●「デザインといえばau、カラーといえばau」
−−当時「au design project」は、まだ構想もなかったのですか。
小牟田:まだありませんでした。深澤さんに「僕は、この業界で初めてのデザインディレクションをする人間として来ました。携帯電話の世界でデザインで勝負していける端末のコンセプトを出したいんです。KDDIに呼ばれた瞬間から深澤さんにやってもらいたいと決めていました」って話をして、そうしたら深澤さんが「いいですよ。いくつかアイデアがあります」とその場で快諾くださって、「よっしゃあ!」って感じでした(笑)。
それでほどなくして出てきたのが「INFOBAR」です。KDDIの上層部は「こんな携帯あったらいいよね!」って全員が喜んでくれて、難しい顔をする人が誰もいなかったんです。でもそこからが大変でしたね(笑)。発売まで、3年くらいかかりましたので。
それと同時に、カラー化を実現することが大切だと思いました。お客さんの選択肢は狭くては駄目だとみんな分かっているのに、メーカーさん側は王道のシルバーばかり提案してくる時代でした。でもカラーによる選択肢の拡大は間違いなく始まる。カラーと言えばauというイメージを先に手をつけないと駄目だと。デザインといえばau、カラーといえばauってことをしようじゃないかということでやってきました。
−−ちょうど、携帯電話が上り調子だった時期で、女子高生にも携帯電話が普及していく時代だったわけで、だからこそカラー化に確信を持てたわけですね。「au design project」自体は、例えば岩崎一郎さん、坂井直樹さんや田村奈緒さんの参加は小牟田さんが呼びかけたのですか。
小牟田:岩崎さんは僕です。確実に売れるデザインを、日本人が分かりやすいデザインを作りたくて、それには岩崎さん以外はないと思っていました。坂井さんはかなり後ですね。僕がKDDIを辞めるときですから。
−−何故auを辞めることを考えたのですか。
小牟田:最初はKDDIに出資してもらって、KDDIデザイン株式会社を作れないかなと考えたりもしました。ある時、ソフトバンクの方から声を掛けていただいたんです。ライバル会社ですし、安易にそこに乗ったわけではないですが、それでも独立することに魅力を感じて。
−−では、ソフトバンクに行く時にKom&Co.を作ったのですか。
小牟田:そうです。独立してソフトバンクの仕事を請ける際に会社を作りました。おそらく孫正義さんと50:50で会社を作ったのは僕だけかも(笑)。
−−Kom&Co.を孫さんと一緒に作って、ソフトバンクの携帯戦略をまたデザインプロデューサー的に関わり、PANTONEモデルから始まったのですね。ソフトバンクの携帯って、新しい仕掛けをバンバン出してきましたよね。
小牟田:そうですね。ワンセグにしても究極のワンセグを作れみたいなことを言っていたときですね。2006年に僕が会社を作って、2007年、2008年と熱かった時じゃないですかね。
−−そうこうするうちにiPhoneが出てきて。
小牟田:2008年後半からiPhoneを出し始めて、2010年にぐんと伸びましたね。
−−iPhoneが出てきて、いわゆるガラケーは色あせてしまった気がします。デザインの底上げは終わっていて量産モデルそのものがもうデザインケータイになっていて、ソフトバンクにおける小牟田さんの次の役割はなんだろうという時期だったのではないかと思います。現在はiPhoneに続きAndroidによるスマートフォンも登場し、また面白くなってきました。ソフトバンクから再びKDDIの仕事をされることになった経緯をお話いただけますか。
小牟田:ソフトバンクで2年半仕事をしていた頃、KDDIの元上司やauのシェアがダウンすることをいち早く分かっていた人からは「戻ってこれないか」という話をいただいていました。僕もKDDIは半分は実家のようなものですから、黙ってみていられないということもありましたが、でも、申し訳ないけれどとても難しい話だと思っていました。
あるときに、当時のKDDIの偉い方から「頼む! 小牟田さん一緒にやろう!」と言われたとき、よほどのことなのだなと思いました。その後、ソフトバンクとの会社を解消しながら、新会社を立ち上げました。Kom&Co.からKom&Co.Designへということを同時に進行しました。
−−なるほど。ではKDDIに戻って最初の仕事が「iida」だったのですね。
小牟田:そうですね。「au」すべてであり「iida」の端末全てのデザインディレクションをする、というのが僕のミッションです。
−−今後、ガラケーからスマートフォンがメインの市場に移行しつつあるように感じますが、今後のKDDIにおける小牟田さんの仕事のテーマをお聞かせください。
小牟田:携帯電話機が通話端末だった時代から、メールが出来て画像が送れるようになってインターネットにつながるようになった。今では電子マネーは当たり前の時代になり、端末がセキュリティをカバーするようになって、個人IDはパソコン化していく携帯電話が担うようになる。今までのような感覚でのケータイのファッション化は、個人情報すべてを把握する鍵(キー)ともなるので、ステイタス表現のツールともなってくる。ケータイがデザインだけで売れる時代はとっくに終焉を迎えているけど、デザインが良くなれば絶対に売れない時代。そんな時代です。
常に進化する技術と、その裏に確実に存在する影の部分(迷惑メールとか犯罪とか)とのせめぎ合いで絶妙なバランスを取りながら、でも確実に存在し進化し続ける携帯通信の世界。僕の通信業界におけるミッションは、世界に誇れる通信機器をその瞬間瞬間にデザインを通じてユーザーに対して最適化すること。こう考えています。
●Kom&Co.Designとしての仕事
−−では携帯電話を少し離れて、Kom&Co.Designさんの自社の仕事、あるいはデザインプロデューサーとしての小牟田さんの個人の仕事についてお聞きします。基本的に企業との関係は、KDDIさんと同じような立ち位置なのでしょうか。
小牟田:場合によります。コンサルティングとして複数年契約であらゆる商品企画に携わっている場合もあったり、純粋に自分たちのオリジナルプロダクトをメーカーさんに売り込むこともあります。当社はデザインオフィスの機能もありますが、どちらかと言うとデザインを通じたビジネスコンサルタントという面も強いですね。
−−2011年は大震災、原発事故を経験し、日本にとってターニングポイントとなる年かもしれません。原発から代替エネルギーへのシフトも急がなければならないでしょう。そういった時代背景をデザインプロデューサーとしてどう捉えていらっしゃいますか?
小牟田:大震災とは関係なく、弊社では2010年から電気自動車で使用済みとなったバッテリーの活用という事業のコンセプトデザインの話がありました。ある会社がバッテリーを利用した「パワーコントロールユニット」を一般向けに販売するためのコンセプトデザインの依頼をいただきました。それは例えばソーラーパネルからのエネルギーをパワーコントロールユニットに充電すれば、その電力を家庭に蓄積して使うこともできるし、電気会社に売ることもできるのです。そういったビジネスのコンセプトメイクなどですね。
景気が悪いと言われてはいますが、日本人は緻密で頭が良いので、先の先まで当然考えているし、その先のビジネスモデルなどもほぼ組み立てているんですよ。ただ、現状では市場は未開拓。そういうリユースの市場は今後省エネの面からいろいろ展開があります。
−−バッテリーのリユース市場ですか。
それが震災直後、急加速しています。反原発を声高に訴える人たちの声が意外と通る世の中になりましたよね。やはり新エネルギーへの期待は、世の中の流れとして成立していくのだなと思います。
●今こそ、世界に目を向けたモノ作りを
−−これまでお話を聞いてきて、一般論としてのデザインプロデューサーとは何かというより、「小牟田流仕事術」みたいな感じがします。
小牟田:そうだと思います。自分が自分をコントロールしている変な感じですね。自分がやりたいことは何かと言われると「みんながやりたいこと」なんです(笑)。
−−そういう意味では小牟田さんには具体的に作りたいモノがあるわけではなく、世の中の状況を見ながら、その中で選んでいるということでしょうか。
小牟田:そうですね。17歳で自分の目標設定をしたように、今42歳の自分は目標設定を新たにし直す時期かなと思っています。
ターニングポイントは今まで3回ありました。最初は17歳の工業デザイナーを目指した時で、2度目はKDDIでディレクターとして活動させていただいた時。今は、KDDIで日本一の携帯電話をデザインしようと思っています。僕は携帯電話のデザインという意味では日本一端末を見てきているし、日本一美しい携帯電話「INFOBAR」をはじめ、素晴らしいデザイナーの方々やスタッフ、メーカーさんと一緒に成功体験を味わうことができました。次は世界ですね。
やはり、できる限りメイドインジャパンにこだわりたい気持ちはありますが、現実問題として日本だけでは難しい時代かもしれません。今はグローバルな視点で海外の携帯電話メーカーさんとご一緒させてもらっていますけれど、僕たちのノウハウや日本的なモノ作り、デザインによって、iPhoneとは違う形で世界に貢献できるものを作りたい。
同時に別のアイテムで、世界標準や制覇とか野望的な話ではなく、狭い業界でもいいので「これってスタンダードだよね」って、その業界の人が分かってくれるようなアイテムを、国籍の垣根を超えたモノ作りをしていきたいです。今後どうしたって市場はグローバルになっていきますから、その中で日本人として、世界に通用するグローバルな製品を手がけていく先駆けになりたいです。
−−iPhoneもAndroidも、あるいはパソコンの時代から、基本ソフトはアメリカが作ったものをベースにしています。それに対して日本がこれまでしてきたことはハードウェアの製造でした。そのハードウェアの製造自体が、今や中国などに生産拠点が移転していった。つまり設計図はアメリカが書いて、製造はアジアが行う。では日本は何をやればいいのかというような議論があると思うのですけれども、小牟田さんは答えを持っていますか。
小牟田:緻密なモノ作り。これに命をかけられる人種は世界中に日本人しかいないと思っています。
製造そのものは中国や他の国に委ねたとして、デザインや品質といった面では日本の経験値は大きく役立つと思っていますし、それぞれのブランドやコンセプトなどの世界観を描き出すことも、我々日本人の役割ではないでしょうか。
−−しかし、ワールドワイドに勝負しようとしたら、実は意識の成熟度も含めて、日本製品のクオリティを求められていない場合が多いですよね。例えば後進国のニーズに対して、ジャストな製品作りというのは日本の場合クオリティが高すぎるように思います。
小牟田:確かに過剰品質は不要ですね。無用なコストアップを生みます。ただ到達点が高いものを落とすことは技術的には楽なことです。ですが残念ながら日本企業はそういう方向でのチューニングをこれまで得意としてこなかった。
−−これまでずっと、一番を目指したモノ作りをしてきましたからね。逆にその辺の落としどころはデザインプロデューサーの仕事かもしれませんね。
小牟田:ユーザー目線で客観的に見たブランドや製品のコーディネイトを、僕らみたいな会社に一回組んでみようという度胸のある会社さんがあれば、ぜひご一緒させていただきたいですね。世界を狙ってみようよ、と本気で狙うのであれば、社内の雇用も分かりますが、それではまだまだ村社会な価値観です。その企業のコア技術は何か、グローバルな視点でモノ作りを行いたい。
今はトップスペックを求める時代ではありません。やはりコストとのバランスとスピードが重要な中、誰が誰のためにどんなモノをどんなタイミングで提供するのか、過去の市場背景を踏まえた上での新しさと深い魅力の追求と提供。これが必要なのだと思います。
−−ありがとうございました。
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