●都会の中の自然で昆虫を追いかけていた少年時代
--では最初の質問です。まず山極さんが木工デザインの道に進むまでの経緯をお話し願います。今の仕事は子供の頃からの夢でしたか?
山極:僕は大阪なんですが、小さい頃は自然や昆虫がとても好きで、近くの公園や大阪城でよく遊んでいましたね。今の自分のデザインのイメージの源泉に通じるかもしれません。また粘土遊びや、落ちている葉っぱを組み合わせて何か作ってみたり、工作も好きでした。
--ご両親のお仕事はモノ作り関連ですか?
山極:父は普通のサラリーマンでした。ただ、父親の趣味なんですけれど、オーディオや機械が好きで、よく分解したり組み立てたりしているのを見ていました。テレビなど電気製品が壊れたら、自分で修理していましたので、最低限の工具も持っていましたね。そういう環境から、自分も家電製品や自動車、バイクなどをデザインしてみたいなとは思っていました。
--なるほど、学校の授業で美術や工作は好きでしたか?
山極:そうですね。好きで成績も良かったですね(笑)。絵も得意で、好きな昆虫の絵も描いてました。自分なりに想像した架空の昆虫なども描いていて、周りの友達からも何か描いてくれとよく言われました。
それとプラモデル作りも好きで、当時はガンプラをみんなで作っていましたね。僕はガンプラを改造していたんです(笑)。塗装を変えたり、動きを変形させてみたり。それが友達の評判になって、高いプラモデルやオモチャと交換してくれと言われたり(笑)。
--ガンプラに新しい価値を加えたわけですね(笑)。どうやって変形させたのですか?
山極:はんだごてなどで熱を加えて曲げて、ポーズも変えてみたりと(笑)。たぶんこういった経験も自分のモノ作りの原点になっていますね。
--クリエイターの皆さんの多くはそうですけど、三つ子の魂百までと言いますか、学校で習う以前からすでに才能を発揮されていますよね。
山極:どうなんでしょうね。子供の頃は実はカーデザイナーに憧れていました。中学生の頃に先生にデザイン系に進みたいと相談していたのですけれど、当時はそういう道は難しいと言われていました。現在の家具作りの道に入るきっかけは大学に入ってからです。
--どちらかというと、家電や機械、クルマなどプロダクト系に関心があったのですね。10代の頃はどういったモノやデザイナーに影響を受けましたか?
山極:子供の頃はデザイナーのお名前まで意識していませんでしたが、当時、1980年代中頃ですが、家電の新製品がどんどん登場していた時代でしたので、モノのデザインがすごく気になっていました。例えばポータブルカセットプレーヤー(ウォークマンの初代機は1979年発売)など、オーディオも大人向けから若者向けに製品が投入されていた時期で、それらが斬新で格好良かったですね。
--宝塚造形芸術大学ではプロダクトデザインを学ばれていますね。
山極:はい、入学当時は家電をデザインしたかったので。授業はパナソニック、ダイハツ、東芝の方が講師に来られていました。そんなある日、課題に「椅子」が出たんです。それが今に至るきっかけですね。木工の制作も楽しかったですし、その作品が学内で賞をいただいたのです。そこから家具作りに入っていきました。
--もともと自然が好きとのことでしたがで、その時は、木という素材、木工に惹かれたのですか?
山極:椅子の良さ、木の良さ両方ですね。家具について調べていくと、家電とは違う、自然に近い、自由度の高い造形を行えることが魅力的でした。
--そういえば、家具デザイナーの方々は、デザイナーの面と、木工職人の面、両方兼ね備えた方が多いですね。そのまま家具デザイナーの道を歩まれるわけですね。
山極:そうですね、僕の場合はデザインから入ったのですが、職人としての技能も後から学びました。大学卒業後はカリモク家具に入社しました。そこでは家具メーカーのデザイナーとして仕事していました。
●インハウスデザイナーを経て独立へ
--カリモクではどのような家具をデザインされていたのですか?
山極:基本的には毎年発表する住宅用家具の新作のデザインですね。カリモクは工場が直結しているので、図面を上げて試作を作って、そのフィードバックを相談しながら仕上げていく作業でした。大きい会社でしたのでタンス、椅子、ソファとそれぞれデザイン担当が独立していましたが、僕がラッキーだったのは、新卒でしたが、それらすべてのプロジェクトを統括する部署に配属されたことです。ですのでさまざまな家具の一通りのデザインはさせていただきました。これは大きな経験でした。
--椅子とタンスではデザインも構造もまったく違いますからね。そういった経験を積まれて、やがて独立されるわけですが、そのあたりの経緯をお聞かせください。
山極:カリモクでは3年ほどお世話になったのですが、自分はハンス・ウェグナーやフランスやスイスの建築など、北欧系、ヨーロッパのデザインが好きなんですね。向こうはマイスター制度というのがあって、デザイナーの資格を取るときに製作することも含まれているのです。会社にいるとデスクワークのみですので、そこに限界を感じました。自分で製作できないともう1ランク上にいけないと感じたのです。そこで退職後に松本技術専門校で家具製作を学びました。
--では、インハウスデザイナー当時からすでに木工デザイナーとして独立されるビジョンをお持ちで、製作スキルを身に付けるために退職されたわけですね。ちなみに家具には日本の伝統的な木工家具などもありますが、それよりは北欧系のデザインをされたかったのですか?
山極:そうですね、伝統的な家具も好きですけれど、自分としては新しいものを生み出したかったですね。伝統的なものを消化しつつも、新しい日本のカタチを生み出せればという気持ちです。
--新しい形のイメージの源泉ですが、作品を拝見した個人的な感想では、山極さんが子供の頃に好きだった自然や昆虫が表現の根っこにあるような気がします。
山極:最終的な様式は僕独自のところに落とし込んでいますが、基本的には暮らしの中でいかに溶け込むか、アートにいき過ぎないように意識しています。ただ道具としてはもう少し超えたいなと思っています。
--道具として超えるというのは?
山極:椅子であれば、座る道具をベースにもう1つ超えた暮らしの中のポイントになるようなデザインが行いたい。道具を超えて人とのコミュニケーションツールといいますか、そういうところに落とし込めればいいかなと。長く使っていただくことをコンセプトに持っているのですけれど、長く使うということは”捨てない”ということですので、そのためには、何かしら人の本能に引っ掛かるようなデザインが必要かなと考えています。
法隆寺には作者不明、年代不明な仏像がたくさん展示されています。作者が不明で価値も分からないのですが、でも皆さんの心に引っ掛かったから1,000年以上残されてきたわけです。ブランドとかネームバリューなどを抜きにしたところで、人に訴えかけられるような表現ができたらいいかなと思っています。
--なるほど。ブランドといっても長い時間、風雪に耐えてきたブランドと、わりとインスタントに作られてブランドを名乗っているようなものもあるように思います。
山極:そうですね。それには、一生ものとして使っていただける家具を作ることが答えかなと思っています。時代を超えたときに残っているものであってほしい。
--祖父の時代から孫の代以降も使い続けられるような、時代に消費されない家具というのは素晴らしいですね。
●デザイン、制作、展示、販売までをショップで一体化
--デザインや制作の話を伺いますが、デザインはどのようにイメージを固めていくのですか?。
山極:うたたねのお客様の約半数は個人の方なので、その人がどういう使い方をするか、どんな機能を求めているかを検討し、その中で自分らしさをどれだけ入れられるか、主張しすぎないところでのオリジナル性を意識しながら作っていきます。
--クライアントが個人の場合、一品生産になると思いますが、お客様のご要望や住環境を確認した上でデザインに入るアプローチですか? またそこから量産される製品もあるのでしょうか?
山極:量産といっても少量生産ですが、例えば「nene」という椅子は、以前より販売していますが、元々は個人の方のオーダーでした。そのお客様がジュエリーの作家さんで、作業用に作ったものなんです。その作家さんのところのお客様がneneに興味を持っていただき、口コミで注文が広がっていきました。そこで定番商品にしていきました。
--うたたねのショップは20年目とのことですが、開店当初はお客様も少なかったと思います。どのようにビジネスを展開されていったのですか?
山極:営業はあまり得意ではないので、自分から出向くというより、お客様に来ていただけるように、当初から制作した家具を展示、販売するお店でスタートしました。そこから少しづつ広がっていきました。
--ショップありきのビジネスモデルを最初からお考えだったのですね。家具職人としてのスキルはどのように身に付けていったのですか?
山極:学校でも学びましたが、教科書通りにやってもなかなか上手くいきません。やはり一番は、本番で経験値を積んでいくことだと思います。特に、前例のない新しい形などに関しては、実験、試行錯誤になりますね。例えば異なる種類の木を組み合わせて作る場合など、それぞれの木の特性を分かっていないと、引き出しの動作がスムーズにいかないなど、見えないところでの問題が生じます。また木は、同じ種類のものでも、春と冬では使い方が異なってきます。
--そういったところはたとえ学校で学んでも、実際に直面して初めて身に付くことかもしれませんね。例えば椅子など、荷重が掛かる部分の強度や耐久性とデザインの方向性など、相反する面もあると思います。
山極:そこが家具の難しいところかなと思います。アイデアだけではなかなか最後までいけません。一般にグラフィックデザイナーより家具デザイナーの方が遅咲きになると思います。30、40代でも若手になりますから、それはたぶん、アイデアを形にしていくためには強度、素材、加工など、積年の経験値が乗っかってこないと安心できる商品が作れないからだと思います。
--純粋イメージの表現と実用品では、やはりデザイナーとしての成長の曲線が異なるのかもしれませんね。
●木工における手作りの深み、デジタルツールの限界
--この20年、モノ作りの道具はデジタル化が進み、CADを使うことが当たり前になりました。木工デザインにCADが入り込むのはやはり難しいのでしょうか
?
山極:外部の方とのやり取りなどでCADを使う場面もありますけれど、まだまだ少ないです。僕の場合は有機的なデザインですので、今の段階ではCADに制限を感じますね。現物を手で詰めていきながらのデザインの方が多いです。ただ今後、木工においてもCADが有効であれば取り入れていければいいかなと思っています。
--CADは量産には向いていますけれど、一品生産では手で詰めていかれた方がイメージを実現しやすいということなんでしょうか。
山極:クルマでもまだクレイモデラーが関わっています。ですからCADベースであっても、ディテールの詰めは手なのかなと思います。数値で見えない曲線、感性はありますね。まったく同じ図面でも作る人によって変わりますから。
--そういった”揺らぎ”の部分が大切だと思います。
山極:まったく同じ製品を自分で2つ作っても、木は自然素材なので、片方が小さく見えたりするんです。それは木目によるものなんです。木目がきつく出ると目の錯覚で曲がって見えたりとかあるので、同じに見えるように、もう片方を削ることもあります。それが自然素材の難しさと良さです。
--CADにはできない領域ですね。ちなみに製作は山極さんお1人ですか?
山極:2人でやっています。またパーツごとに製作を協力してもらっている外部の方々もいます。
--例えば椅子1つの製作には、どれくらいの時間がかかるのですか?
山極:ダイニングチェアでしたら他の作業と並行しつつ、約1週間以内です。飾り物ではなく、暮らしの中の道具を作っているわけですから、一品生産にしてもなるべく高価にならないように考えています。メーカーにいたのでコスト感覚は今でも生きていますね(笑)。
--Webサイトに掲載されている家具は定番商品で、それ以外は個人のお客様のご要望で製作しているということですが、クライアントに企業もありますか?
山極:多いのはショップさんですね。インテリアショップのオリジナル商品なども手掛けています。最近多いのは商品開発のお話です。例えば、県の地場産業として材木の新しい活用というテーマで開発、販売を行ったりですね。そういったプロジェクトは関西中心にいくつかお話をいただいています。数年前には奈良県の小学校の机と椅子の開発などにも携わらせていただきました。そういう大きなオーダーの時は工場生産をお願いしています。
--では最後に、うたたねの今後の展開やビジョンをお話しいただけますか。
山極:家具の世界はわりと小さくて、閉塞的な面もありますので、家具に限らず他のジャンルの方々との意見交換や商品作りもやっていきたいと思っています。
例えばですが、靴を磨くための専用の椅子ってないんですよ。イギリスなどでは靴磨きはスーツ着て行う紳士な職業なので、そういうシチュエーションに合う椅子はどんなのがいいかとか。また照明器具も和紙の作家さんと一緒に開発しています。そういう風に他の業種の方と何か開発していくと、木製品そのものが広がっていくので、そういうアプローチを行っていきたい。そういった木工のプロジェクトで大きい仕事を役割分担できるようなチームも作りたいですね。
--木工の可能性、広がりが楽しみですね。
山極:海外はオークションが盛んですが、家具もオークションの対象です。日本でも家具をそういった価値あるものにしていきたい。具体的にはまだまだ手探りですが、道具を超えていきたいです。
--ありがとうございました。
(2020年1月16日更新)
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