リレーコラム:若手デザイナーの眼差し
第126回 和田紘典/デザイナー
このコラムページでは、若手デザイナーの皆さんの声をどんどん紹介いたします。作品が放つメッセージだけではない、若手デザイナーの想いや目指すところなどを、ご自身の言葉で語っていただきます。
●インハウスデザイナーから地元新潟に
私は地元である新潟県長岡市に移り住んで、今年で8年目になります。
それまでは家電メーカーでのインハウスデザイナー時代を経て独立、その後東京、福島と拠点を移しながら活動していましたが、本格的に工業デザインのクライアントワークを請負い始めたのは新潟に来てからのことでした。
デザイン制作を請負う上で重視しているのは、ユーザーファーストのスタンスです。使って喜んでもらえるものを、使用する人の目線に立って作ること。製品開発においての基本だと思うのですが、地方での業務だとそれをチームの共通認識とすることがまずなかなかに難しく、作り手の都合が優先されがちです。
我々デザイナーに求められているのは作り手と使い手の橋渡し役のような役回りだと思っています。そのため、相手の気分を害することなく本筋を伝えていくコミュニケーションスキルが実は重要になってくるのですが、それについてもまだまだ道半ばです。
▲「鉛筆削り刃物」シリーズ。(クリックで拡大)
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▲「極地観測車両 Navi」。(クリックで拡大)
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▲「乗用草刈り機」(クリックで拡大)
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●自ら事業を興す
仕事内容の選り好みができないクライアントワークでは、もちろん来た仕事に対して変なことを考えずに全力で打ち込むわけで、それはそれで楽しいのですが、最近は自身が興味を抱いた分野は可能であればあえて自ら事業として興してしまうことにしています。
そうすることにした理由はいろいろあるのですが、一番は経験こそが将来の糧になると考えているためです。
私の仕事の取り組み方は元々
[1.想像する]→[2.試す]
を繰り返すだけなのですが、新規事業でも行うことは大きく違わないため、心理的ハードルが低いというのはあると思います。逆に想像してしまうと試さずにはいられない性分なのかもしれません。
またこうしたチャレンジをするのに、地方在住というのは大きなアドバンテージになっていると感じます。都会と違って地理的にも心理的にも「余白」が多いため、始めやすいのです。
自身の事務所が入っている建物の1Fを改装して日本蕎麦のお店を作りました。蕎麦粉の農家を訪ねるところから始まり、メニュー開発、オペレーションまで組み立てるのはとても時間と手間がかかりましたが、1年でなんとか軌道に乗せることができました。
▲蕎麦屋「吹キヌケ」。(クリックで拡大)
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▲蕎麦屋「吹キヌケ」。(クリックで拡大)
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▲蕎麦屋「吹キヌケ」(クリックで拡大)
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2022年秋から販売を始めるシリーズものの自社製品。自らお金を出して金型を作るのというのは、今までの買い物とは違い不思議な感覚でした。販促活動や顧客対応なども含めて経験値を蓄積していきたいと考えています。
▲「MORIJI」。(クリックで拡大)
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▲「MORIJI」。(クリックで拡大)
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▲「MORIJI」(クリックで拡大)
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●仲間を集めよう
思い返せばですが、ここで紹介したすべてのプロジェクトはチームの力で形にしてきたものですし、新事業についても経営パートナーやスタッフ、協力者がいなければ実現できていません。
自己表現であるアートとは異なり、デザイナーの職域において完全な個人が成せる成果は大きなものではないと思います。良い仲間を見つけ、ともに歩んでいくことが、いつの時代も道を切り開く近道であるはずです。
次にバトンをつなぐのは、東京を拠点に幅広く活躍するデザイナーの川瀬和幸さんです。私の大学の先輩ですが、仕事も人としての器も大きな人です。お楽しみに。
和田紘典(Hironori Wada):1984年神奈川県秦野市生まれ。東北芸術工科大学デザイン工学部生産デザイン学科卒業。家電メーカー勤務の後、アートユニットTWOOLを結成。2015年新潟県長岡市にて法人化。製品デザイン、店舗プロデュース、ブランディングなどを手掛ける。受賞歴:GOOD DESIGN AWARD金賞、BEST100、ニイガタIDSデザインコンペティション準大賞ほか。
https://twool.jp/
2022年10月13日更新。次回は川瀬和幸さんの予定です。
※本コラムのバックナンバー
http://pdweb.jp/column/index.shtml#mailmag
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