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コラム
イラストリレーコラム:若手デザイナーの眼差し

第104回 河上真理/デザイナー

このコラムページでは、若手デザイナーの皆さんの声をどんどん紹介いたします。作品が放つメッセージだけではない、若手デザイナーの想いや目指すところなどを、ご自身の言葉で語っていただきます。




私はデザイナーをしながら、香りを作り出す仕事も行っている。これまでとこれからを書こうと思う。

大学院を卒業した後、デザイン会社を設立。これまでデザインにまつわるさまざまな仕事を行ってきた。それと並行して調香師の勉強を続け、今年で5年目に入る。今後は香りを中心とした周辺のプロダクトや空間のデザインを行っていこうと考えている。

●香りとデザイン

調香師という職業は特殊である。高度で閉ざされた世界の中に存在していてあまり表に出る機会はない。私は調香師ではない。調香師というよりも香りのデザインをする人を目指している。

限定された価値観のもとで特化され、小さく閉ざされた世界で完結するよりも多くの人に広く開かれた世界に興味がある。記号論者たちは何かを伝えようとして意図を持って使用されるものをコミュニケーション的kommunikativと呼ぶ。デザインが他者とのコミュニケーションツールの一種であるのなら、目的をもった香りも十分にコミュニケーションツールとなりえる可能性を秘めているだろう。


●嗅覚の働き

嗅覚という感覚は本能的でありとても感情的である。匂いは言語で書かれたものや音楽、絵、映像ではたどり着けない直接的で情緒的な働きをする。その理由は脳科学によると、匂いに反応する中枢が記憶をつかさどる海馬に近い位置にあるからだといわれている。匂いは瞬時に、脳の奥に仕舞われた過去の記憶を生き生きと甦えさせることができる。嗅覚は視覚的感覚よりはるかに強く、意識に印象づけられる最高の表現手段である。

●興味をもったきっかけ

香りに興味を持ったきっかけは藝大の卒業制作の研究からだ。授業で化粧品会社の香料部門の方とお話しする機会があった。香りを操れば味覚さえ左右できるという話がとても興味深く、その後、個人的にリサーチを重ねていた。

そうしているうちに知人から視覚障害者の生活を体験できる施設を紹介された。そこでは完全な暗闇の中、数時間にわたり、視覚障害者の生活を擬似体験することができた。最初は恐怖で歩くことすらできないが目が暗闇に慣れてくると、視覚以外の感覚がだんだんと鋭くなっていく。近くにいる人の息遣い、触れた手の感触、周辺を取り巻く音、そして何よりも嗅覚の感覚が研ぎ澄まされた。足の下の土の匂い、出されたコーヒーの香り、視覚以外の感覚で世界を捉える新鮮さと鮮やかさに圧倒された。

その経験があまりに強烈で忘れられず何か嗅覚に関連した研究をしようと決めた。



▲香りの最初の作品「きび」。機微とは表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情のことである。感情は、心はその人自身でも気づかないほどに繊細で複雑に折り重なる。それらは一瞬にして立ち現れては、消えていく。わずかな跡を残してとどまるその残り香を私たちは空間を通して他者と共有している。香りは環境を作る。環境が空間を作り、そこに私たちが存在している。この作品はそんな言葉では一律に現せない感情の要素を香りと対応付け、図・立体・香水により統合的に表現することで、コミュニケーションの手段と出来ないか、という試みである。(クリックで拡大)



(クリックで拡大)




●ミラノでの展示

ミラノでは2回、展示に参加した。見にきてくれた方の何人かは香りを嗅いで泣き出してしまった。

ある女性が1日に何度も足を運んでくれたのが印象的だ。彼女はかなしみという香りを嗅いで、幼い頃に別れた友人を思い出したらしい。長年忘れていたような感情を突然思い出し、とても混乱したけれど彼女のことを思い出せて良かったと話してくれた。ゆりとスズランをベースにしたその香りは幼く儚い香りで、私もちょうど小さな女の子をイメージして調香をしていた。

彼女との感覚の共有はほんの一瞬ではあったけれど、それは私にとって感動的な出来事だった。香りには言葉を超えて通じるものが確かに存在していて、環境や性別、ときには人種さえも超えて共感し合えるものがある。

展示を行うたびに、何人かの人はまるで咳を切ったかのように自身の記憶や体験を話してくれる。匂いを嗅いで忘れていた感覚や記憶を思い出し、癒されたと話してくれる人たちを見ていると、繊細な心を持ち続けて生きていくには現代社会は優しくないのかもしれないと感じる


●可能性とこれから

これまでの研究で、匂いは気分、ストレス、不安、覚醒、記憶の喚起、注意の保持、問題解決、漠然とした刺激の知覚認識作用、ぐずったりする単純な行動にも効果があるということが証明されている。香りを利用することにより多岐にわたる心理学上、行動学上の効果が成し遂げられ得られることは近年の実験や実例で証明されているが、その研究はまだほんの入り口にしか立っていない。

嗅覚は大脳の感情中枢と直接のつながりをもつが認識と言語中枢には間接的にしかつながっていないため、匂いの好ましさは即座に分かってもその理由を言葉で説明するのは難しい。

匂いは理念や概念と結びつかない。見ることや聞くことは高い精神性をもつが、嗅覚・触覚は本能的すぎて精神活動的には低いのかもしれない。これこそが他の感覚から引き離されて、大きく研究が進んでいない理由の1つだといえる。そこで調香師という特殊な技能をもった人間が香りを言語化して製品にしていく。しかし調香師の世界は我々からは少々遠い。閉ざされたその世界にデザインという視点が入ることで新たな展開を迎えることができるのではと常々考えている。


▲「cellule」。現在進行しているプロダクトは紙のアロマデュヒューザー。真鍮の小さな土台に紙の花のような物が乗っている。紙は香水のテスターに使うムエットという紙でできていて香りをつけると数時間柔らかな匂いを発する。紙には無数の穴を開けており、日中は窓辺の光を通し、夜は明かりが地面に影を落とす。(クリックで拡大)
 


●香りのプロダクトの可能性


人は誰しも何かしらのトラウマや傷を抱えて生きている。もし弱さやコンプレックスというものに対峙し克服することができたなら、それは揺るぎない強さに変わっていくだろう。ネガティブな感情はポジティブな力への大きな契機となる。心は言葉にできない。だが人間は心に支配されている生き物だ。

自身でも理解できないような漠然とした不安や怒りを抱えていた時、それを自分の弱さだと抑え込んで我慢することなく、緩和させ受け入れることができるものがあるとしたら人はもっと生きやすくなるだろう。私はここに嗅覚という感覚が大きな助けになっていくのではないかと希望をもっている。

最近の香りの依頼は、心の内面の充足に注目したものが多くなってきている。コロナのリモートワーク下で効率よく働くための環境を作ることができないか、突然落ち込んだ時に元気になれる香りはないかなど、匂いに関する人々の価値観は確実に変化してきている気がする。

私は香りを単なる一過性のファッションではなく、傷ついた人の心を慰め、自分自身の力で立ち上がる助けになるようなものへ展開させたい。さまざまなプロダクト製作はもちろん、空間においての香りの役割について考えることも重要だ。そしていつかはそれらをより高度なコミュニケーションを可能とするツールへと昇華させていきたいと考えている。



河上真理/Mari Kawakami
福岡生まれ。2013年武蔵野美術大学基礎デザイン卒業。2016年東京藝術大学デザイン学部修士課程修了。2017年tunnel design設立。展示:2018年Milano Salone Satellite 出展、2019年Meet my project MILAN 出展、2020年DESIGNART TOKYO 出展




2020年12月28
日更新。次回は仲野耕介さんの予定です。



※本コラムのバックナンバー
http://pdweb.jp/column/index.shtml#mailmag

 


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