芝 幹雄
1983年多摩美術大学デザイン科卒業、GKインダストリアルデザイン研究所に入社。1990年株式会社GEO設立に参加、医療機器の設計とデザイン、その他産業機械の設計を手がける。2007年3月独立、株式会社SHIFT設立。同社代表取締役。
http://www.shift-design.jp/ |
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●欧州の方法
デザインの世界に特に規範などなくてよいと思う。またデザインの世界では、デザイナーは他のデザイナーの行為を特に批判することもない。何故ならば、デザインにはあらゆる可能性の追求と実験が必要であり、どのような態度、または取り組みが新たな可能性を示すのか分からないからである。だからデザインのスタイルも千差万別である。この世界も視点を引いてみると明らかな違いが見えてくる。
一昔前、日本がバブルであった頃の話である。とある日本の会社が欧州の有名デザイン事務所にある商品のデザインを依頼したときのこと。結構な額の契約金であったと聞いていたが、出てきたのは手描きのスケッチ1枚だけであった。当時はCGなどない頃だったので手描きは当たり前であるが、スケッチが1枚だけというのには発注者も驚いた。そしてその後のフォローもなかった。
欧州のデザイナーにしてみればいつもの通りのことをしただけなのである。彼らは自分の主義主張を重んじる。だからそれを理解して依頼してきた依頼者がデザイン案を気に入らないわけがないと考える傾向にあるようだ。だからスケッチ1枚は当たり前のことのようである。また欧州にはスケッチから正確にモックを作る職人がいたので、フォローがないのも当たり前であった。
しかし日本にはかつてのジョバンニ・サッキのようにスケッチからモックを作るような職人も職業もなかったのである。だから日本のデザイナーは選ばれたスケッチの案を図面化して、エンジニアに渡し、エンジニアと何度も打ち合わせをして最終製品にするのが当たり前となっていた。スケッチ1枚を手渡された会社は困ってしまった。結局そのスケッチは日本のデザイナーが図面化とフォローをして何とか製品になった。
バブル期においては日本の企業は、あり余った資金で海外の有名デザイン事務所やデザイナーに製品のデザインを依頼することが多々あった。そしてその多くの場合、製品化までのフォローを日本のデザイナーがやることになった。
この場合欧州の仕事のやり方を理解していなかった発注者に問題があると言わざるを得ない。金のためと割り切っても、他人のアイデアを製品化する作業はデザイナーにとってあまり面白いものではない。しかも少しでもカタチを変えると、えらい剣幕で抗議されることもあったそうだ。
時代も変わりグローバルスタンダード云々などと言われた時代も経てコンピュータを使用してのデザインが当たり前になり、どの国のデザインスタイルもそう変わらなくなったものと思っていた。ところが最近、前述の話と同じような事例を耳にした。いまだにそんなことがあるのだと思った。しかもその欧州系のデザイン事務所は日本にオフィスを置いているのである。欧州のデザイナーは頑なに自分たちのスタイルを守り通しているのだと関心もした。
●日本独自のアプローチ
では彼ら欧州のデザイナーが特殊なのであろうか。以前のコラムで書いたことであるが、もともとデザインの発祥は欧州であり、アメリカで生まれたマーケティングオリエンテッドデザインスタイルを取り入れ、日本のデザインスタイルが出来上がった。だから特殊なのは日本のほうであるのかもしれない。欧州は昔ながらのスタイルを守り、アメリカはより合理主義を追求してきた。そしてアメリカではあくまでも合理主義的な考え方からであるが、自分の職域を頑なに守ろうとする姿勢は結果的に欧州と同じである。
ならば日本のデザインの特徴とは何なのであろうか。やはり欧州やアメリカに比べてより深くモノ作りに関わろうとする態度なのではないだろうか。
必要であれば自分の職域外の業務を行うことをいとわないし、周りもそれをとやかく言わない文化である。特に好奇心が旺盛なデザイナーは何にでも首を突っ込もうとする。そして余分なサービスがやがて回り回って自分の利となって返ってくるなどと考えるのは、日本人の特殊性と言わざるを得ない。
かつては欧米から学び、独自の形のモノを作り上げてきた国民性である。そうやって出来上がった日本独自のデザインスタイルなのだから、我々はより自らのスタイルを自覚し、誇りを持ってこの道を進めばよいのではないだろうか。
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