moviti/片山典子
1964年神戸生まれ。京都市立芸術大学卒業、東京でインハウスデザイナーとしてパーソナル機器のプロダクトデザインや先行開発に携わる。デザインの師匠である同業のオットと2人暮らし。2005年から“デザインって何だ!”と称してノンジャンルで自主活動展開中。最近はフリークライミングとバスケットボールの“大人部活”と旅行にはまっている。2010年から本格的ソロ活動(離婚じゃなくて独立)開始。
http://moviti.com |
|
今新宿オペラシティでやってるRhizomatiks inspired by Perfume展面白い、隣のオープンスペースもインタラクティブで若々しい。10月20日まで。
**
●『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』
という本を借りて読みました。2006年刊行、つまり2011年の5年前に、すでにスリーマイル島やスペースシャトル チャレンジャー号からオートマ車の踏み間違いまで数十件の事故をたどっている。あやまちを繰り返しているというか、改善しようとしてるのか疑ってしまうようなていたらくだと思う、人類、あかんやん。
設計時に強度が足りなかった接合部/指示より強度の弱い部品の採用/想定外の自然現象/判断ミスや思い込み/アラームの電源が切ってある/急ぐ/試運転時の不具合を見過ごす/点検漏れ/危機回避の方法がマニュアル化されてない、等々。振り返ってみたらありがちな、関連性のない些細なミスが重なって大事故につながっている。
「マシンのサイズとパワーは桁はずれに大きくなったが災害の引き金を引くにはさほど大きな力を必要としない」(13ページより引用)。
19世紀産業革命の時代、鉄とガラスの建造物技術が本格化し、建築や橋の規模が飛躍的に大きくなる。おそるおそる飛行機や大きな船、ロケットまで飛ばす。人間の活動範囲が広がる。
殺虫剤を工場で作り、海底油田の掘削や原子力発電所まで作ってみた、コスト効率を狙って詰め込んでみた←イマココ、といったところか。結果オーライな文明の発展。作れたからコントロールできる、とは限らない、と薄々感じつつも細心の注意でなんとか維持していく。
そもそもなじみのない巨大建造物や飛行機の構成を理解しつつ、それのどこがマズかったのか読み解いていく。おそらく最短パスで効率良く、テンポいい文章を選びながら書かれているのだが、読んで理解するのが楽しくかつ疲れた。事故の原因に加えて、起きてしまった事故に対してどう対処したか、とっさの判断の分岐点にもフォーカスされている。
「人々が苦しい経験を通じて学んできた生き残るための技術と、その技術が新しい教訓とともにいかに変化を遂げていくか」(20ページより引用)。
●『人はだれでもエンジニア −失敗はいかにして成功のもとになるか−』
思い出したのが『フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論』の著者ヘンリー・ペトロスキの本。続けて読んでみた。
モノを作る段階における設計や安全基準、強度解析の重要性。使っているうちに疲労してくる箇所を見つけ、どう対処するか。
マージンを見て、先例に倣いすぎると新しくない、非効率な箇所を残したままとなる一方、実績ある安全なアウトプットになる。
新しい素材や工法を駆使し、寿命を見極めてより先進的(薄く軽量な)を目指すと、強度不足で使っているうちに破損、事故の恐れがある。
「物質的資源と精神的資源の双方を浪費してはならない。経済性の面での制約は市場からの要請によることが多いが、優雅さの要求は多くの場合、職能の最高を目指すエンジニア自身によって課せられるもので、この点では、画家や科学者が、空間の多い画面や、簡潔な理論を優雅とみなすのと同じことなのだ」(52ページより引用)。
設計は小説家が白紙の状態から一文ずつ積み上げていくのと同様に大きな想像力の飛躍を要求される。どっちにするか分岐点で選び、一歩ずつ前に進めていく。
19世紀に万博の水晶宮を強度試験とうまく連動させて短期間で作るプロセスや、数々の鉄橋崩落を乗り越えて壊れないブルックリン橋が、まるで一息で描いたような"鮮やかさ"に対し、金属疲労による損傷の解析や安全係数との照合は地味で忍耐を要求される。
「失敗は成功以上のものを我々に教えることが往々にしてある」(11ページより引用)とはいえ、過去の出来事を今自分が進めている仕事に照らし合わせていくのはかなりエネルギーが必要だろう。
著者は自分宅のカトラリーのナイフに発生した亀裂や、子供の玩具のキーボードが故障していく様を、素直に楽しそうに分析している。
計算尺からコンピュータでの強度計算はより高難度な構造の裏付けができる一方、過信しがちだろう。
「エンジニアリングとは仮説である」(51ページより引用)。デザインもそういうとこあるよね。正直作ってみないとかっこいいかどうか自分でも分からないところもある。2ndモックが1stモックより出来がいいことを保証するのも覚悟いるんだよ。
**
私は直接安全や人の生死に関わる建築や自動車などのデザインはしてない。デザインにおいては重力という大問題について考えなくていい状況の方が多い。むしろ普段の生活、家事や遊びの方が物理の縛りを実感してるかも。
とはいえ「間違いがあってはならない」と「安全を見越して先例に倣っていてはイノベーションは起こせない」のせめぎあいは分かる気がする。
思い入れが実現のドライブになる一方、過去の知見、冷静な観察と対策がないと今やっていることが正解かどうか確信を持てないだろう。
いくら細々と気を回して気配りしても、ハプニングはまったく思いもよらないところで発生するので、違う視点からの関わりがほしい。しかし、たくさんの人がそれぞれの立場で関わってきたらきたで、意見を聞いて回るだけで手一杯になる。
昔受けた些細な指摘がトラウマになって、できなかったり無意識にあきらめたり。ローカルなNGワードがあったり。
技術開発の兆しは見えるのだけど、まだまだ実用に至っていなかったり、コストが障壁になったり。1つずつ潰している間にビッグニュース(他社の新製品リリースなど)にどかんと吹っ飛ばされたり。
自分のデザインのアイデアや、元々のコンセプトにこだわりすぎると意固地になって動かなくなる。できあがって最後にぽんと感じる「なんとなく」の直感が結構当たることもある。
|