●学生時代、家具職人になるきっかけ
−−まず伊藤さんが家具デザイナーになるまでの経緯を伺いたいのですが、子供の頃はどんなことに興味ありましたか?
伊藤:私はサッカー少年でした。小学校の頃からクラブチームに入ってほぼ毎日練習練習で、本格的にやっていました。ただ周りに全国レベルの選手がけっこういて、自分自身はサッカーの夢はあきらめましたが、高校の部活でもずっとサッカーを続けていました。
それと工作が好きでした。ガンプラ世代なので(笑)。ラジコンも好きでした。小学校高学年の頃にラジコンのクルマ、できたものが動くじゃないですか、それでモノ作りの楽しさを覚えたのかもしれません。今はミニ四駆が流行っていますけれど、僕らの頃はタミヤのRCモデルなどを作っていました。
中学の頃から美術よりは技術の方が好きで、美術も彫刻は好きでしたが、絵の方ははあまり興味なかったですね。
−−三つ子の魂百までと言いますけれど、子供の頃好きだったことがやがて職業になる方は多いですね。21歳でイギリスに留学されましたが、どういったきっかけだったのでしょう?
伊藤:高校は都立の駒場高校だったのですが、サッカーばかりやっていて、あまり将来のことは考えていませんでした(笑)。高2の頃に自宅の目の前に家具職人の方が引越しされてきて、その人との出会いが大きかったですね。その職人さんに実家のリフォームをお願いして、そのときにいろいろ話をしているうちに、家具職人は面白そうな仕事だと思いました。
その人は家具も作っていましたが、ショップの小物作りや内装、リフォームの仕事がメインだったようです。ちょっとアメリカンなカントリー調が持ち味の職人さんでした。
−−その方の仕事に影響を受けたのが、現在に至るきっかけですね。
伊藤:高3になってサッカーを止めて、大学受験を目の前にして、自分の将来にそこで初めて向き合いました。結局浪人することになったのですが、再度大学受験をするより、職人さんに弟子入りしたい気持ちに傾いていました。ちょっと安直なんですが(笑)。ところがその方が病気で亡くなってしまい、そこで大学受験はあきらめて、美術系の学校を目指すことにしました。
−−その方が亡くなったことで、伊藤さん自身にやっと火がついたような。
伊藤:そうですね。弟子入りすればいいやと言う甘い希望がなくなって、そこで家具作りを学ぶにはどうすればいいかをいろいろ調べました。伝統工芸の道に入るか、美大も家具はカリキュラムの一部でしかなく、あるいは専門学校かと選択に悩んでいました。そんな折に、小さい頃からお世話になっている両親の知り合いから、イギリスにある家具の学校を教えてもらい、そこで思い切って渡英することにしました。
親は厳しくて大学進学を希望していましたが、私には兄がいて、長男はしっかり親の期待を背負い、次男の私は自由にという、典型的な兄弟ですね(笑)。
●イギリスで木工による家具作りを学ぶ
−−そして6年間イギリスで学ばれたわけですが、どういった学校だったのですか?
伊藤:最初に入学したRycotewood Collegeは、オックスフォードシャーの南のバッキンガムシャーに近い場所にある木製家具の学校でした。そこに4年間。その後シュロップシャーのUniversity of Wolverhamptonに2年間通いました。
もともとは家具職人になるために入学したのですが、Rycotewood Collegeは作家を育てるデザイン重視の学校でした。個性を大切にする教育方針で、そのときの教授にデザインを学びました。それがすごく楽しかったです。それから自分自身が「家具デザイナー兼製作者」になるという自覚を持つようになりました。
−−そこでようやく、自分自身の資質とやりたいことが重なった?
伊藤:そうですね、イギリスに行ってよかったです。教育方法も私にマッチしていたと思いますし、日本で何も学ばず真っ白な状態で行ったのもよかったかもしれません。
−−ちなみに言葉は大丈夫でしたか?
伊藤:あまり大丈夫じゃなかったですけれど、性格上それはたいして気にしていなかった(笑)。英語の学校に通う話もあったのですが、入学のタイミングが合わず、では行けばなんとかなるかなと。イギリスに6年いましたが日常会話も子供並みでしたよ(笑)。
−−イギリスの6年間で、デザインと職人的な木の加工技術を学ばれたわけですね。
伊藤:そうですね。最初の学校4年間を修了して帰国する予定だったのですけれど、日本で仕事をするにはまだ中途半端で心配だったので、あと2年、修士号を取るために編入することにしました。そしてイギリスのコンペなどでもある程度結果を残せたので、帰ってきました。
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