シラスノリユキ氏が主宰するcolor/カラーは、人の周りに「ちょっと良い空気」が生まれるようなモノ作りをキーワードに、グラフィック、プロダクト、パッケージ、広告、商品開発などジャンルにとらわれない活動を行っている。アートディレクター/プロダクトデザイナーである氏に、独立までの経緯やデザイナーとしての想いを聞いた。
シラスノリユキ
多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。三菱電機デザイン研究所にてプロダクトデザイナーとして7年間勤務した後、フロンテッジ、グリッツデザインにて広告、グラフィックデザイン他さまざまな業務を担当する。2008年、color/カラーを設立し、アートディレクター/プロダクトデザイナーとして幅広い分野でモノ作りを行っている。
http://www.color-81.com
●メーカー、広告代理店、デザイン会社を経てフリーに
−−まずはこれまでの経歴から教えてください。シラスさんは多摩美術大学出身ですね。
はい、グラフィックデザイン学科です。でも、日本の美大はグラフィックデザイン、プロダクトデザインなどと学科が細分化されているうえに、入学の時点で専攻を決めなくてはならないのがどうも腑に落ちなくて、カテゴリーにこだわらずいろいろなデザインがしたいと思っていました。
卒業してグラフィックや広告の世界に入ってしまうと、もうそこから他へは移れないかもしれないと思って、プロダクトデザインができる三菱電機デザイン研究所に入りました。
−−カテゴリーにこだわらないというと、建築や環境デザインなども視野に入りますが、こちらは考えていなかったのですか。
建築にも興味はありましたが、僕は手に持つモノというか、手のひらに近いものへの感心が高かったのと、なるべく日常的ないわゆるシロモノがやりたかったのです。だから、三菱でも「シロモノ以外は絶対にやらない。グラフィックデザインはやりません」と言っていました(笑)。
−−三菱時代は具体的には何を手掛けていたのですか。
炊飯器、電子レンジ、トースター、掃除機、クリーナーなど日常のもので、最後は携帯電話もデザインしていました。
そうして7年間が経った頃、プロダクトのノウハウをある程度習得した上で、今度はグラフィックやメディアを通して広告の勉強をしたいなと思って、広告代理店のフロンテッジでデザイナー/ADとして働き始めました。
ただ広告代理店の場合、実際に自分で手を動かすというよりも企画とメディアプランを立てて外のプロダクションに発注するというワークフローが多く、もっと自分の手で作りたい、という想いがすごくありました。
それで、アートディレクター日高英輝氏のグリッツデザインに入り、自分の手で作り、それを発信していくという作業を習得しました。コミュニケーションのプロセスを習得する意味でもグリッツデザインでの経験はとても重要でした。
−−2008年に独立するまでに3社を経ることでプロダクト、広告、グラフィックの一連のノウハウを習得したわけですね。フリーになったきっかけは何だったのでしょうか?
ずっと、グラフィック、プロダクトなどとカテゴライズせずに生活に密着したデザインをトータルに手掛けたいと思っていたからですね。最初にも触れましたが、それは学生の頃から抱き続けていたことです。
−−colorはシラスさんを筆頭にクリエイティブディレクター/コピーライターのシラスアキコさん、プロダクト/インテリアデザイナーのサトウトオルさんの3人から成るユニットです。
シラスアキコは広告代理店出身で、僕がフリーになる数年前にフリーのクリエイティブディレクター、コピーライターとして活動していました。当初は僕も彼女も別々に事務所を借りていたのですが、それだと非効率的ですし、クリエイティブディレクター、コピーライターという職業は僕にとっても必要なので、それなら一緒に会社を作って2人でやってみようかということになったわけです。
−−そこにサトウトオルさんも加わった?
ええ、実は彼も三菱デザイン研究所出身です。僕が三菱を辞めたのは1997年ですが、その前後に一度に何人もが三菱を辞めたことがありました。その辞めた人間で何かやろうと5、6人が集まって、東京デザイナーズブロックなどの展示会にプロトタイプを出品していたのです。そのときに一緒に活動していたのがサトウで、僕たちが2008年に独立したときに声をかけました。彼は今、日本大学芸術学部で教鞭も執っていますが、プロダクト/インテリアデザイナーが本業なので、3人が集まり、それぞれの能力を組み合わせれば、面白いことができると考えたわけです。
●color/カラー設立、そしてconof.シリーズ誕生
−−シラスさんの仕事では、やはりconof.“コノフ”シリーズの最初の作品「シュレッダー」の印象が強いです。きっかけは何だったのでしょうか。
僕はまだグリッツデザインにいた頃、当時ミラノサローネで「DESIGN TOKYO」と題した展示会のポスターやグラフィックなどを担当したことがありました。
その会場でシルバー精工のデザインブランド「METAPHYS」担当の方と知り合いになったのですが、その後サトウと僕が出品した「100% Design Tokyo」で彼女と再会したときに、シルバー精工がオフィス回りの新しいデザインブランドを計画しているという話を聞いて、「何かあったら是非声をかけてください」と伝えていたのです。
そんなことがあった後にMETAPHYSの担当者が雑貨屋で個人的に壁掛け時計を買って箱を見たら僕の名前があったそうなのです。「PEEP/MoMA」という僕が作った時計のことですが、それをきっかけに僕のことを思い出してくれて、「前に話したシルバー精工の案件があるけどやってみてくれないか」と連絡をくださったという経緯です。
−−それは何年ぐらい前ですか。
4、5年前ぐらいですね。「conof.シュレッダー」は企画からネーミング、デザイン、ブランドのあり方などすべてを我々で担当することができました。
ただ、当時B to Bがメインだったシルバー精工とB to Cの仕事をするにあたっては、B to Cならではのデザインの落とし込み方などを伝えるのがなかなか難しかったですね。でも、「conof.シュレッダー」の評判がおかげさまで良く、その後は協力してお仕事をさせていただいています。
−−それがconof.シリーズとして発展していくことになるわけですね。ブランドのコンセプトはどのように決まったのでしょうか。
まず、僕もサトウも三菱電機というメーカーにいたので人の生活に入り込めないプロダクトを作ることにすごく違和感がありました。今もそうですが、僕らのいた頃の家電はすごく華美なものが多くて、使うかどうかは別として付けられる機能はすべて付けて売ろうという風潮がありました。だからもっとシンプルで、どんな空間にも自然となじむデザインが良いのではないかと考えて、無駄のない”ココチノヨイ”フォルムになるように心がけました。
−−シラスさんのデザインは、プロダクトだけれどもグラフィック的なアイコンでもあるという見え方がします。
僕自身はとくに意識はしていなかったのですが、出来上がってからそういうご意見をたくさんいただきました。それはおそらく僕の頭の中にはグラフィックの要素が確実にあるからでしょうね。プロダクトは立体のものだけど、空間に置いたときにレイアウトや間というグラフィック的要素も大切だと思っていつもデザインをしているからだと思います。
●インハウスデザイナーとして培ったノウハウ
−−シラスさんは三菱電気デザイン研究所の出身です。三菱電気に限らないことですが、今も当時も機能的にはメーカー各社が横並びの状況で、デザインもあまり差別化されていない印象があります。そういう意味でインハウスデザイナーならではのフラストレーションはありましたか。
はい。でもそれはおそらく三菱電機のインハウスだからというよりも、三菱電機に限らず日本の総合家電メーカーの体質によるものだと思います。つまり、デザイン的に見たら横並びになってしまうような流通のシステムがあらかじめ組まれてしまっているように感じました。
そういう日本市場に対するプロダクトデザインのあり方が問題で、そんな状況でデザインを行うインハウスデザイナーはすごく難しい立場にあるとずっと感じていました。
−−ただ、日本のインハウスのデザインはとてもクオリティが高いです。ディテールへのこだわりもすごいと思うのですが、デザイナーがそのパワーを100%発揮できない制限を感じます。
時代背景もあるのでしょうが、日本ではスクラップ&ビルドの発想が強いので、サイクルがとても短いんですよね。とくに、シロモノの場合は半年に一度ぐらいはマイナーチェンジも含めてデザインを変えていかないと市場で成り立ちません。ただ、それを続けているとデザインというものは成熟しないのではないでしょうか。時折、量販店などで家電全般を見てみると予想以上に進化していないと感じる時があります。
−−進化していない?
もちろん中身は進化していますが、デザインのあり方についてはあまり変わってないように感じることがあります。一時期、「デザイン家電」というフレーズが流行りましたが、僕らからすると「前からデザインしていたのに」「今までの家電のデザインは何だったのだろう?」と(笑)。
−−あるメーカーの商品が売れると他社も真似をして、半年も経つと皆が追いつくので、またどこかのメーカーが違うアプローチで攻めるという現状があります。
そういう市場の状況が背景にあるので、どうしてもデザインが表面的になってしまうのでしょう。あと、日本の経済自体がメーカーに支えられてきたわけで、そこはしょうがないとも思うのですよね。
−−そういう意味で、colorとしては従来のメーカーが支える流通形態から離れて、もう一度自分から発信しようということですか。
いえ、メーカーの存在は市場にとっても重要なファクターです。そこに少しでも一石を投じることができればよいと考えています。
−−では逆に、インハウスデザイナーだったからこそ身に付いたノウハウなどについてお伺いします。設計系のスキルもお持ちなのですか。
完全設計までは難しいですが、三菱時代は工場の設計の方とやり取りをしていたので、「この設計に対してはこういうフォルムがいい」「こういうフォルムにする場合はあの部分をもう少しこう設計できるだろう」という話し合いは対等にできています。
−−インハウスを経験しているとデザインのアプローチにも余裕が出てくるでしょうね。
それは絶対にそう思います。僕が三菱電機という大きなメーカーにいて良かったなと思うのは、工場が大きいのはもちろんのこと経験豊富な方が多いのでそこでゼロから勉強できたことです。
おかげで設計側や工場の方の状況が理解できるので、現場では「きっとこういうデザインをしたらこの部分はNGになるだろうな」というデザインをあえて出して、やりとりをすることもあります。
だから、「シラスさん、ちょっとここは難しいですね」と工場からフィードバックがある時点ではすでに次の策を用意していられるのです。「それは分かるのですが、ここまではできるのではないですか?」と言えますし、そういうやり取りを続けていると、だんだん向こうも手の内が見えてきて、「じゃあ、ちょっとやってみます」みたいな話になってくる場合もあります(笑)。
−−そのへんのノウハウがあるのとないのとでは最終的な成果物に大きな違いが出てくるでしょうね。
ええ。そういうちょっとしたことが確実に仕上がりの精度に関わってきますし、工場の人と話す場合や設計段階になってからのやり取りもスムーズにいっています。インハウスを経験したことは大きな財産になっていますね。
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