レザープロダクトのPRIMITIVE MODERNを展開する福間祥乃氏は、視覚伝達デザイン、生態心理学といったアカデミックなバックボーンを持ちながらも、結果的にプリミティブでモダンな、分かりやすく親しみやすいモノ作りを行っている。氏のモノ作りへのアプローチを語っていただいた。
福間祥乃(ふくま よしの)
武蔵野美術大学・同大学院にて視覚伝達デザインを学び、東京大学大学院にて生態心理学を学ぶ。2003年にプロダクトブランド、ten-senをスタート。2006年頃よりレザープロダクトを中心とした現在の活動形態となり、2009年3月よりブランド名をPRIMITIVE MODERNに変更。プリミティブな直感的面白さを持ちつつ、モダンな物体としての存在感を持ったモノというコンセプトでレザープロダクトのブランド、PRIMITIVE MODERNを展開する。
http://www.primitive-modern.com/
●武蔵野美大、東大、そしてten-senの活動へ
−−武蔵野美大は大学院まで進まれましたが、視覚伝達デザインを勉強されたのはどういったきっかけからでしょうか。
はい、武蔵野美大の視覚伝達デザイン学科で学びました。予備校時代には、グラフィックの雑誌などで、グラフィックデザイナーの勝井三雄さんのデザインにとても惹かれ、デザイン誌のバックナンバーを探したりしていろいろ見ていました。当時、勝井さんは視覚伝達デザイン学科の客員教授でしたが、私が入学した年に主任教授になられました。
勝井さんのデザインには、幸福感を醸し出しているようなイメージを感じたように記憶しています。18歳くらいでこれからデザインを学ぼうと思った時に、幸福感を醸し出すようなイメージに惹かれたのは、いまだに不思議な気もするのですが、その時の自分にとって、とにかくハイレベルな創造的境地に惹かれたのだと思います。
−−グラフィックデザインの道を進もうと思っていたのですか。
もともとポスターを作るようなことが好きだったので、グラフィックデザイナーを目指していました。しかし、私が大学に入った年というのが、ちょうどMacintoshが個人ユーザーレベルでもデザインに使用されるようになってきた最初の年で、ニューメディアの世界が急速に見え始めてきました。その頃のMacの勢いは本当にすごくて、1年生の夏はほぼ誰も持っていなかったMacを、3年生になる頃には全員が持っているという状態でした。
そしてMacを使って、それまで見たことのないようなものを周りの皆がどんどん作っていました。またMacから少しだけ遅れてメールアドレスや携帯電話を持つようになり、コンピュータ&インターネット&モバイルの世界が、動き出していくような時期でした。その刺激的な状況の中で、自分なりに今後デザインしていくために、まず視覚情報と人間の感覚の関係性自体について捉える目をきちんと持ちたいなと思いました。
−−なるほど。そして東大の大学院で生態心理学を学ばれるわけですが、福間さんの中ではどのようにつながるのですか。
視覚伝達デザイン学科にいた時期には、視覚情報は日々常に私達を取り囲んでいるものですが、そこにはさまざまな重要なことが表れているし表されていると感じるようになりました。そして私もこうした情報を扱いながら、何かのメディアに展開したいと思っていました。
この視覚情報と人間の感覚の関係性やニューメディアへの興味を、いろいろな方に話しているうちに、視覚伝達デザインの先生方や当時ATR研究所にいらっしゃったロボット研究の先生などから、ジェームス・ギブソンの「生態学的視覚論」をすすめられ、調べるようになりました。
「生態学的視覚論」というのは、ご存知の方も多いと思いますが、環境というものを、モノの集合としてではなく、面の集合でできていると捉えるところからスタートし、環境を構成しているさまざまな面と生き物の関係について考えていくものです。
そして、視覚伝達デザイン学科内でグループを作って勉強会を重ね、日本におけるこの分野の第一人者である東京大学の佐々木正人先生に、特別講師として来ていただいたこともありました。そしてその後さらに佐々木先生のもとで学ぶことになりました。
−−クリエイターというより学者のスタンスを感じます。視覚伝達デザイン、生態心理学を学ばれつつ、その背景ではパーソナルコンピュータの洗礼を受けた世代なのですね。
そうですね。進学したのが東大だったので、当時から学者を志望しているように思われることが多かったように思いますが、自分ではデザインすることのために環境というものの捉え方を学びたかったのです。
コンピュータに関してですが、2000年前後の時期は、アカデミック系とデザイン系の領域が、コンピュータとインターネットによって、重なり始めた時期でした。私もそういう流れの中にいたのだと思います。
−−学生の間で、道具としてコンピュータ抜きでは仕事にならないという感覚は、当時もうありましたか。
あったと思います。デザイン系の学生は、コンピュータで夢中に製作していましたし、コンピュータと人間の関係や状況自体がどうなっていくのかを一生懸命考えている人も多く、そのまま大学の研究室に関わったり、メディアアーティストになっていく友人もいました。
−−今ではコンピュータは思考や手足を拡張してくれる単なる道具で、もう日常的に落とし込まれていますが、90年代後半は「何かあるんじゃないか」と可能性が先走っていた。幻想もあったように思います。
そうですね。確かに未来ははっきり見えるものではありませんでしたが、可能性を感じられたために、皆が突き進んでいっている感じでした。しかも今も持続している人が多いです。
●ten-senからPRIMITIVE MODERNへ
−−東大大学院に在籍中の2003年にten-senをスタートされました。ということは、インハウスデザイナーなどの経験はまったくないのですか。
はい、ありません。しかし幅広くいろいろ新しいことに関わらせてもらっていました。知人のデザイン事務所や、広告代理店のユビキタス系の基礎研究、ロボット研究者のプロジェクトなどに関わったりしていました。
−−ten-senはデザインを生かしたビジネスとして、自ら望んでスタートしたのですか。
そうです。学ぶうちに「生態学的視覚論」の世界での感覚が、自分のリアルワールドの感覚に直結して仕方なくなってきまして、その感覚を日常的なアイテムに展開したくなったのです。それでten-senを2003年にスタート、最初は1人で製作していました。スタートから2年半後には、全国展開の大手のオンラインショップや通販雑誌での販売も開始しました。その頃その通販雑誌の上位ランキングのリストを見たら、法人でないブランドはten-senだけだったこともあったので、今から考えると無謀だったように思いますが、職人さんの手も借りずに抜き型で型抜きもせずに全部1人で製作していました。そして3年経った頃に、初めて職人さんに製作過程の一部を依頼することにしました。
−−ten-senというネーミングの由来を教えてください。
その頃は、「点と線」が、人の基本的な思考形態であると思っていました。抽象的なイメージですが、自分のデザインも、面白さの「点」を並べたものから全体としての「線」を見いだしてもらいたいと思ったのです。
−−ten-senのスタート地点がそもそも福間さんの純粋な思考の結実という印象があります。ビジネスというより、もう少し個人レベルのアート作品、あるいはクラフト的に立ち上げたのでしょうか。
個人レベルだったとは思います。しかし、アート作品・クラフト作品という意識はほとんどなく、個人レベルのデザイン活動という意識でした。
−−学生時代にどんなメディアに関わればいいのか悩まれた時期があったということですが、ten-senを立ち上げるに際して、その辺の悩みは解消したのでしょうか。
そうですね、解消し始めたと思います。自分はどんなメディアが関わりやすいのかずっと探していましたが、「生態心理学」の世界で得た自分なりの感覚を、直接デザインしながら反映させやすいメディアとして、レザーのモノ作りを選ぶことになりました。
レザーのモノ作りでは、例えば開発中や完成後に、ポンとモノを誰かに見せた時、相手の反応が、とてもはっきりしています。その、瞬間的・総合的・直接的に答えが返ってくるところが大変リアルで新鮮に感じられたのです。
また、革は平面的素材なので、Macを使えば正確な図面が作れて、いろいろなバージョンをどんどん試せるということにも改めて気がつきました。そして、組み立てると立体的で質感豊かな物体になることや、愛着を持って使っていると育つように変化していくことにも、意味や面白さを感じました。
−−ten-senというレザーシリーズは、ten-senとしての活動の最初から作られたのですか?
はい。そうです。ten-senシリーズの特徴は、レザーに57ミリごとにDOTをあけた面ですが、この面の、レザーのソフトさとプロダクトのハードさを併せ持ったような印象が面白いと思いました。
シリーズとして、名刺入れ、手帳カバー、デジカメケース、眼鏡ケース、小銭入れ、小物入れや、さまざまなサイズのバッグ、壁かけなどを、デザインしました。どれも57ミリごとのDOTのある面をデザインの基本にし、それを革やゴムや麻のひもでつなぐことで、面の大きさや配置を調整し、機能性を作り出すシリーズになりました。「生態学的視覚論」での面の集合という世界の捉え方をイメージしながらデザインしていました。
−−どうして57ミリなのですか。
人の持ち物を収納するアイテムを考える時、その一番小さな収納単位は、手のひらに収まるくらいのサイズではと思ったからです。そして、57ミリというサイズを選んだのですが、57ミリごとのDOTというのは、レザーにあけた時に、視覚的にも、レザーのソフトな素材感と、DOTの連続が生むハードな緊張感とのバランスが、いろいろ試した上で一番ちょうど良く思えました。
−−お話を聞いていると、わりと必然的というか、自然な流れだったのかもしれませんね。革のモノ作りという点で、職人的なスキルはどうやって身に付けていきましたか。師匠がいたのでしょうか。
スタートから3年後に職人さんと相談するようになるまでは、革の技術に関しての直接的な師匠はいませんでした。基本的なところは高校生の頃から東急ハンズの革コーナーになんとなく10年くらい通って、いろいろ作っているうちにだんだんに覚えていったものでした。
−−職人技を学ぶとフォーマットから出られなくなる可能性もあります。
そうですね。職人さんの技というのは、私も本当は身につけたいと思うこともあるのですが、職人さんに追いつけるものでもありませんので、私の場合は、技以外の部分を鍛えた方がいいのではと思っています。そして実際、職人さんと話すと、私のアイテムの作り方には驚かれることも多いです。
−−福間さんの革のアイテムに対するアプローチはすごく斬新で、職人さんから見ても「面白いことをやっているな」という感じなのではないでしょうか。
はい。例えば当初からの定番アイテムである「ten-sen MINI BAG」について言えば、普通のバッグは何個かのパーツを縫い合わせてできていますが、このバッグは1枚のレザーを折り曲げてできた構造をそのままバッグとして生かしています。このシンプルで丈夫な構造について、職人さんにほめられた時はうれしかったです。
お財布の「TEN-TEN wallet Double」も、製作をお願いしているメーカーの社長さんが、このお財布の実物サンプルを初めてご覧になった時、「こんな穴のあいた財布なんて世界中探してもないですよ。」と驚かれました。
−−師匠もいなければ目指す人もいなかった。純粋に自分のアイデアを自分だけで形にしていったのですね。
直接的に職人技を教えてもらう師匠というのはいなかったです。しかし、自分のイメージしたものを作ってみたいという気持ちがありましたので、いろいろ作っていました。
それにスタート当初も、同じようにセルフプロデュースでレザーやその他の素材でモノ作りを進めている何人かの先輩デザイナーとのありがたい出会いがいろいろあり、モノ作りを続けていくためのアドバイスをたくさんいただきましたし、視覚伝達デザイン領域の師匠からも全体的な方向性などについて、時々アドバイスをいただいていました。
−−2009年に、ten-senからPRIMTIVE MODERNという名前に改名していますがそれはなぜですか。
ブランド名「ten-sen」の由来については先ほどお話しした通りで、私が「基本的な思考形態」と思っていた「点と線」をブランド名にしていたのですが、実際に「ten-senシリーズ」は「点と線」でできていましたので、そのイメージのまま、次第に単純に「点と線」で作られたモノのブランド、と捉えられることが多くなっていることに気がつきました。
改めて、自分の目指しているデザインについて考えたところ、モノとして、原始的であり現代的、つまりプリミティブな面白さを持ちつつモダンなイメージを持つモノを作りたいと考え、「PRIMITIVE MODERN」という名称に変更しました。
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