芝 幹雄
1983年多摩美術大学デザイン科卒業、GKインダストリアルデザイン研究所に入社。1990年株式会社GEO設立に参加、医療機器の設計とデザイン、その他産業機械の設計を手がける。2007年3月独立、株式会社SHIFT設立。同社代表取締役。
http://www.shift-design.jp/ |
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「デザインとは、忌むべき表現形式だ」とは、最近デザイン界で話題になっているフィリップ・スタルクの引退宣言の言葉である。そして「私がデザインしたものすべては不必要だった」とも語ったらしい。人間性の復権を掲げたポストモダニズムに少なくともデザインの世界では終止符を打ちたかったのか、ともかく真相は分からないし、鬼才の考えることはよく分からない。しかし上記の2つのコメントには大いに賛同する。ただし、最初のコメントの前には「私の」と付け加えていただければ、と言う条件は付くが。
鬼才でありながら、奇人とも言われたスタルクのことなので、あまり真に受けてもしようがない気もするし、2年後に「やっぱり引退宣言取り消し」などと言うのかも知れない。彼が引退しようが、しまいがどうでもいいことだと思っている。
別にスタルクが嫌いなわけではない、彼の才能は尊敬に値するし、自宅や事務所を見渡せば彼の作品はいくつもある。またデザイン界への影響力の大きさも認めざるを得ない。
世の中ではフィリップ・スタルクを建築家でありインダストリアルデザイナーでもあると紹介しているのをよく見かけるのだが、日本と欧米ではデザイナーの立場が違うと言うことを理解していても、彼がインダストリアルデザイナーと言われているところにはいつも引っかかっていた。彼は類まれな才能を持ったアーティストであると思っていたし、今でもそう思っている。そしてその才能でデザインとアートの境界を崩壊させた、または曖昧にしたのだと思っている。それ自体がポストモダニズムの行為であるとも言えるのだが。
それは彼が意図したことではないかもしれないが、このことが一般社会におけるインダストリアルまたはプロダクトデザインへの大きな誤解の元になっているのではないかとも考えている。やはりアーティスティックな活動の方が脚光を浴びやすい。ひがんで言っているわけではない、要はバランスの問題だと思う。自覚して彼のような活動をしている分には何も意見を差し挟むものではないが、仮にそういった自覚もなく、誤解をしたままデザイン活動をしている人がいるとすれば、不幸なことである。
●人間と機械と自然と
もともとプロダクトデザインは非人間的な機械をどのようにして人間と共存させるかという、決して正解がない、永遠の問題に対して答えを見出していく作業なのではないだろうか。くそ真面目で非人間的な機械にアーティスティックでユーモラスな衣を着せて楽しむことも1つの答えであると思う。しかしそれがすべてでないことは、現に世の中にあふれているモノを見渡せば明白なことだと思う。そして人間はもはやモノとの関わり合いをなしにして生きていくことは出来なくなった。
そもそも現代文明と言う大きな括りの中に、人間と機械と自然の共存という解決不可能なジレンマを抱えているのだから、後戻りが出来ないのであれば、どこかで折り合いをつけていくしかないように思う。そういった観点で見ると、ライフスタイル云々と言うものを中心にすえる考えも少々傲慢かと思うし、エコな生活を自慢するのも、なにやらおかしく見えてくる。無価値なものを生産しないための努力も、同義ではないかと思ってしまう。
黙っていても技術は進化し、新たな機械が出現し、それに依存しなければ生きていけない人間も生まれてくる。だからデザイナーがその局面、局面で調整を図らなければならない。そんな重要な役割を担っていると思えば、プロダクトデザイナーの立脚点はやはりもう少しエンジニアリングサイド寄りであるべきと思う。技術を理解しないままに、また技術革新を客観視出来なければ、調整役など務まるだろうか。そのようなことを誤解したままプロダクトデザイン界に身を置くと、面白くないばかりか、きっといつかは失望することになるだろう。まさかあれほどの才能を持ったスタルク自身がそうだとは決して思わないのだが、しかしそう思ってコメントを読めば妙に腑に落ちてしまうのは何故だろう。
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