特集「素材とデザイン」では、特定の「素材」にこだわったモノ作りを行っているデザイナーやプロジェクトリーダーにご登場いただく。第6回目はPORTERブランドで国産カバンをリードする吉田カバン。布素材で新しい提案を行っている同社の若手デザイナー浅野裕紀氏に、吉田カバンの歴史やインハウスデザイナーにこだわる理由、そして浅野氏のカバン作りのアプローチなどを聞いた。
株式会社 吉田
企画部デザイナー
浅野裕紀
http://www.yoshidakaban.com/
●吉田カバンの歴史
−−まず設立の経緯からお話ください。
浅野:創業者の吉田吉蔵は、12歳で丁稚奉公してカバン職人としての技術を磨いていったのですが、29歳の時に独立し、1935年、東京・神田に吉田鞄製作所を創業しました。1951年に株式会社吉田に改組し、今に至ります。
−−吉田鞄製作所を設立された時代は、現在のような自社ブランドというより、受注生産的な仕事が多かったのですか。
浅野:当時は作った製品を地元のカバン専門店などに卸していましたが、製造元の名前が店頭に出ることはありませんでしたので、受注生産というよりはOEM生産に近いかも知れません。1960年代になって百貨店でも扱っていただくようになりました。
自社ブランドは、1962年に発表した「PORTER」ブランドからです。メーカーとして名前が残るようにしたかったことが発足の大きな要因と認識しています。百貨店で扱っていただくこと自体は当時すごくステイタスがあったと思うんですが、お客様にはどこのメーカーが作ったカバンなのかは記憶に残らないので、それを創業者の吉蔵は気にしていました。自分たちが作ったカバンであることを残したいと。そこで、オリジナルブランドを立ち上げるんですけど、当時は日本のメーカーがプライベートブランドを持つことはすごく珍しかったので、試みとしては先進性があったと思います。
−−地元のカバン屋さんや百貨店に卸すということは、ある程度フォーマットといいますか、定番モノがあって、それを作っては卸すという流れですか。当時から初代の吉田社長のデザイン的な要素は盛り込まれていたのでしょうか。
浅野:はい、社内にデザイン室もあったと聞いていますが、会社としてはカバン専門店や百貨店とカバン職人さんの間に入るいわゆる卸問屋としての仕事がメインだったようです。1951年が改組なので、約10年間はそういう時代だったと思います。
−−1962年のPORTERブランドを発表された当時、ユーザー対象は男性、ビジネスマン中心だったのですか。
浅野:そうでもなく、婦人モノと思われるカバンもたくさんありました。当時の展示会の写真を見ても、例えば国内出張用のボストンバッグなど、けっこうカジュアルな製品が多かったようですね。
●国産にこだわる
−−PORTERブランドを立ち上げてからも、自社ブランドとOEM生産との両輪でやってこられていたのですか。
浅野:ブランドを立ち上げてからは、自社製品を優先して生産しています。PORTERブランド以降も状況に応じてOEMの商品開発もしていたようですが。
−−PORTERを立ち上げた1962年当時、会社の規模はどうでしたか。
浅野:当時は会社というよりは「商店」という規模だったと聞いています。現在3代目となる社長が入社したのが1969年で、その時点の年商は今の1/10くらいです。現在の社員は159名で、企画室は12名います。
−−「国内生産にこだわる」という初代社長の言葉が御社のホームページにもありましたけども、日本ブランドということで、職人が手作りするものにこだわると。海外のメジャーなバッグブランドもいろいろありますが、競合として意識されていますか。
浅野:各ブランドがどういったものを扱っているかは知識としてはありますが、それにより何か自社商品の方向性が変わったりすることはないですね。
−−なるほど。1981年にはニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブのメンバーに選出されました。
浅野:当時のディレクターが日本人で初めて選出されました。
−−その後、現在に至るまでに何か特徴的な動きはありましたか。
浅野:皆さんよくご存知だと思うんですけども、1980年代後半に赤バッテンが特徴的な「ライナー」シリーズのブームがありました。20代から30代の男性を中心に人気を博し、吉田カバンといえば、LUGGAGE LABEL(ラゲッジ レーベル)という時代でした。
さらなる転機として1990年代後半には裏原宿ブームが起こり、PORTERの認知が一足飛びに広がりました。吉田カバンといえばPORTERと言われるようになり、異業種の企業とのコラボレーションも1995年から他に先駆けて行っています。
−−赤バッテンのキャッチーなアイコンはどなたが考えられたのですか。
浅野:先ほどお話した当時のディレクターとデザイナーです。
−−アイコンを提案してカバンをデザインするということで、かなり戦略的でしたよね。
浅野:デザインをする上でキャラクターをしっかり作っていたんだと思います。
−−ここ10年、15年でさらにまた伸びてきて、商品のバリエーションもかなり増えてきたということですね。
浅野:そうですね。世界観がすごく広がった時代だと思います。
●機能とデザイン
−−吉田カバンの特徴は、機能性とデザイン性の両立だと思いますが、設計の段階から、ユーザーが今どんなものを求めているかはかなりマーケティングされているのですか。
浅野:時代、時代に合ったものということですね。カバンに入れる持ち物もずいぶん変わりました。例えば書籍からノートPC、iPhoneへの変化ですね。弊社では「カバンとは道具である」という認識が根底にあるため、一般的な収納物の変化は常にチェックして、それに対応するためにポケットのサイズを変えたりしています。最近はスマートフォン、デジタルカメラなど、デジタル機器が多いので、クッション材を入れたり、ニーズに合わせながらデザインも考えています。
−−客観的に見て吉田カバンのイメージは一貫性があります。ユーザーの持ち物、カバンの中身は変わっても、PORTERらしさを感じますが、統一感を出すための決まりごとなど設定されているのでしょうか。
浅野:PORTERらしさはとても抽象的だと思うんです。皆さん個々に思っていらっしゃるイメージと、作り手の想いをできるだけ近づけていきたいと思いつつも、デザイナーも12人いますから、それぞれの個性も当然反映されるでしょう。
製品を発表する流れとしては、各デザイナーをまとめているディレクターがいて、そこの判断でそれぞれの方向性が決まっていく面はあります。ユーザーが思ってらっしゃるPORTERらしさを崩さないように、かつ、いい意味で新しいことにトライしてユーザーの期待を裏切りたいということは常にみんな持っています。
−−そこはデザインの永遠のテーマですね。「PORTER」のブランドネームタグも大きなポイントですよね。タグがあることによって吉田カバンのイメージが強調される面もあると思います。
浅野:ネームタグや形状もありますが、むしろ、ステッチなどの細かいディテールに意識を巡らせながらデザインをしていることが、吉田らしさにつながっていくんじゃないかなと思っています。特に正解があるわけではないんですけど、私はそういうスタンスでデザインをしています。
−−なるほど。浅野さんご自身は学生時代にプロダクトデザインを専攻されていたとのことですが、学生の頃から吉田カバンでデザインしたいというお気持ちが強かったんですか。
浅野:そうですね。カバン作りは面白そうだなと思って入社試験を受けました。大学では家電など本当にプロダクトという感じのものを学んでいました。カバンはファッション的な要素もかなり多いと思うんですけど、吉田カバンはプロダクトデザインとファッションの間というイメージが強かったんです。私はファッションも好きですし、モノ作りも好きなので、そういったところも惹かれた1つの理由ではありますね。
−−家電とカバン作りのワークフローは全然違うと思いますが、入社されて戸惑うことはなかったですか。
浅野:デザインする方法として、何が正解で何が不正解とかはないと思います。うちは職人さんとコミュニケーションをとりながら固めていく流れが多いですけど、アイデアスケッチにパソコンを用いてもいいですし、手描きのスケッチを見せながらコミュニケーションをとってもいいんです。要はきちんと伝わればいいので、自分なりに考えながらやり取りしています。あとは分からないことは先輩に聞くことが多いですね。
●カバンのワークフロー
−−浅野さんの手がけた製品を例に、アイデアスケッチの段階からモノができるまでの流れをご説明いただけますか。
浅野:まだ数シリーズしか作っていなんですけど、まず方向性としてこういったものを作りたいというアイデアを会議にあげて、次に試作をします。カバンの形になる前の生地の段階から、テストをしながら徐々に形にしていきます。
−−実際に生地を使って模型を作るんですか。
浅野:いろいろな方法があります。簡単なものであれば自分でサンプルを作ることもありますし、生地の選択で悩んでいる場合はそのまま企画会議にあげることもあります。制作アプローチは人それぞれですし、企画内容によってもバラバラです。
−−そもそも次期新製品に向けて、会社からお題が与えられるのですか。
浅野:いえ、ないです。最も重要なのは本人が何をしたいのかということで、テーマも自分次第です。ただ例えば私と他のデザイナーがわりとキャラクターの近いものを目指している場合などには、会議を通してディレクターからのディレクションがあり、それぞれの方向性を明確にして、全体的なバランスが決まってきます。
−−デザイナーさん各自が、今街を歩いている人たちのニーズをキャッチしながら、次のアイデアを提案していくということですね。
浅野:自分が興味を持っていることが軸となることも多いですね。1回の展示会で3つのシリーズを手がけるデザイナーもいますし、アイデアを貯めておいて、発表時期をずらすなどして自分でコントロールしている人もいます。
−−吉田カバンのモノ作りの体制はかなり自由ですね。女性向け、ビジネス向け、カジュアルなど、デザイナーによって方向性は決まっているのですか。
浅野:もちろん各人の得意分野はありますが、極端に限定することはありません。同じデザイナーが革のカチッとしたビジネスバッグを手掛けたかと思えば、アウトドアテイストのカバンを作ったりもします。展示会全体のアイテム構成のバランスも大切ですから、好きなものだけを作れるわけでもありません。
例えば私が5月の展示会で発表させていただいた「PORTER OVERDYE(ポーター オーバーダイ)」という商品ですが、製品染めという方法を用いることで今までにないような面白い質感ができないかなと思って作りました。
普通はすでに染めてある生地を縫製してカバンの形にしていくんですけども、製品染めの場合は、染める前の生地で最後まで縫製します。それから染色すると部分的な生地収縮などが起こり、製品染めでしかできないシワが寄ったりします。そこを狙ったデザインです。
−−後染めのテクスチャー感が面白いと思ったのですね。
浅野:そうですね。ちょっと角が取れるといいますか、丸みを帯びたような形になります。こういうシワをより強調させるために、内側に細工というかテープを仕込んでより縮ませるとか。そのへんもいろいろテストしながら行いました。雰囲気がはじめからやわらかいといいますか。そういうカバンを作ったら面白いんじゃないかというところから始まったんですね。
−−そういった提案は社内会議があって、そこで承認されて試作に入るわけですか。
浅野:基本的に、会議で提案したものが一方的にダメになることはほとんどないですね。その企画案をどうすればかたちになるかという観点からのアドバイスをもらえることが多いです。
特に私は今一番キャリアが浅いので、先輩からのアドバイスは勉強になりますし、ディレクションにあたっている上司からの指示というか、もっとリサーチかけろとか、激励されることもあります。最終的に形になるまでさまざまなアドバイスをいただきます。
−−最初のオリジナルのアイデアは本当に活かしてくれるのですね。
浅野:それは昔からの社風だと思います。キャリアが浅くても、配属されてから最初の展示会でいきなり作れと言われるので、恵まれた環境ではあるんですけど、当事者としては大変で、常に動きながら考えるという感じです。
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