●理系で体育会系だった学生時代
--子供の頃は絵が好きだったというのがデザイナーさんの王道パターンなのですが、西村さんはどんな少年でしたか?
西村:もともと美術はまったくやっていなかったんですよ。理系でしたし、小、中、高とずっと陸上をやっていまして、高校になって漠然と体育系の大学に進むつもりでいました。ところが高校3年生の時に自然気胸という肺の病気に罹りまして、手術してもなかなか治らず、これはもう体育系の進学は無理と落ち込んでいました。
その時ふと、子供の頃自分は大工になりたかったことを思い出しました。小学校低学年の頃、父と江戸川区民祭りに行ったとき、500円で木工の小さな椅子を作るという大工さんのワークショップに参加しました。その時、モノって人が作っているんだということに初めて気が付きました。その時の大工への興味が高3で急によみがえってきて、美術の先生に相談したら、モノ作り系なら工業デザインという職種があることを教えてもらいました。
そこで私立大学の工芸工業デザイン学科を受験したのですが、美術は10段階評価でも2くらいだったと記憶してるので、当たり前のように落ちて(笑)。そこからスタートした感じですね。浪人して新宿美術学院の夜間部に通い始めました。ただ浪人の1、2年目は入退院を繰り返していて、予備校にもちゃんと行けず、ようやく3浪で武蔵野美術大学に入学しました。
--大変な高校時代を過ごされたのですね。大学に入ってから、目指していたデザイナーとかいましたか?
西村:1年生の時にIDの課題もあったのですが、自分が作りたい気持ちばかりで、著名なデザイナーはまだあまり知らなかったです。そこでいろいろ調べていく中で、最初に衝撃を受けたのがフィリップ・スタルクの「レモンスクイーザー」でした。モノって形をみればどういう風に使えばいいか分かるじゃないですか。それがスタルクの「レモンスクイーザー」は一見何だか分からなかった。でも実際にレモンを絞ると、それが意味のある形であることが分かります。
それからフィリップ・スタルクが好きになりました。スタイリングはもちろんですが、この道具は何だろう? という驚きがあるデザインのあり方には影響を受けましたし、それは今でも意識していると思います。
--大工になりたいというきっかけがあって、デザイナーになろうと決めてから何を作りたいと思ったのですか?
西村:何かを作る行為そのものが好きなので限定したものはなかったです。デザイン指向ではありますが、家電がいいのか、インテリアがいいのか、やりたいジャンルは大学当時は見つかっていなかったです。
--理系で体育系ということでしたが、そういった資質はデザインを行う上で、有効に機能していると思いますか?
西村:物理が好きだったのですが、プロダクトデザインは重力、自重の支えや構造なども知識として必要なので活きていると思います。月並みですが黄金比やフィボナッチ数列などを使って、手探りの初期段階でフォルムを考えたりはけっこうやっていますね。
●パナソニック時代のデザインアプローチ
--そして2005年、武蔵野美術大学卒業後は新卒でパナソニック入社ですね。他に行きたかった企業はありましたか?
西村:ソニーですね。ソニーとパナソニック(当時は松下電器産業)しか受けなかったです。ソニーは3年生のインターンの時、CyberShotのチームでデザインさせてもらいました。その流れで人事から就活も受けてくださいと言っていただきましたが、5次試験くらいで「キミ、うちっぽくないね」と言われて。「ロジックでデザインするタイプは分かるけど、もっと面白いとか極端にかっこいいとか、いき切ったほうがよかったんだよね」という感じでした。
その後パナソニックの採用試験を受けまして、また同じスタイルで作品を作ったのですが、当時の社長の植松さんに「すごく分かりやすいし、キミすごくうちに合ってると思うよ」とソニーと真逆なことを言われました(笑)。そのままパナソニックに働かせていただくことになりました。
--企業のポリシーの違いが分かる面白いエピソードですね(笑)。パナソニックではどういった製品のデザインを担当されたのでしょう?
西村:黒もの系のチームで、ノートパソコンのLet's noteや海外用のTough Book、それとプロジェクタ関係、ライティングなど担当させていただきました。
--私も当時西村さんがデザインされたLet's noteを持っていますが、パナソニックらしさの中に西村さんのテイストも見えるような気がします。
西村:パナソニックでは「世の中にいかに価値を提供しながら売れるか」というのがテーマでした。デザイナーは事業部の考え方をベースに、デザインがその条件の中でいかにできるかといったアプローチをします。ただ与えられた条件内では小さくまとまってしまいがちなので、自分なりにデザイン対象物の目的を再考はしていました。例えばノートPCの目的は「仕事を成功させるためのツール」なので、その理想を商品やデザイン観点へ落とし込んでいきました。
--パナソニックの製品は全般的に、誰もが安心できる、コンサバティブな印象があります。
西村:ユーザーのセグメンテーションを絞れば絞るほど特化したものになりますが、逆にセグメントが広く、一般の人で年代、性別問わずになってくると、その人たちに合った考え方をしなければいけないので、ウィークポイントをなるべくつぶしていくアプローチになります。コンサバティブに感じてしまうのはそういったところだと思いますが、とてもバランスが取れています。Let's noteなどはビジネスというセグメントに特化できているので、その領域では唯一無二の存在ですよね。
●そして東京に戻り独立
--パナソニックに約8年勤務され、2013年に独立ですが、その経緯をお話しください。
西村:デザイナーとしていつかは独立したいという思いはずっと持っていました。そして2012年はいろいろな家電メーカーでリストラが起きていた時期だったんですね。パナソニックでも早期退職者の募集があって、このタイミングかなと判断しました。
--インハウスデザイナーとして、もっと違うものを作りたいといったフラストレーションが溜まっていたのですか?
西村:パナソニックではけっこう面白い仕事ができたので、不満はなかったです。ただ、ゼロから考えるクリエイティブをやりたいとは思っていました。辞めない選択肢もありましたが、当時32歳だったので、独立してもし行き詰まったら、再就職もありかと思って決断しました。
--そして2013年1月に東京に戻られ、現在のオフィスを構える。クライアントなどはゼロベースからのスタートですか?
西村:ゼロですね(笑)、パナソニック時代はデザインを納めるお客さまは社内だったので、外のクライアントとのつながりがなかったですし、しかも東京で独立しましたから。
当時はこのオフィスにペンキを塗りながら、ペンキが乾く間、周りは印刷会社が多いので、飛び込みでパンフレットなどグラフィックデザイン関係の仕事の営業をしてました。仕事は取れなかったですけど。ジャポニカ学習帳のショウワノートさんに大学時代の友だちがいて、そこからドラえもんの塗り絵の原画を描く仕事をもらい、それが独立初仕事でした。
--独立されて、展示会やイベントなどに出展はされましたか?
西村:作品がなかったのでまったくやらなかったですね。それより、まずMakerBotの3Dプリンタをすぐ買ったんですよ。パナソニックは量産製品なので金型制約のあるデザインになりますが、3Dプリンタで型ではできない形状を作ってみたかった。そして作ったものをShapewaysなどで売るということを始めました。
1年目はほとんどクライアントワークはなかった状況でしたので、妻からあと数ヶ月でお金なくなるからね、と言われてました。生活資金が3ヶ月切ったら就活を始めるという約束で独立しましたので。
●独立6年間の歩み
--では、現在のようなお忙しい状況に至るきっかけは何だったのでしょう?
西村:町工場関係のプロダクトから機会をいただきました。前職時代は工場の現場に足を運ぶということがほとんどなく、そういった生産の現場から一緒に何かを始めたいという気持ちが強かったのです。
そこで町工場の人たちが集まる横浜のインキュベーション施設のイベントに行って話を聞いてもらいました。リーマンショック以降、町工場は3割くらい減ってきている状況で、出会った工場も、多くは先代から受け継いだ若い社長たちが守っていました。彼らはメーカーに依存しない、独自の売り上げを作っていきたいという思いを持っていたのですが、これまで商品を企画したことがないので、モノは作れるけど、何を作っていいのか悩んでいる状況でした。
そこで「Factionery」という、ファクトリーとステーショナリーを掛け合わせたブランドを横浜の町工場の人たちと一緒に始めました。そこから徐々に仕事が広がっていきました。
--独立してこれまでのデザインで、印象深いものをご紹介ください。
西村:2014年頃からスタートしたプロジェクトで、ミュージシャンでもある鎌倉のベンチャー企業の社長と一緒に作ったオープンエアーヘッドフォン「VIE SHAIR」があります。これは日本では大音量を出せる場が少ないということから、静かだけれどみんなで音楽をシェアできて楽しめるものを作りたいということでスタートしました。
「VIE SHAIR」は親機と子機の切り替えができて、スマホにつなげた親機の音楽をBluetoothで子機に無制限に配信する機能を持っています。耳の周りが空いているので、音楽を聴きながら会話も楽しめます。例えばサイレントディスコのような、今までなかったヘッドフォンの使い方を目指しました。クラウドファンディングで5,000万円以上の支援をいただき、企画を持ち込んだヤマハからも活動資金をいただいて作りました。
「archelis(アルケリス)」は、横浜のNITTO(ニットー)という町工場と一緒に手掛けた仕事で、当時千葉大学で内視鏡の手術を行っている外科医の先生からの要望を元に実現した製品です。医師は、長時間に渡る手術の場合に腰が痛くなってくるので、常に筋トレが必要なレベルで身体を大切にしているのですが、実際、体力のある若手の30~40代の男性の医師に手術が集まり過ぎてしまい、これは世界中の医師の課題となっています。
目的はシンプルで「手術を成功させたい」ということですので、一番大事なのが手術する医師の体幹の安定です。身体が安定していれば手術を行う指先も安定します。そのために椅子に座りたいのですが、手術室は立ち仕事のインフラになっていて、また移動も少なくないという課題があります。
そこで僕も参加をして課題やコンセプトを整理していく中で、ニーズだけを拾ったら「立ったまま手術ができて、でも椅子に座っている」という2つの矛盾する要素が1つの形になればいいというところからスタートしました。
そこで脛で座るオフィス用の椅子から着想を得て、手術中の姿勢は術野を確保するためにやや前傾姿勢なので、脛と太ももで支える形状を考え、後は骨組みをつないだら現在の形になっていきました。
展示会などでいろいろな医師の方に評価していただき、修正を重ねながら仕上げていきました。プロトタイプはニットーさんが14号機まで作りましたね。2018年11月から販売開始されました。
--これまで手術をサポートするような、こういった発想の椅子はなかったのですか?
西村:もしあったら医師の方がそれを購入すれば解決しますが、医療という分野では類似品はまったくなかったですね。
●デザインのワークフロー
--デザインはCADをお使いですか。
西村:はい、手描きとCADです。「archelis」の時は、立体的に人間の形を捉えていかないといけないので、VRを使ったスケッチと、マネキンにタイツを履かせてタイツの上にマーカーで描いて、それを3Dデータにして編集していきました。CADはRhinocerosとFusion 360を使っています。VRはVR空間内に手描きのスケッチを描けるGoogleのTilt Brushをはじめとしたさまざまなツールを使っています。ワークフロー的には、VRで描いたスケッチをオブジェクトのデータにして、それをRhinocerosに持っていきます。そこで清書してKeyShotでレンダリング。また3DデータをVRでプレビューできるサイトに入れて大きさやマテリアルの検証をします。必要に応じて3Dプリンタで出力します。
デザイン作業はほとんどデジタル化していますね。時間がすごく短縮できますので、捻出した時間でデザインをさらにブラッシュアップしていきます。
--なかなか先進的ですね。
西村:新しいツールには前向きで、3Dプリンタも出たときに飛びつきました。最近のジェネレーティブデザイン、トポロジー最適化なども任せられる部分はツールに任せて、デザイナーは空いた時間をまた新しいことを考えることに回したい。ただジェネレーティブデザインは目的の設定ができませんから、それはデザイナーが与えなければならない。そういった目的を描くことこそがクリエイティブだと思います。
--西村さんのデザインは形からではなく、目的、考え方から始まるのですね。デザイナーはみなさんそうなんでしょうけれど。
西村:考え方の時点で独自のものができなければ、世の中にあるものの置き直しになってしまいます。なんでそれを作るのかは、世の中の課題を解決できていないからなんですよね。僕はまったく新しい目的を持ったモノをゼロから考えるのは得意分野なので、ベンチャー企業の人からも新しいモノ作りの話をたくさんいただいています。
--西村さんのデザインのフォルムはSF的といいますか、未来指向を強く感じます。
西村:コンセプトづくりが影響してくるのですが、例えば先ほどのヘッドフォンでは、まず条件や制約に縛られなければ、どういったモノがベストなのかを必ず考えます。コンセプトは「いい音を聴きながら会話もできる」。そうなると理想は耳のところにUFOみたいなのが浮かんで人間と一緒についてくることだとイメージしました。ただ今すぐにはそれは実現できないので、それを現在のモノ作りの技術条件に当てはめて、目的を保持できるようにデザインしています。ですからこれは最初のバージョンですけれど、将来的には耳の周りにUFOがあるというビジョンが見えているんです。
そういった発想で、いったん条件を無視した形で本来的な形を見つけて、それを今の条件に当てはめるアプローチです。
--ヘッドホンを作るにしても、これまでのヘッドホンの延長線上で考えるのではく、一度リセットして、目的を純粋にイメージしていくわけですね。スタイリング、フォルムへのこだわりはいかがですか?
西村:完全に機能造形です。目的を満たすための造形やマテリアルの選定は何かと考えてでき上がっていきます。だから自分自身でも最終形態がどうなるか毎回分からない。聞いたことのあるコンセプトは見たことのある形になりますし、聞いたことのないコンセプトは、見たことのない形に勝手になっていくのです。
--なるほど。すごく説得力があります。
●ミラノサローネとこれからのこと
--では、最後に、4月に開催されたミラノサローネにYOKOHAMA MAKERS VILLAGEと展示されましたが、その出展内容や現地の反応などをお話しいただけますか。
西村:今回展示した「IKIMONO」は“生きる”と“モノ”が新しいかたちになったオールメタルのプロダクトブランドです。空気、水、光、熱、磁力といった自然エネルギーを取り入れることで、金属の加工物がさまざまな機能を発揮することが特徴です。自然エネルギーの力を象徴的に表現した“Art”と、自然物の機能を日常での使用に落とし込んだ“Product”の2つのシリーズで計10点の作品を出展しました。
IKIMONOのプロダクトは、自然物が持つ生体プログラムをパラメトリックデザインによってプログラミングに置き換えることで、自然の生命力に基づいたさまざまな機能を備えています。
ミラノサローネの現地では、動くプロダクトを見た方から「どういった動力で動いているのか?」と聞かれて、「機械は入っておらず金属のみで構成されている」と答えたらすごく驚かれたり、訪れた方々がペンが空中に浮いているように固定される”Magnetペンホルダー”を楽しんでいただけました。
有機物と無機物、アナログとデジタルの垣根を超えて、自然物と人工物とが融合することで、未来のサステイナブルな生活を体験いただくことができたと思います。
またインテリアデザインの著名なメディアである『Elle DECORイタリア版』にて「FUORISALONE 2019 THE BEST OF THE TORTONA DESIGN DISTRICT」に選んでいただくなど、現地のメディアでも注目を集めました。
横浜で凱旋展示も企画していますので、こちらぜひお越しいただいて、実際に僕のデザインフィロソフィーが詰まったIKIMONOの世界観を体験いただけると嬉しいです。
--ありがとうございました。
(2019年4月26日)
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