●ハニカムデザイングループが現在に至る経緯
−−まずこれまでの流れを、戸島さんの経歴を軸に振り返っていただけますか?
戸嶋:私は音楽が好きで、中学生の頃はマエストロ、指揮者になりたくて、特にデザイナーを目指していたわけではなかったです。10代の頃はクラシックもロックも好きだったので音楽系で仕事ができればと思っていました。高校時代には、ロックバンドでヴォーカルを担当、大阪のライブハウスで活動していたのですが、高校を卒業する頃には音楽で身を立てるのは現実的ではないと考え、音楽の道は諦めました。
−−その後就職されたのですね。
戸嶋:はい、クルマも欲しかったので、叔母の紹介でガス器具のメーカーに入社しました。当時、1991年頃、私は19歳でしたが、バブルが弾けたばかりでまだ就職はそれほど難しくなかったですね。入社後、商品開発部門に配属され、でき上がってきた製品を図面と照らし合わせて測定器具でチェックする仕事をしていました。4~5年その仕事をこなしていくうちに、先々のことを考えるようになり、23歳の頃に独立を意識し始めました。新しく何かをするにはスキルもお金も必要だろうということで、会社を辞め、派遣で働きながら技術系の専門学校に通い、そこでイラストや図面を学びました。最初の会社で商品開発に携わっていたので、そういったノウハウや興味を生かせるモノ作り系の仕事で独立したいと考えていました。
−−最初の会社で現在への方向付けも決まっていたのかもしれませんね。
戸嶋:はい、その専門学校を卒業後もすぐには独立せず、一度デザイン事務所に就職、そこの設計部門で働きました。デザインをカタチにしていく仕事で、デザイナーの話を聞きながら、図面を起こしていました。当時はまだAUTO CADなど2次元CADの時代でしたね。板金モノ、樹脂成型などの工業製品がメインでしたが、そこでエンジニアとして8年間勤め、デザイン、設計、加工、製造など一通りを学びました。
−−そしていよいよ独立ですか。
戸嶋:6年目くらいで設計部門のトップにしていただき、それから独立に向けて2年間準備を行い、8年目の2008年に独立しました。34歳のときです。設計部門にいた志を同じくする3名と一緒に独立したのですが、設計部門を別会社にしたという面もあり、最初は元の会社からの仕事の受注が中心でした。
−−ということは、最初は暖簾分け的な独立ですか?
戸嶋:そうですね、分社的な。最初は社名も現在のハニカムではなかったです。
●独立後はネットで営業
−−戸島さんは新会社で何を作りたかったのでしょうか?
戸嶋:さまざまなコンシューマ系のプロダクト、モノ作り全般ですね。前の会社では下請けとして電気系の同じような製品しか作れなかったので、フラストレーションもありましたね(笑)。
−−新規の仕事を得るためのプロモーションなどどうされました?
戸嶋:2008年4月に設立したのですが、前の会社から派遣の業務委託の要望がありました。それで私自身が平日は派遣先で仕事をしなければならなくなりました。新会社は日中、社長不在になってしまい(笑)、営業もままならない状態でした。そこでネットしか頼れないので、ホームページ上で「設計します、デザインします」とアピールしました。そのうちにホームページから新規のお客様の発注、問い合わせが徐々に増え、会社に残っている3人で業務をこなしている状態でした。また、派遣先の仕事は医療機器の設計でしたが、その経験はハニカムのその後の活動に役立ちました。5年続きました。
−−Webサイトでの営業もなかなか有効ですね。
戸嶋:いやー、助かりました(笑)。それがないとどうなっていたことやら。
−−Webサイトでは御社のどういった特徴を打ち出したのですか?
戸嶋:一番は「デザインも設計も両方できます」という点です。これはなかなかないですね、とお客様からも言われました。ここが一番お客様に響いた差別化のポイントだったと思います。
−−「デザインエンジニアリング」という言葉もあります。ダイソンなどその好例ですが、日本でその両面を実践しているところはけっして多くはないですね。
戸嶋:日本ではまだまだ「デザイン」と「エンジニアリング」は別ですからね。ウチの強みはそこです。
−−お客はどういった方々が多かったですか?
戸嶋:個人から大手企業まで、さまざまです。業種もさまざまです。リーズナブルな価格設定ということもあり、個人の方からかなりこだわりのあるオリジナルパソコンケースの製作依頼などもありましたね。一方で大手家電メーカー様の仕事の受注もあります。コンシューマーから家電、産業機器まで、さまざまです。
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