リレーコラム:若手デザイナーの眼差し
第96回 荒 達宏/大工
このコラムページでは、若手デザイナーの皆さんの声をどんどん紹介いたします。作品が放つメッセージだけではない、若手デザイナーの想いや目指すところなどを、ご自身の言葉で語っていただきます。
●私の3つの仕事
私は山形県大江町を拠点に大工をしている。大学で建築を勉強し、2011年の震災を経験し、職人の道に入った。社寺専門の工務店での修業を経て家具制作の仕事につき、その後、個人事業として大工を始めて3年目になる。ここではいくつかの仕事を紹介しながら、これまでの経緯と現在、考えていることを言葉にしていきたいと思う。
日々、私がしている仕事は雑多である。作るモノの大きさや予算も大小さまざまある。私でなければできない仕事もあれば、決してそうではない仕事もある。新たに建てることよりも、改修する仕事が多い。そういう仕事をして生活をしている。私自身はどの仕事も同じように捉え、そこにあるモノと向き合い、役割を担おうとしている。大まかに私の仕事を説明しようとすると、「木工事の請負工事」「設計を含む工事」「その他」の3つに分けることができる気がする。
●木工事の請負工事
木工事の請負は、言葉の通り、建築物や内装が完成する過程の木工事部分のみを担当する仕事である。大規模な工事や、精度や強度が求められる工事では、仕事を分担し、組織をつくり、工事を行う。発注元は工務店や設計事務所になる。独立してからは店舗内装の仕事が多い。とはいっても実は店舗内装の工事は修業時代には一度もやったことも、見たこともなかった。
修業をさせてもらった工務店は社寺を専門とし、文化財などの工事も行っていた。今となっては信じがたいが、ビスはほとんど使わない、コンプレッサーも会社にはなかった。サンドペーパーは木材に当ててはいけないものだと教わってきた。内装の仕事はあるが知らないことばかり、という状況。工務店や設計事務所に確認しながら、知り合いの大工さんに電話で質問をし、場合によっては次の日にやることをインターネットで検索し、調べてから現場に向かった。始めたばかりの時は試行錯誤、暗中模索、トライアンドエラーの毎日だ。
その中で改めて気づいたことは、技術を担保しているのは個人ではなく、個人とその周りにある環境や状況だということだ。高度化した産業のなかでは、求められていない技術は存在し得ない。
今、修業時代と同じことをやれと言われてもすぐにはできないだろう。だが、音でそれを覚えている。技術を覚えていく過程、モノをつくる音でどんな仕上がりのどんな作業が進んでいるか分かるようになる。まともに仕事ができなかった頃、兄弟子たちはわざわざ仕事の手を止め、近くまで来て確認するというようなことは一度もしなかった。音で分かるからだ。刃物を研ぐ音でその刃物が切れるかどうかを、鑿が木の繊維を断ち切る音で穴がきちんと掘られているかどうかが分かるのだ。鉋が木の上を走る音で、その艶が分かるのだ。モノをつくるとき、音がする。モノはそのようなたくさんの情報が集まって、そこに立ち上るのだろう。私は良い音をたてて仕事をしているだろうかといつも考えながら仕事をさせてもらっている。
▲この山道を行きし人あり(山形市)。設計:干田正浩設計事務所。協力:グラフィックアカオニ、(株)マルアール。木工事を担当した店舗内装。(クリックで拡大)
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▲修業していた工務店での風景。(クリックで拡大)
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●設計を含む工事
設計工事は、施主が直接私に発注し、私が設計も担当するケースだ。そんなに事例は多くはないが、依頼者とともにまだそこにないものを想像していく作業は楽しい。しかしそれに伴う苦労も多い。もちろんそれは私に、建築設計業務という職能についての鍛錬も経験もないからだろう。
そんな時は協働する。協働にもさまざまなやり方があるように思える。チーム構成によって私の役割は変わる。作るということは変わらない。協働していくなかでもいくつかの大切にしていることがある。前提をよく話し合うということだ。私が見ている青色は相手も同じ青色に見えているかは私には判断しきれないから、よく話し合って確認する必要がある。時には、その色に新しい名前をつけてみたり、これは青色ではないのではないか、などと時間を費やす必要がある。仕事の場合、そこに意匠やデザインが必要なのか、存在するのか、我々の役割は何かということから話し合う。デザインという言葉の一部分には、その時代に「想定された人間像」がセットされているわけだが、現代に生きる私たちが協働していく場合にはその「想定された人間像」の姿から話し合う必要がある。
▲𠮷勝共同制作所(東京都)𠮷田勝信との協働。写真:𠮷田勝信。(クリックで拡大)
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▲宝飾店(山形市)設計から施工まで担当した内装の工事写真。(クリックで拡大)
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▲菓子工房(山形市)必要最低限の菓子製造所を作る工事。(クリックで拡大)
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大学時代、1年生の導入の授業でチャールズ&レイ・イームズのショートムービーを見たことを印象強く記憶している。1977年に撮られた「POWERS OF TEN」という映像作品だ。芝生の上でピクニックをする男女を真上から撮影した映像、そこから10秒ごとに10の、べき乗分、上空へと映像が引いていく。町全体を写し、大陸が見え、地球の姿が見える。さらに星雲がチリのようになる。そこから映像はまた近づき、横たわる男性の手の甲の表面を拡大していき、最後は炭素の原子核に至る。映像そのものの面白さはもちろんだが、宇宙の姿と細胞の最小単位、その形はとてもよく似ているように見えたことがとても面白く感じた。
学生時代の担当教授から「大きな縮尺と小さな縮尺を行ったり来たりすることを何度も繰り返しなさい」とよく言われた記憶がある。その、ものの見方は設計や建築のみではなく、生きる、生活するという側面においても重要なことのように思う。縮尺、スケール、モノサシは手元に何種類か揃えておいた方が良い。1つのモノサシがある瞬間から無効になるということはいつの時代にも起こってきたことだ。そのような視点を持ちながらモノをつくることは、先に話したような木工事のみの仕事においても役立っている。何が為に何を作るのかを、末端の作業員の私が理解しようとすることは決して悪いことではないはずだ。
●その他の仕事
「その他」に分類される仕事にはさまざまなものがある。まさに雑多な内容になる。作業台や本棚を依頼されることもあれば、美術家のための什器の依頼もある。展覧会の設営の仕事や、小さな木工品の試作、現場でのワークショップなども行っている。
▲本棚(東京都)𠮷田勝信との協働。写真:𠮷田勝信。(クリックで拡大)
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▲本棚(東京都)𠮷田勝信との協働。写真:𠮷田勝信。(クリックで拡大)
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▲美術作家のための什器制作にあたり、山から枝を切り出した。(クリックで拡大)
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▲AN-ARCHITECTURE WORKSHOP(山形県鶴岡市)ワークショップを行いながら作る試み。主催:日知舎 成瀬正憲。ポスターデザイン:UMEKI DESIGN STUDIO。(クリックで拡大)
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▲AN-ARCHITECTURE WORKSHOP(山形県鶴岡市)ワークショップの風景。協力:原田正志。(クリックで拡大)
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▲山形ビエンナーレ2018。絵本作家荒井良二さんの小屋を作る。(クリックで拡大)
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その中でも印象的なものの1つに「解体」のみを担当した工事がある。空き家を自邸に改修する施主からの依頼でそれを行った。建築工事自体は設計事務所が設計を行い、地元の工務店によって工事を進めるというものである。その工事から解体工事を施主が切り離し、私に依頼をしてくれた。
出張で現場に出向き、泊まり込みで3日間、施主と私の2人で解体を行った。改修工事において、解体に手間をかけられることは、建物にとっても、これから住まう人にとっても、職人にとっても、とても良いことだ。すでにそこにあった建物の痛みや腐朽、メンテナンスのされ方から、その土地の気候風土を知ることができる。そしてその結果はここを住み継ぐ人へと受け継がれる。職人は解体を通して他人の仕事と向き合い、モノを媒介に時間を飛び越え、ノウハウを受け継ぐ機会にもなり得る。表面には見えづらい、暗がりやほこりまみれの奥に、つくることやその土地で生きることにまつわる知恵が隠れているのかもしれない。建物においては、新しく作ることよりも、直すことの方が難しいと感じる。
そもそも無地の背景に1本の線を引くように、新しいものを生み出すということは人が生きている中で起こりうるのだろうか。画面上に現れる明るく自由な平地は、少なくとも私の生きている世界に存在しないように思える。直す過程、貼り重ねられた建材の奥で、時間を経た温度と湿度とともに暗がりに出会う。そんなとき、直すことと、つくることはほぼ同義だと感じる。そこに自身も参加し、汗を流す施主の姿はとても印象的だった。つくることに主体的に参加できるということは、自身の生の主体性を維持する近道かもしれない。猛暑の3日目、施主のTシャツからチラリと見えた、背中に貼られた湿布の白さ。その記憶に、私は今でも、なぜか励まされているような気持ちになる。
▲解体現場の途中、施主がとってくれた私の写真。(クリックで拡大)
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直近の仕事といえば前々回、前回のこのコラムに登場した、たんぽぽの家の岡部太郎さん、デザイナーの吉田勝信さんとの協働である。「NEW TRADITIONAL」の山形で行われた展覧会の会場構成と設営を行った。2020年の3月だ。社会的な局面が揺れている中でニュートラとは何かを考え、吉田さんとの対話を繰り返していた。会場の変更などもあり、結果としては針葉樹合板仕上げのギャラリーの壁に白い建材を大量に張り込み、大きな薄い壁を1枚立てた。壁の支持体として、コンクリートの基礎のようなものを作った。
▲NEW TRADITIONAL展示風景。写真:𠮷田勝信。(クリックで拡大)
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▲EW TRADITIONAL展示設営風景。写真:𠮷田勝信。(クリックで拡大)
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▲NEW TRADITIONAL展示風景。写真:𠮷田勝信。(クリックで拡大)
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未知なものに出会うことは自分自身の人生を育ててくれる。そんなことを長野に住む同年代の知り合いが話してくれたことがある。彼は一時期、バックパッカーだった。我々は一体どんな旅路の途中なのだろうか。
「NEW TRADITIONAL」の山形での展覧会では吉田さんが集めている郷土玩具や工芸品、名もない造形たちを他の作品と並べて展示を行った。チャールズ&レイ・イームズの自邸にもたくさんの彼らのコレクションがあったようだ。今でも自邸の映像や作品集でその様子をうかがい知ることができる。映像の中で意図的にフォーカスを当てられているモダニストのコレクションは、今回吉田さんが並べたものたち、名もなく拙い、揺れた輝きを放つものたちと酷似しているのは面白い事実だ。
対話と出会いを繰り返しながら、ものを作り続ける「NEW TRADITIONAL」。そこには「これから」を考える多くの手掛かりがあるし、すぐに倣わなくてはいけないことがあると感じた。あらゆることは地続きに私とつながっている。私も対話と出会いを繰り返しながらものを作り続けていきたいと思う。勇敢さと潔さを持ったこのプロジェクトを動かし続けている方々に心の底から感謝したい。
今回は取り上げきれなかったが、紹介したい事例はたくさんあった。小さな1人の大工である私に役割を与えてくれるたくさんの人に感謝したい。依頼者も協働者もいつも私に示唆を与えてくれる。これからも1人の人としてつくることを続けていきたい。そして地域や現場やプロジェクトのなかで、1人の大工として自分の役割を担っていきたい。
荒達宏/Tatsuhiro Ara
1988年生まれ。大工。東北芸術工科大学建築・環境デザイン学科卒業。社寺専門の工務店に大工として弟子入りし、各地の現場を巡りながら、伝統工法、技術を学ぶ。その後、家具制作所でのアルバイトなどを経て2017年に独立。住宅、店舗改修、展示什器などのデザイン、施工を行いながら、次世代に求められる大工の姿を模索している。
https://www.facebook.com/tatsuhiro.ala
2020年4月15日更新。次回は宮田雄介さんの予定です。
※本コラムのバックナンバー
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