小牟田氏がプロデュースした代表的な製品
「koori -こおり-」:Kom&Co.のオリジナルデザインとして2008年Guzzini主催のTokyo Foodesignに出品。フランクフルト、ミラノ、東京にて展示。(クリックで拡大)
「FULLFACE(SoftBank 913SH)」:デザインディレクションを担当したソフトバンクモバイルの2007年夏モデル。(クリックで拡大)
「PANTONE Slide 825SH」:同じくデザインディレクションを担当したソフトバンクモバイルの2008年6月モデル。(クリックで拡大)
リードサウンド株式会社の無指向性スピーカー「DISTESA」。かわさき産業デザインコンペグランプリ受賞。(クリックで拡大)
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●未来に向けてのモノ作り
―― では、少し未来へ目を向けて、次に起こりうるビジネスモデルやユーザーイノベーションはどんなものになるのでしょうか。
小牟田 僕は先日ITジャーナリストの友人に、ドコモさんの研究所を見学させていただこうという提案をもらったのですが、すごい技術が山盛りだそうですね。例えば少し古いですが軍用ヘリ、アパッチってありますよね。そのアパッチの視線入力という照準を絞る技術よりはるかに優れた入力装置がもう研究所ではできていて、それを市場でどう活かすのかを考えていたり、他にも言えないようなレベルの研究をやっていたりしているらしいのです。
西山 昔から見た未来が現在のそういったシード技術なのでね。つまり、今思い描いている未来は、これからの未来のさらに次の未来の昔にあたるわけなんですね。面白いですね。ポケベルの話に戻りますが、ポケベル当時の未来の技術がきっと「文字が送れる。すごい!」だったと思うのです。
小牟田 そうそう。
西山 当時、エンジニアがワイヤレスでデータを飛ばして、非ボイス系のトランスミッション事業を立ち上げようとなって、作ったけれどもまったく売れないというのがポケベルだったのではないでしょうか。最初はビジネスユースから始まった世界が次第に普及して価格も安くなっていって、ユーザーイノベーションが起こるようになった。
だから、小牟田さんがおっしゃった研究所の視線追跡入力の機能も、たぶん今は難しくて女子高生はアクセスできないでしょうけれども、それが普及して今の携帯電話くらいの値段になると、「シャカ男マジウザイ(>_<)」が視線入力できると思うのです。コンテンツはいつまで経っても同じ(笑)。でも、僕はそれがいいと思う。ユーザーは結局テクノロジーを使い倒すのがうまい。
―― テクノロジーが進化することでこれから新しく生まれるモノとは?
西山 フィリップ・K・ディックの著作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の中に、死んだ人の思考パターンがハードディスクに内蔵されている描写があります。故人の思考パターンと語彙のアーカイブが載っていて、意味検索をして答えてくれるのです。だから、まさにその人と会話しているみたいで、初めて聞かれた質問もパターン認識をして、それはこうかなと答えてくれる。その人のパターンからいうとそう類推されるだろうというところまでのアルゴリズムは組んであるわけです。ただ、キャラクターや感情はないのですが。
それで今思ったのが、ディックの本の中に出てくるように、死んだ人のキャラクターを今の既存のテクノロジーで保管しておくのです。つまり、人間としてはもう存在していないからその人と物理的には会えない。でも、思考パターンを含めたハードディスクさえあれば、もし生きているうちにそういう準備をしておけば、ネットワーク上では会えるかもしれないわけです。
僕は、それだったら1ユーザーとしてイノベーションを仲間と起こせると思う。もしそういうニーズがあったら、寝食を忘れてやるかもしれないですね。1人でできるかどうかは分からないし、言語解析のプロなどに頼まないといけないかもしれませんが、人によっては自分の思考パターンを死後も残したいと思うでしょう。だから、「ハードディスク人格」との対話というのはこれから普及するかもしれないですね。それは今のデータ通信網と言語解析アルゴリズムにハードディスクさえあれば理論上は成り立つはずです。もちろん最初はやっていられないくらい稚拙で、返ってくる答えは「解析不能」「うーん」とかいうレベルかもしれませんが(笑)。
―― 今、ネット占いが流行っていますよね。基本的にはデータベースにアクセスして自分に適合した過去の情報を検索しているだけだと思うのですが、占いの代わりにキャラクターを持ってくれば仕組みとしてはそれで成り立つわけです。
西山 そうそう。あれに相手とのこれまでのメールのやり取りのパターンを認識させて解析させれば、もう次にその人に会わなくてもインタビュー記事を組めるわけですよ(笑)。
―― それはいいですね(笑)。
西山 そのメールも、これまで何千通以上書いた人には、あなたのバーチャル人格を作りますというサービスでできるかもしれない。たとえば、通信キャリアが言語認識生成ソフトウェアサービスを作って、この通信サービスを使ってあなたが友達や誰かと千通あるいは千日間メールをやってくれれば、そういうサービスを無料で提供し始めますという。あなたの死後もあなたの友達はあなたと会話できますということで、ある人の記憶を事実ベースに基づいてアーカイブ化して、言説化して再構築するメカニズムのアルゴリズムを作る。しかも、例えばそれをユーザーイノベーションでやるとかね。
―― 要はデータベースを作ればいいわけですよね。まずは入力のインターフェイスを作っておいて、Q&A形式で答えていけばいい。
西山 そうですね、今のテクノロジーならそちらの方が早いでしょう。本当の理想としては、所定のフォーマットに答えを返さなくても過去のメール履歴からやった方が普及はするでしょうけど。でも初期のうちはいくつかの質問は、例えば1,000程度は質問に事前に答えておくと、たいがいのものには答えられるというふうにした方がいいかもしれない。
以前、人工無脳で「シーマン」(ビバリウム)というソフトウェアがありました。帰宅してパソコンを立ち上げると人面魚が画面に現れて「おぉ、お疲れ」とか言ってくれるのです。それで、「もう疲れたよ」とか返事すると「ふざけんな」とランダムに答えを返してくれる。でもそう言われると、「そうかな」と思ってしまう。占いの世界と一緒で、ハマっていった人もいる。
それから、八谷和彦さんの「ポストペット」だったり、バンダイの「鬱を治す人形(正式名称不明)」だったりと、人工無脳のテクノロジーと事例はすでにかなりあって、使っているユーザーはいるわけです。それが今はネットにつながっているので、そこにある程度、人格の部分を盛り込むことができれば人っぽい知能を持ったサービスの提供は可能かもしれないですね。
―― それこそ、著名な占い師さんなどのサービスにしたらヒットするかもしれません。
小牟田 きっと流行るでしょうね。
西山 ほかにも、例えば有楽町駅の東京国際フォーラムの地下に相田みつを美術館がありますよね。たぶん彼の思考パターンもそれに似ていると思います。つまり、言葉もシーンも違うけど、どれを読んでも相田みつをさんっぽい。そのパターン認識をすると、新しい「シャカ男」なんていう言葉を使いながら、相田みつをさんの思考で「シャカ男でもいいじゃん」というような内容を相田みつをさんぽく言ってくれるかもしれない。
小牟田 (笑)。
西山 見た目も蝋人形みたいなものだとかわいくないし怖いから、エルモみたいな人工ファーを使ったぬいぐるみにして、朝起きたら笑いながら「シャカ男、がんばれよ」って、出掛ける前に言ってくれる。僕、そういうの欲しいな。
小牟田 面白そうですよね(笑)。
―― それが、携帯に入っていたら絶対良いですよ。
小牟田 人に近づくという方法は絶対にありますよね。アンドロイドまでいかなくてもいいのだけど。
西山 アンドロイドで言うと、スピルバーグの映画にもなりましたが、A.I.も要はそれですよね。アンドロイドでA.I.を積んでいる。もちろん、今のテクノロジーではきれいには動かないだろうけど、たぶん脳みそに近いところはかなり実現できるのではないかな?
●愛着を持ってモノを使い倒す
―― これからのモノ作りに関して、「ユーザーイノベーション」や「人格データベース」などいくつかキーワードが出てきましたが、高度成長期の大量生産、大量消費型から今度どういうふうなアプローチをしていけばいいのでしょう?
西山 売れるか売れないかは分からないけどユーザーが夢中になっているものを聞くということではないでしょうか。そこから何が出てくるか分からないですし。
小牟田 ユーザーさんに教わるという感覚ではなくて、「こういうモノを考えてみたのだけど、どう?」という感じでしょうか。調査をしているわけではないですが、ざっくり見ていっぱいモノを作っていればよかった大量消費時代と比較すると、調査みたいなことのウェイトが現在は増えているなとは感じますね。
―― 昔はなかったモノが増えていますよね。携帯はもちろん、例えば今私が使っている録音用デジタル機器も然りです。以前はなかったものを作るということは前提としてユーザー調査が絶対必要なのでしょうか。作り手=ユーザーではないので、自分が欲しいモノを作るという観点だけでモノを作ってはいけないのでしょうし。
西山 僕は、大量生産はなくならないと思っています。現在世界には65億人も人口がいて、今後は80億人になると言われています。少なくとも80億個を作らなくてはならないわけだから大量生産も大量消費もなくならない。日本だけでも1億2500万人いるから、オートメーション化されたラインはまだまだ必要だし、むしろより一層大量生産、大量消費の時代がこれから来ると思います。マクロスコピックに一歩離れて全体を見渡せば、なんだかんだ言っても大きな工場でたくさん安く作って売るという世界はなくならないので、僕はそれを否定しなくてもいいと思う。
日々の生活の中で僕らがみんなに対するメッセージに託さないといけないのは、「あなたにも、あなたにも、またまたその先にいるあなたにもチャンスがあるのですよ」ということです。そのチャンスが何かと言うと、「シャカ男」っぽいレベルのものでさえも価値があると知ってもらい、テクノロジーを「大いに使い倒そうぜ」ということです。その使い倒すということがマニュアル外のことだとしても僕はいいと思うのです。
例えば、今この対談でも、録音機器を2つ置いていますが、これも工夫だと思うのですよね。1つだとどこか不安で、過去にきっとどこかで失敗したことがあるのですよね?
―― もちろんそうです(笑)。
西山 録音したつもりが、電池が切れていてダメだったとかね。
―― ええ(笑)。
西山 これこそユーザーイノベーションです。もしかしたらレコーダーを2つ用意して花子と太郎と名付け、花子が眠っていても太郎が起きていますみたいな新しいモノが生みだせるかもしれない。だって取材されるとき編集者の方はみな取材時には録音機器を2つ用意しますよね。テープとデジタルの両方だったり、わざとテクノロジーを変えて用意している人もいるくらいで、今日の機器もたぶん違うメーカーの違う年代のモノだったりするのでは?
―― まさにそうですね(笑)。モノは使うだけではダメで使いこなすくらいではないと?
西山 使い倒して、自分の身体の一部にするのですね、きっと。
―― では、作り手側もそれに耐えられだけのモノを作る必要があるということですか。
西山 そう思います。ピアノやサーフボード、バイクなどには、「愛」がつく「愛車」「愛器」「愛機」と呼べる、何か使い倒したモノに対してリスペクトするという感謝みたいな部分がありますよね。日々使っているうちにモノが自分と一体化してくると、メーカーはそれに気付いてくれないかもしれないけど、他のユーザーで学びたいという人はいると思うのですね。そこに何の価値があるかどうかは分からないけど、そういう積み重ねが大事だと思いますね。
とことん使い倒せるモノを探して、一緒に生活して、愛機や愛車と一体化するような生き方をすると日々の発見があって、モノと自分との関係性がとたんに豊かになるような気がします。
―― では、携帯電話はその対象になりますか。デジタルデバイス系の道具はユーザーが思いを込める余地がないかと一見思いますが、意外にそうでもなくて、例えばデコレーションをする人もいます。
小牟田 それは、そういう対象に見る人とそうでない人がいますね。実際にそうなるものとそうでないアイテムに分かれるのでしょうね。
例えば、自動車も年季が入って気に入るモノもあれば、そうでないのもある。人にしても、僕たちの世代は車に憧れていて免許を取っていたけど、今の若い人たちの中には大人になって免許が取れるようになっても積極的に車に乗らないし、欲しくないと言っている人も多い。移動の手段は別に電車だからということで冷めているのです。それはエコや地球の環境問題を意識している人もいるのだろうけど、そうでない人もいる。それが良いか悪いかは僕レベルでは何とも言えないけど、モノに対して気持ちを込める対象ではないというか、壊れたりしない分、何とも思わないでツールとして割り切る付き合い方というのも厳然とあるのですよね。
●「理系」エンジニアも、「文系」エンジニアも
―― 最後に読者へのメッセージをお願いします。
小牟田 最近のモノ作りの現場は、3Kだとか言われて理系離れが深刻だと理系の先生がおっしゃっているのを聞くことがあります。でも、日本を作ってきたのはエンジニアで、もっと極端に言えば世界を作ってきたのも日本のエンジニアだろう! くらいに、僕はよく学生には言ってしまうのです。
例えば、講演などで300人くらいの学生が来てくれて、列を作って座って聴いてくれますよね。その時に話すのが、マラソンランナーなどのトップアスリートとか、日本一になろうとか、世界選手権に出られる選手を目指したいとかだと、その場の300分の1の確率でもなれないぐらいの狭き門ですよね。でも、日本のエンジニアリングの中では世界初、日本初、あるいは日本一のプロジェクトに巡り会える確率は、その場に座席が6列あったら1列分くらいは可能性があるだろうと、つまりそれくらい日本のエンジニアはとても優秀なわけです。だから、すごく勉強して、どこかの会社に入るなり所属した先に見つけてごらんなさいと、必ず優秀な技術者だけでなく、デザイナーや企画や営業の人など優秀な人はたくさんいるからと。そういうほんの上澄みの10分の1くらいの人が国や世界を作っている。でも逆に言うと10人に1人はそういう人がいるくらいの感覚で見てごらん、と話すのです。すると、あなたの生涯のモノ作り人生が20年、30年あるのかは分からないですけど、そのなかで日本一、世界一になれる可能性はトップアスリートを目指すよりはるかに低い確率なわけです。
海外よりははるかに日本のエンジニアリングはすばらしいし、別にエンジニアでなくても、クリエイターやデザイナーだったら、アイデアを生んだり、表現したり、あるいはまとめていく立場になれるから、すごく良い職業ですよね。日本が世界初で良いかどうかという話はありますが、とにかくそれだけロマンがいっぱい詰まった職業であることは間違いないので、読者のみなさんにはがんばって良いモノを作って、使う側になったときにそれが自分の仕事と関係ないようなモノであったとしても執着心と愛着を持ってモノと付き合ってもらえたらいいですね。
西山 さらに、もう1つ。僕は文系なのでエンジニアではないし、先ほどの話の「シャカ男マジウザイ(>_<)」と打っている女子高校生たちもエンジニアではない。でも、彼女たちこそがマーケティングをしたり、新しいテクノロジーを進化させたり、パッケージ化やプロトコルを編み出したり、ユーザーエデュケーションもしたわけです。つまり、テクノロジーの歴史があったら、それこそ日本一、世界一みたいな人たちが脈々と築いてきた世界とパラレルに「文系」エンジニアの世界があると僕は思うのです。
例えば2つ録音機器を用意するということが日本一のテクノロジーかというとよく分からないですが、とにかく2つあると安心で、どちらかがダメでも、ああもう1つ持っていて良かったということです。そういう意味で編集者もユーザーとして文系エンジニアリングをしているのです。2つあることで分かりやすいし、安心して取材もできるし、バックアップシステムとしてとても良いわけですよね。要はもう1つ予備を用意しているだけなのですが(笑)。でも、それをあえて「文系」エンジニアリングと僕は呼びたい。女子高校生のユーザーイノベーションに限らず、工夫すれば生み出せる新しいモノの世界があって、それは大きな市場にはならないかもしれないし、誰も見向きもしてくれないかもしれないけど、自分の中で1位だったら世界一でなくたっていいじゃない、それで自分を褒めてあげようみたいな世界ですね。
確かに理系離れなどの問題はありますが、やはり人間は工夫できる力があるので、できる人はどんどん理系に進んでエンジニアになるべきだし、それは良いことだと思う。でも、そうならない人でも結果としてエンジニアになっている可能性はあるので、あまり卑下しないで、あえて肩書きにするのは格好悪いかもしれませんが、「俺は「文系」エンジニアだ!」と胸を張っていてほしいですね。
―― ありがとうございました。
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