●PROOF OF GUILD設立のきっかけから現在まで
−−最初に竹内さんがデザイナーを目指されたきっかけ、ジュエリー制作の経験から現在に至る経緯を振り返っていただけますか。
竹内:高校生のころ、革のカバンを自作しようとして、カバンに使う金具も自分で作りたいと思ったのがきっかけです。彫金教室に行って金具が作りたいと相談したら、「まずは指輪を作って練習しなさい」と言われたので指輪を作り始めました。指輪作りが意外と面白くて、だんだん興味が湧いていきました。
−−そもそも高校生が自分でカバンを作ること自体が珍しいですよね。
竹内:私は今35歳になりますが、高校生だった当時は今ほどインターネットが発達していなかったので、雑誌で情報を仕入れていました。実家が愛知県の蒲郡という田舎だったので、雑誌を見たところでそれが売っているショップはないのですよね(笑)。
−−現実的な問題(笑)。
竹内:ですので、雑誌に載っているカバンが欲しいというより、自分で使うのだったらこういうカバンにしたいというところから自作することにしました。
−−カバン作りをきっかけに彫金教室に通い始め、そこで指輪作りの面白さに出合ったわけですね。
竹内:高校卒業後は名古屋の彫金の専門学校に通いながら1年半くらい、あるジュエリーの工房でお手伝いをさせてもらっていました。もちろんすぐに食べていけるだけの給料をもらえませんでした。独り立ちしたい思いが当時強くあったので、専門学校を卒業するときに工房の方に相談したら「そこまで言うなら自分でやってみろ」となりまして(笑)、20歳の頃に自分でジュエリーの磨き屋をスタートしました。
−−磨き屋とはどういった仕事なのでしょうか?
竹内:自宅で、磨いては納品する、石を留めては納品する、という仕事です。
−−20歳で独立ですか、すごいですね。
竹内:勢い余ってスタートしました。でも1ヶ月磨き続けても本当にお金にならない。そこで夜は飲食店で働いて、昼に指輪を仕上げるという生活を続けていました。当時、専門学校時代の恩師に、仕事以外の自分の作品を見てもらいに行っていたのですが、その先生が名古屋に行くきっかけを作ってくれました。「場所を用意するから名古屋へ出てきなさい」と。その先生が飲食店を立ち上げて、夜はそこで働きながら、昼は指輪を磨くという生活を今度は名古屋に場所を移して始めたのです。
−−なるほど。
竹内:2年経って、再びその先生がきっかけを作ってくださって、名古屋で自分の店を始めることができました。
●職人+デザイナーの日々
−−それがPROOF OF GUILDのはじまりですか?
竹内:はい。今の妻と一緒にお花とジュエリーのオーダーのお店として2002年にスタートしました。
2年が経つころにはジュエリーの受注製作の仕事もうまく廻るようになりましたが、同時に自分1人でできる仕事の限界に気づくような、とても忙しい時期も経験しました。
−−キャパを超えたのですね。
竹内:どうしたら現状を変えていけるのか、「もっと外の人に見てもらおう」と考えて、東京でギャラリーなどをまわりました。そして運良く「個展という形で展示会をやらないか」と声を掛けてもらって、初めて東京で展示会をやらせていただきました。自分のお店だけではなく外に商品を卸すことはそこからがスタートですね。
−−お店をオープンした当初、オーダーメイドでお客さんのニーズに合わせた指輪を作っているときに、自分の作品が作れないというフラストレーションはありましたか?
竹内:はい、僕がどういう感じのジュエリーを作るのかがまったく認知されていない状態でスタートしているので、「こういうデザインが欲しい」というオーダー率はすごく高かったですね。
−−普通のお客さんは既存の指輪のイメージがすでにインプットされていて、「こんな感じで作ってください」とリクエストするケースが多いと思います。
竹内:はい、それがやはり悔しくて。自分のことを知ってもらえれば、もっと違うイメージのオーダーがくるようになるだろうと期待して、イベントや展示会にも出展し始めたのです。
−−学生時代や修行中も含めて、自分の指輪に自信はありましたか?
竹内:学生時代も含めて、周りの人の中では一番数を作っていたと思います。上手い下手を抜きにして、いろいろなことに挑戦していました。
−−ジュエリーの世界はデザイナーでありながら職人でもあって、そこが他のプロダクトと違う点だと思います。
竹内:まさにその通りだと思います。自分の頭の中で考えたものを手で起こして、完成品にしていくわけですから、デザイナー兼職人という言い方がぴったりくる職業ですね。自分で彫って作っていく作業は、ダイレクトに表現できるので僕はすごく楽しくやらせてもらっています。
●ヨーロッパからの影響
−−竹内さんの作品を拝見すると、西洋的なイメージを受けるのですが、もともとこういう感覚が好きだったのですか?
竹内:そうですね。若いときはヨーロッパなど外国を旅行していて、憧れている部分はどこかに絶対あるのだと思います。
−−ヨーロッパに行かれたのは何歳くらいの頃ですか?
竹内:21〜24歳の頃にオランダ、フランス、イタリア、スペインなどをまわりました。昔からのレリーフや建物の装飾に興味を持って見ていましたね。東洋の歴史・文化の土壌からは生まれないような、ユニークな形がとても多い。そういうものに憧れているのかもしれないですね。ただ、それをそのまま自分が表現しているというわけでは全然なくて、そういうイメージを自分なりにうまく消化した形になればと思っています。
−−なるほど。
竹内:もちろんヨーロッパの音楽や映画に惹かれた部分もあるのですが、空気感というか、古いものがいまだにたくさん残っている感じがすごく良いなと思いましたね。見たこともない道具がいっぱいあったりして。
−−そもそもヨーロッパに行こうと思っているわけですから、ヨーロッパ的感性が竹内さんの資質に合っていたのですね。
竹内:そうかもしれませんね。でもヨーロッパに限らず、外国の文化というものに当時はとても惹かれていたのだと思います。日本的とか西洋的とかひっくるめた感じではなくて、自分たちの作品が、何か新しい背景を持ったものになればいいですね。
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