芝 幹雄
1983年多摩美術大学デザイン科卒業、GKインダストリアルデザイン研究所に入社。1990年株式会社GEO設立に参加、医療機器の設計とデザイン、その他産業機械の設計を手がける。2007年3月独立、株式会社SHIFT設立。同社代表取締役。
http://www.shift-design.jp/ |
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●ガチガチの見積もり書
話は前回の続き、ボストンのとある製品設計会社でのこと。目の前にした設計開発の見積もり例に時差ボケも吹き飛ばされてしまった。細分化され何百項目にも積層されたその表は、まるでゼロからクルマ1台のプロトタイプでも開発するのかのごとくであった。当然すべての項目をトータルしたコストも日本でのそれに近い感覚であった。
今回の開発対象である商品の詳細をお話しするわけにはいかないが、部品点数は百数十点で、電気も電子回路も用いずあくまでも手動で操作し、大きさも手のひらに載る程度のサイズのものである。そして彼らに提示したそのプロトサンプルは、すでにかなりのところまで量産を考慮した設計が盛り込まれており、また彼らはそういったジャンルの商品を設計する専門の会社である。したがって見当違いの開発対象であるわけもなく、その見積もりサンプルも今回の開発対象に近い商品の開発例であると言っていたようである。つまり、この見積もりはアメリカでは普通にまかり通るものであると考えるのが妥当と言える。
アメリカの自動車製造業が高コスト体質であるということは、今回のビック3の騒動で何度も耳にしているが、自動車関連だけが突出しており、それ以外の産業に関しては日本とさほど変わらないとも聞いていた。しかしアメリカの設計開発費がこれほど高コストであるとは聞いていなかった。この事実が一般的であるとすれば、アメリカでは製品が市場に出るまでにかかるコストの中で、特に開発にかかるコストがかなりの額を占めていると推測するのが自然である。さらに、その製品が市場で十分に受け入れられる価格に設定されるとすれば、その開発コストが適正であるためには相当の量を販売しなければならないことにとなる。これが巨大な内需を背景としたアメリカでの製品開発の実態なのであろうか。
●ドンブリ勘定の必然性
日本の製品開発は十数年前から多品種少量生産を指向してきた経緯があり、製品開発にかかるイニシャルコストは徹底的に削られてきた。それらを支えてきたのがアジア諸国でのローコストな金型と部品の製造、そして設計開発の合理化である。しかしここで言う合理化という言葉の中身が、またアメリカと日本ではかなり違うような気がする。日本で言うところの合理化は今までにないアイデアをひねり出し達成されるものであるように思うが、アメリカではビジネスとして成立するかどうかの徹底的な分析と見極めによる投資または撤退なのではないだろうか。開発費を削減するばかりの日本のモノ作りに問題がないわけではないが、アメリカ的な経済分析が不確実なものであることは最近証明されてしまったばかりである。
もう1つの疑問点は、あまりにも綿密に計画された開発スケジュールである。新規の製品開発には事前に見えない落とし穴がいくつも隠れているものである。「できるか?」と聞かれて、「できる」と答えるには、今までの経験からそこに潜んでいる問題点をどれだけ見て取れるか、そして万が一直面した問題を回避できなかった場合の別案での開発の想定が必要になる。もしそれらを100%クリアにしなければならないとすれば、どんな開発事案も引き受けることなどできない。つまりある程度博打的な要素があることを否定できない。難問にぶつかれば想像以上の労力を強いられるが、アイデア1つでやすやすとクリアできることもある。今までにある製品のモディファイは別として、新規の開発とはそういったものだと思っている。決まっているのは市場投入時期だけで、そこにたどり着くまでの中身がどうなるかはいつも確かではない。同様に開発者の担当内容まで柔軟性がなければならない。自身の専門外の分野まで考察したり、直接関係のない開発者が思わぬ解決策をもたらしたりすることもある。
そのようなわけで新たな製品の開発見積もりはドンブリ勘定にならざるを得ない。それが妥当であるかどうかを判断する基準はクライアントとの信頼関係によってのみ作られる。ここに日本の曖昧さがあると言えるのであろうが、同時に柔軟性も兼ね備えている。しかし今回彼らが提示した見積もりは成果主義の国アメリカではそのような融通が利かないのだと言っているかのように見えた。また曖昧さと同時に柔軟性も徹底的に排除した結果としか思えなかった。
以前にデザインの世界で日本は独自のスタイルを持っているということをお話したが、製品の設計開発の世界でも日本は独特の文化を築いてきたのだと実感した。今回のボストン出張のお話はたった1社、1例のことではあるが、そう感じさせるに十分なインパクトであった。
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