芝 幹雄
1983年多摩美術大学デザイン科卒業、GKインダストリアルデザイン研究所に入社。1990年株式会社GEO設立に参加、医療機器の設計とデザイン、その他産業機械の設計を手がける。2007年3月独立、株式会社SHIFT設立。同社代表取締役。
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かれこれ数年前のことである。ところは台湾の中堅デジタルカメラメーカーの本社。会議室の壁に張り出された我々の数案のスケッチそれぞれに、多いものは30枚、少ないものは10枚程度、直径10mmほどの丸いシールが合計100枚ぐらい貼られていた。一緒にプレゼンテーションをした同僚と顔を見合わせながら、やり場のない失望感とともにしばし呆然としていた。
その直前まで、経営、企画、技術の主要担当者を相手に2時間ほどプレゼンテーションを行っていた。現状の市場の特性分析と、我々の考え方を述べるとともに、それぞれの案の狙いどころを説明したわけである。通訳も同席しており、コミュニケーション上の問題は特になく、彼らも我々の説明に十分理解を示しているように思えた。しかし、その後彼らは女子社員を会議室に集め、全員に丸いシールを渡し、「好きなスケッチの下に貼れと」命じたわけである。
デザイナーであれば私がそのとき感じた失望感を理解いただけるはずである。
昔は(といっても10数年前)「同業他社の仕事をやっていて、どうやって案を振り分けているのか」といった趣旨の質問をされることがあった。また「A社で不採用になった案をB社に持っていくことはあるのか」といったことをストレートに聞いてくる担当者もいたものである。本当であればその場で机をひっくり返して帰ってきたいところであるが、客商売であるからして、そのようなことがあり得ないことと、そしてその理由を懇切丁寧にご説明するわけである。
我々プロダクトデザイナーは、少なくとも、クライアントの市場でのポジション、開発能力、ブランド力他、その会社の特性を十分に理解した上で最適なデザイン案を提案しているつもりである。
デザイン案を作る前に、まずその商品を投入しようとしている市場がどのような特性を持っているのか、他社がどのような戦略で商品開発をしているのか、そしてクライアントがその市場の中でどのようなポジションを築き得るのかを考える。したがって日本の大手A社に提案したデザインと同じような案を、後発の中堅B社に提案することはあり得ないのである。
当時、日本ではそろそろデジタルカメラ市場が飽和状態一歩手前といったところで、多くの台湾のメーカーがOEMメーカーからの脱却を真剣に考え始めていた頃である。とはいっても、まだオリジナルのデザインでオリジナルブランドの商品を世に出すことがいかなることかを完全に理解している会社はほとんどなかったように思う。台湾の中堅以上の会社の場合、経営に関わる人のほとんどがアメリカ留学組で、合理的な経営学を学んでいる。だから、私たちの市場の分析と、どのような商品を開発すべきかという前段のプレゼンテーションは大いに歓迎され、理解もしてくれていた。
しかし、スケッチが出た途端にそんなことはお構いなしになってしまった。「もっと日本のメーカーがやっているような案はないのか?」といった意見も飛び交い、あげくの果ては、ターゲットユーザーは若い女性であるとの話に、そのプレゼンテーションを聞いてもいない女子社員に多数決で決めさせてしまったわけである。
オリジナルデザインの開発に慣れていないクライアントにありがちな話ではあるが、そのようなクライアントの多くは「市場分析や企画の前段階はいらないからスケッチプレゼンテーションだけ、してくれ」というものである。基本的には我々が出した詳細見積もりの前段を「社内でできる」という理由で、カットすることによるコスト削減が目的であり、仕方なく応じることもある。その場合はスケッチの説明に何倍もの時間をかけて対処したりするのであるが、そのプレゼンテーションに同席しなかった担当者まで意思が伝わるかは保証できない。
例に挙げたクライアントはその部分までは理解してくれていたのだが、残念ながら経営学のカリキュラムの中にデザインスケッチの見方までは入っていないようである。
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