リレーコラム:若手デザイナーの眼差し
第120回 石黒泰司/建築家
このコラムページでは、若手デザイナーの皆さんの声をどんどん紹介いたします。作品が放つメッセージだけではない、若手デザイナーの想いや目指すところなどを、ご自身の言葉で語っていただきます。
●アーキテクチャーとビルディング
アンビエントデザインズという名前の建築設計事務所を主宰しています。
建築設計事務所と掲げたものの、建築というものがよく分からないでいました。建築をやっていますと言うのだから、分からないながらも少しは説明がつくようにしなければと考えていたときに興味を持ったのが、「アーキテクチャー」と「ビルディング」という言葉です。
この2つの英単語は誰もが耳にしたことがあると思います。和訳するとアーキテクチャーは建築、ビルディングも建築です。ただし、字面も大きく異なる2つの単語は、同じものを指しているわけではなさそうです。もう少し2つの単語の使われ方を探ると、その違いが見えてきます。
ビルディングはもっぱら物質としての建築や産業としての建築、つまり建築物を指す場合に用いられ、アーキテクチャーは学問領域や歴史的な建築様式などに用いられる傾向がある。つまり、アーキテクチャは必ずしも建築物とは限らない、概念や総体として捉えると理解しやすいのではないかと考えはじめました。
●物質と出来事
2018年に10年ほど過ごした東京から名古屋へ拠点を映すことにしました。
とにかく何かをしなければという気持ちで、《「物質」と「出来事」から考える建築》という企画を立ち上げました。この企画は、各回異なるゲストを迎え、それぞれの仕事や取り組みの中での「物質」と「出来事」の関係性を題材に対話をするというトーク形式のイベントでした(写真1)。
▲写真1:アンビエントデザインズのオフィスを会場として開催された対話型企画《「物質」と「出来事」から考える建築》の様子。ゲストは建築家の設計による集合住宅の管理人、デザイン事務所主宰者など、デザインのつくり手とつかい手を横断するように計画された。(クリックで拡大)
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「物質」と「出来事」というテーマを考えるようになったのは、建築を取り巻く状況の変化がきっかけです(写真2)。2011年の東日本大震災のあと、建築の分野の様子は一変しました。
▲写真2:「物質」と「出来事」の関係性を表したダイアグラム。対話型企画の冒頭でも前提の共有として用いていた。(クリックで拡大)
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それまでの建築の議論の中心は空間であり、空間をつくる形式についてでした。震災以降は空間を取り巻く活動や活動主体(コミュニティ)、そして、どのような仕組みで空間をつくるかということに変わっていったように感じています。その変化と大切さを肌で感じつつも、これまで議論や模索がされていた空間の問題の欠落に疑問を感じていました。
あるとき、日本を代表する建築家の1人である丹下健三が、専門誌にこんな一文を残していることを目にしました。「建築の創造は現実の認識の1つの特殊な形態である。それは物質的用役を建設することによって現実に働きかけ、それを改造していくものであり、またその芸術的な形象は、現実を反映しつつ、さらにそれを豊かにしていくという複雑なかたちをもったものである。」(※1)。
これを読んだとき、もやもやとしていた建築への理解に光が差したような気持ちになりました。ビルディングとは異なるアーキテクチャーとしての建築は、物質によって出来事を想定し得なかったものへと好転させていく発見的なものであると確信したのです。
つまり、物質と出来事の双方向の関係性こそが、建築の創造行為なのだと理解したのでした。
●複雑なかたち
最近は「複雑なかたち」という考え方に関心を持っています。
2020年秋から愛知県一宮市で取り組んでいる《一宮市ウォーカブル空間デザインプロジェクト》という都市計画プロジェクトの一貫として、2021年に「ストリートチャレンジ2021」と称した社会実験(※2)を行いました。
わたしたちが実施したことは大きく分けて2つあります。1つは、週末の2日間、駅前通りを通行止めにして、体験型、飲食、物販といったイベントを行ったこと(写真3)。
▲写真3:JR尾張一宮駅の駅前通りである銀座通りの通行止め時の様子。非常に多くの人でにぎわった。(クリックで拡大)
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もう1つは1ヶ月の間、「路上建築群」と呼んでいる、大小さまざまな3種類の構造物を駅前通りに点在させたことです(写真4~6)。
▲写真4:JR尾張一宮駅の駅前通りである銀座通りと《路上建築》の様子。奥に見えるのが駅ビル。駅ビルが完成して以来、銀座通りの滞留人口は駅ビル内へと吸収される傾向があったが、路上建築によって銀座通りへの人流も僅かながら復活した。(クリックで拡大)
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▲写真5:幅員約35mという、交通のスケールの色濃い銀座通りにヒューマンスケールをつくり出す。利用者は塾通いの小学生、仕事中のサラリーマン、買い物中の高齢者と、こどもから高齢者まで幅広く観察された。(クリックで拡大)
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▲写真6:奥の中規模構造物が《路上家具A》、手前の白い座面のベンチが《路上家具B》。路上建築とこれらの家具が点在することで遠近感のあるランドスケープ的な空間を道路につくり出している。(クリックで拡大)
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まさに先述の物質と出来事の双方向の関係性で空間をつくる試みでした。このとき設計した路上建築群を振り返って生まれた言葉が「複雑なかたち」です。
社会実験は公共事業であり、建築をつくるにあたって立場の異なるさまざまな人から意見が提示されます。このような状況下では、常に意見同士の矛盾が起こります。場を収めるべくどちらかを切り捨てれば、切り捨てられた意見の持ち主はいい思いをしないことはあきらかです。このように対立しかねないさまざまな声を重ね合わせることでできあがる、一見分かりにくい成り立ちを持つ物質の状態を「複雑なかたち」と呼んでみることにしました。
たとえば、路上建築には地元のお祭飾りの色をあしらった壁面があります。この部分を好意的に受け取る人がいる一方、壁が通行者の視界を遮り、危ないのではないかという意見を出す人がいました。どうしたものかと考えた結果、壁を残しつつ、穴を開けることにしました。しかしながら、壁は構造上の役割を担っていたので、斜めの補強材が出てきました。このようなプロセスを経て、路上建築はカラフルな半円と三角形のような図が現れた立面を持つことになりました(写真7)。
▲写真7:半円型の開口と斜材の構成、一宮の七夕まつりの飾りから引用した配色が特徴の立面。(クリックで拡大)
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この立面は、はじめからこのような意匠を目指してデザインされたわけではありません。複数の声の結果がかたちとして現れてきたというものですが、この路上建築の物質的な特徴の1つとなっています。そして、一宮の路上建築群にはこうした物質的特徴が他にもたくさんあります。
このプロジェクトを通じて、さまざまな声をくぐり抜けた複雑なかたちは、とても象徴的でありながらも、どこか自然に見えるという不思議な魅力を持つのではないかと考えるようになりました。万人に好かれるものをつくりたいという話ではありませんし、無理難題をすべて受け入れようというわけでもないのですが、そんなかたちが建築の表れ方として可能性があるのではないかと最近関心を持っています。
そして、先ほどの丹下健三の言葉を見返すと、文末に同じ表現がありました。
「建築の創造は現実の認識の一つの特殊な形態である。(中略)その芸術的な形象は、現実を反映しつつ、さらにそれを豊かにしていくという複雑なかたちをもったものである。」
彼と僕の言葉は恐らく異なる文脈によるものですが、ともあれ建築の面白さの1つが「複雑なかたち」にあることは一理ありそうです。
石黒泰司/TAIJI ISHIGURO
1988年愛知県名古屋市生まれ。2013-2016年株式会社久米設計。2017年ambientdesigns設立。2019年~大同大学工学部建築学科非常勤講師。2020年~名城大学理工学部建築学科非常勤講師。主な受賞歴に、一宮市ウォーカブル空間デザインプロジェクト(基本構想)プロポーザル最優秀者、第53回日本サインデザイン賞入選、第11回愛知県建築コンクール入選、日本空間デザイン賞2021Longlistなど
※1:丹下健三『現代建築の創造と日本建築の伝統』/『新建築』新建築社、1956年6月号
※2:公共空間の利活用のための仮説的な取り組みのこと
2022年4月18日更新。次回はVegetable Recordさんの予定です。
※本コラムのバックナンバー
http://pdweb.jp/column/index.shtml#mailmag
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