芝 幹雄
1983年多摩美術大学デザイン科卒業、GKインダストリアルデザイン研究所に入社。1990年株式会社GEO設立に参加、医療機器の設計とデザイン、その他産業機械の設計を手がける。2007年3月独立、株式会社SHIFT設立。同社代表取締役。
http://www.shift-design.jp/ |
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●若い世代のクルマ離れ
「今はどういうデザインが主流となっているのか」または「今の時代のデザインとはどういうものだ」とデザイナー以外のお客さんから聞かれることがよくある。そんな時「今は主流や流行というものが存在しない時代です」と答えることにしている。そして、「だから流行などに左右されずにその物にはどのようなデザインが適しているのかをじっくり考えることができる良い時代なのですよ」と付け加えるようにしている。
デザインの方向性が全く分からなくなってしまったといえば、その代表例は日本のカーデザインではないだろうか。車を買い替えようかと思っていろいろな車を調べてみても、国産車はまったくといって引っかかるものがない。どういう車を作りたかったのか、その意図が見えてこないし、開発者の思いも感じられない。綿密なマーケティングの結果なのかもしれないが、車にまったく関心のない人を対象とした調査によって導き出された答えではないのかと思ってしまう。
世界中の自動車メーカーは今回の世界同時不況による業績不振で悲鳴を上げている。しかし、この事態が起こる前に国内で危機的な状況であると言われていたのは、若者の車離れの現象であった。今そんなことにかまっていられないと言うかのように、最近は耳にすることがなくなってしまった。しかしこのことを日本の自動車メーカーが反省することもなく、忘れてしまうようでは今後大きなつけとして、やがて自分の首を絞める問題になっていくような気がしてならない。
一昔前の学生達は皆お金がないなりにも自分の車をいじり倒していたものであった。カー用品店では売り場の大半のスペースを改造用のパーツが占めていて、プラグやハイテンションコードや吸気フィルターなどを買って来ては付け替えて、なにやら速くなったような気がしては面白がっていた。しかし90年代中頃から大手のカー用品店売り場に異変が起こり始める。改造用パーツはことごとく姿を消し、アクセサリーとカーオーディオの売り場しかなくなってしまった。
●電子化の代償
言うまでもなく、近年の車は制御のあらゆる部分が電子化された結果、素人が趣味でいじれる代物でなくなってしまったのが原因である。現代の車は20年前と比べると遥かに高度で高性能になったのは確かであるが、タイヤやホイール以外は手の入れ様がなく、手を加えるにしても高度な技術を要し一般的でない。改造したりいじったりするのが車の楽しみのすべてではないし、高度で高性能な車を安全に走らせるために、素人の中途半端な改造が危険なことも確かである。しかし高性能化のために失ったものは大きく、メーカー側がその代償として何か穴埋めをしているとは思えない。
また、車を取り巻く社会環境やインフラの整備もより車をつまらないものにしようとしているように思う。あまりにも低すぎる速度制限、融通が利かず頭の悪い信号機などなど、公道では走ることを楽しんではいけないと言わんばかりではないか。もちろん暴走族やローリング族の類は論外であるが、国をあげて車文化をつぶしにかかっているようにしか思えない。交通事故を減らし、より安全な車社会を作るためだというのは分かるが、別の方法はないのだろか。安全のために過保護に扱われた日本のドライバーはたぶんアジア諸国の中で一番運転が下手で、運転そのものが嫌いな人が多いようである。
そのほかにも複雑な理由はあるだろうが、このような状況では、若者たちの興味が車から遠のいてしまっても仕方がない。そして若い時代に車に対して思い入れを持てなかった人たちが今後どのように車に対して興味を持てるようになるというのだろうか。
カーデザイナー達は何を見て、また何を目標にして車をデザインすればよいのかさえも見失ってしまったのではないだろうか。その結果が現在の日本の車のデザインの現状ではないだろうか。
メーカーはスポーツカーが売れなくなったのでファミリー向けのミニバンの開発に注力し、その結果目先の利益は確保できたかもしれないが、車に夢や憧れを抱けた時代に終止符を打つことになってしまうのではないだろうか。最近の国産車のデザインを見ているとそう思えてならない。
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