大きなうねりが起こっていた。それがポストモダンの台頭であった。
モダニズムはその源流をたどれば、構成主義芸術運動を経て、やがてマルクス主義にまで行き着くようである。しかし、モダニズム=共産主義とは言えない。源流からいろいろな流れを経て、さまざまな形で世の中に影響を与えながら、バウハウスが存在した数年間で結実し、デザインの根幹となったのである。
当時のGKのデザイナーたちはそんなモダニズムについて考え続け、そしてその次に何があるのかを議論し合っていた。時代は機器の電子化=ブラックボックス化が加速し、Form Follows Functionのモダニズムの思想の根幹が揺らぎ出した頃。そして日本がこれからバブル期に突入しようというその時に、エットレ・ソットサス率いるデザイン集団「メンフィス・グループ」が突然のように現れたのである。
ポストモダンの新装飾主義とも言える表現手法とバブル景気の気分が一致したのであろうか、当時、メンフィスは一世を風靡した。哲学の世界では記号論等とともに、もっと以前にこの動きがあったらしい。いずれにしても、それはモダニズムの終焉を唱えるものであった。そんなわけだから当時は「単なる流行に過ぎない」とか「モダニズムは終わらない」とか喧々諤々であった。そして議論は居酒屋までなだれ込み、殴り合いまで至る。
ではなぜそこまでしなければならなかったのか、ポストモダンを受け入れるか、受け入れないかで議論していたわけではない。ほとんどのデザイナーが当然のようにモダニズムの終焉などあり得ないと思っていた。しかし、ポストモダンをどう考えるかの些細な意見の違いで喧嘩をしていた。モダニズムの思想は当時のデザイナーにとってそれほど大切な拠り所であったからである。
しかしその後デザイン界はそんなこととはお構いなしに変わっていくのである。ここにプロダクトデザインの大きな節目があり、その後さまざまな考え方のデザイン事務所が生まれてくるきっかけになったのではないかと考えている。この話の続きは次回へ。
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