●腕に着けるモノとは
Apple Watchを使っていて、つくづく感じたのは、腕というのは情報を表示する場所として、それほど魅力的な場所ではないということ。場所としても狭いし、腕についている画面を見る動作は、あまり自然でなくて長時間見ていられない。結局、ちらっと見て時間を確認する程度のことには便利なのだけど、情報を「読む」ような作業にはあまり向かないのだ。腕に巻くタイプの歩数計や生活記録計などのツールが、画面をなくし、ほぼ表示機能をなくしていったのも、腕に巻くツールと情報表示があまり相性が良くないことに気がついたからなのだろう。
その代わり、バイブレーターやアクチュエーターを装着する場所としては、腕というのはなかなか良いのだ。筆者は、JowboneUPという生活記録ツールを目覚まし代わりに使っているのだけど、腕に巻いたUPのバイブレーションは、アラーム音よりも目が覚めるのだ。ポケットに入れたスマホのバイブレーターは気がつかない私が、腕に巻いたアイテムの振動で起きるのだ。皮膚に直接当たっているというのが大きいし、そういう場所を体の中で探していくと、腕というのは着脱も楽だし、最も適している場所の1つと言える。
●スマートウォッチの役割
では、スマートウォッチの可能性はというと、結局、スマートフォンの情報のお知らせマシンなのだ。それに加えて、時間を確認するにも結構便利だということにも気がついた。スマホをポケットから出して時間を確認するよりも当たり前だけど、腕時計をチラッと見るほうが早いのだ。
ディスプレイにE Inkを採用したことで話題になった「Pebble」は、その「時間が見やすい」という部分に最も力を入れたスマートウォッチなのだ(写真02)。表示領域がこれだけ大きなデジタル時計は今までなかったし、明るい場所ほどハッキリ見えるし、暗い場所ではバックライトで明るい場所と同等の見やすさになる(写真03)、という点で、ディスプレイを搭載したスマートウォッチの中での視認性は群を抜いている。全画面表示のスマートウォッチとして、バッテリーの持ちも良いほうだろう。新型である「Pebble2」では、とりあえず、電源を入れっぱなしで5日程度が充電不要だ(写真04)。
もっとも、そんなことは腕時計なら当たり前のスペックなのだけど、スマートウォッチで、このくらい持てば、あまりバッテリーを気にせず使えるものだということは分かった。この点は、Apple Watchにしても、寝るときに電源を落とせば2、3日は持つわけで、日常の範囲内で「腕時計に頻繁に充電する」という、従来の腕時計では考えられなかった行為にも、比較的簡単に慣れることができた。多分それは、スマホを毎日充電するのが当たり前になっているからだろう。かつての携帯電話の、待ち受け時間最大何百時間なんてスペックは、もはや伝説だ。
▲写真2:kindleなどと同様、E Inkをディスプレイに使用したスマートウォッチがpebble。(クリックで拡大)
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▲写真3:バックライト搭載で、暗くても視認性は高い。普段はバックライト無しで使えるためバッテリー消費も抑えられる。(クリックで拡大)
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▲写真4:充電は専用のケーブルでUSBから給電。マグネットで背面の端子とケーブルをくっつけるだけでOK。(クリックで拡大)
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●「Pebble2」の立ち位置
Pebble2の一番の魅力はやはり画面表示のキレイさ。おかげで白黒画面であっても十分満足できることが分かった。そもそもあんなに小さな画面なのだから、余分な情報はない方がかえって見やすいのだ。カラー表示も情報量を増やすことに変わりなく、クッキリ見える白黒画面の見やすさと美しさは、長時間眺めることをしない小さな画面に限って言えば、カラーよりも遥かに見やすく、キレイだ(写真05)。
その上に、豊富なタイムフェイス画面(文字盤)が用意されている。仕様が公開されていて世界中の人が好き勝手に作って登録しているから、Apple Watchのような洗練されたデザインは少ないものの、そのバリエーションの豊富さがものすごい(写真06)。また、どこに何を表示すべきというガイドラインもなければ決まりもないので、例えば画面の半分は現在の天気をイラストで表示するものがあったり(写真07)、時間の表示そのものを独自のグラフィカルなデザインにしていたりと、自由度が高いのだ。
玉石混交のタイムフェイスのリストを見ていると、思い出すのはHP200LXやPalmなどのPDAだ。Pebble2は、日本語化も好意で作られている日本語化キットをダウンロードしてインストールするため、ますますかつてのPDAを思い出す。しかし、それがよく似合うのも確かだ。多分、スマートウォッチというジャンルは、その形状もアイデアもできることも、意外に大したことがなくて、でももしかしたら何かに使えるかもしれなくて、情報の表示だけはいろいろできて、モノとしての価値がPDAによく似ているのだ(カラー版の「Pebble Time」は、高級バージョンではあるが、写真で見る限り、チープであることはあまり変わらない)。
アップルが、Apple Watchを高級腕時計のラインで作ったのは、多分、かつてのPDA的になることを避けたからだろう。普通に作ると簡単に、言葉の正しい意味での「ガジェット」、つまり、見た感じは魅力的だけれど、特に何に役立つわけでもないガラクタ系アイテムになってしまうのがスマートウォッチというジャンルなのだ。そして、その方向性に逆らわず素直にガジェットを作ってしまったPebbleは、当然のように、そういうものが好きな人たちに支持される。
▲写真5:パッと見るだけで時刻が分かる、くっきりした表示。(クリックで拡大)
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▲写真6:タイムフェイス選択画面。選択や設定はスマートフォンのpebbleアプリで行う。(クリックで拡大)
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▲写真7:ドカンと画面上半分に現在の天気がグラフィカルに表示されるタイムフェイスが筆者のお気に入りだ。(クリックで拡大)
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●ガジェット的魅力
実際、程度や精度を問わなければ、Apple Watchで便利だと思えた、電話やメール、SNSなどの通知機能や、歩数計、脈拍計などの健康系の機能、天気や気温の表示、といった機能は特に設定や新たなアプリのインストールなどなしで、普通に使えるのだ。中でも、通知機能は、スマホから何らかの通知が来た段階で、自動的にPebbleに登録されて、その後で、通知のオンオフが設定できるようになっているのは感心した(写真08)。事前の設定項目なんて1つでも少ない方がよいし、実際に通知があった後の方が、その通知が必要かどうかが分かりやすい。
本体デザインも、あからさまにガジェット的だ(写真09)。腕に着けた感じも安っぽい(写真10)。2,000円くらいのデジタル時計程度のルックスと、安いラバーバンド。しかし、それが不快ではないのは、やはり私もそういうガジェットの安っぽさが嫌いでないのだろう。むしろ、Apple Watchが持つ高級感やデザインされた工業製品としての精度の高さについて、その意図も意味も十分理解しながら、「まだ、この意匠を纏うのは早いのではないか」と感じてしまう。いや、スマートウォッチというジャンルを日常の中に定着させようとするなら、Appleの方向が正しいのは間違いないのだが。
▲写真8:通知機能の設定画面。スマホからの通知があって初めて、この画面に、その項目が現れる仕様は悪くない。(クリックで拡大)
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▲写真9:プラスチックのチープな筐体は、軽くて気軽に扱えるが、とてもオモチャっぽい。(クリックで拡大)
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▲写真10:ベルトもオモチャに近い質感で、腕に着けた感じはファッショナブルとはほど遠い。ただ、それが楽しくもあるから面白い。(クリックで拡大)
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●Apple WatchとPebble2
問題は、やはり、スマートウォッチをどう捉えるかなのだろう。できることが限られている上に必要性に乏しい現状では、ガジェットとして遊び道具にしてしまう方が楽しいのだ。だから、Pebble2は十分に面白い。軽いし、バッテリーも持つから、普段着けておこうという気になる。ただし、所詮はガジェットである。実のところ、その面白さはあまり未来につながっていない。今、面白い、過渡期だから面白い、小さいから面白い、チープだから面白い、そういうモノだ。その中で使う分には、もしかしたらApple Watchより便利。
Apple Watchも、使っていて面白いのは、スケッチやハートビートなどの、実用とは遠いところにある機能。しかし、それらは、こういう技術自体はもしかしたら未来につながっているのでは、と思わせてくれる部分でもあるのだ。バイブレーターでなくアクチュエーターでデリケートに通知してくれるのも未来的だ。悲しいのは、そういう未来の可能性の部分が、実用的ではないということだろう。それはしようがない。未来の便利は今は便利じゃないし、まだ便利に追いつかれていないのだから。
腕という場所が、情報端末にとって、それほど便利ではない以上、製品としての現在の正解はPebbleにある。便利でないけれど空いている場所に似合うのは、やはりオモチャなのだ。「ポケモン GO Plus」が腕時計型なのは、だから正解だし、腕時計型の携帯電話が普及しないのもそういうわけだ。オモチャを無理に使って楽しむことで、ちょっとした便利や使いこなしを発見する面白さは、Palmを無理やり手帳の代わりに使っていたら、意外にそれが使えてしまった時の面白さに似ている。
●懐かしさと切なさと
Pebble2を使っていると、無性に楽しいし、思わず毎日着けてしまうけれど、その面白さの中心にあるのは、懐かしさと切なさなのだ。未来を描いたSF小説が、ノスタルジーを感じさせるのに近い、刹那的なデジタル製品が纏う切なさ。今ではない未来の過去の、遠い昔に拾った不思議な機械。中学生のころに欲しかったなと思うし、中学生のころにあっても、やはり別に便利ではなかったと思う。現時点でのスマートウォッチは、そういう製品で、その切なさを嫌ったのがAppleが選んだ戦いだし、そういう切なさっていいよね、というのがPebbleが選んだ道(写真11)。Kindleを使っていても、不思議な切なさがあるんだけど、まさか、E Inkがそういう技術だというわけではないよね。E Inkには、まだまだ筆者は期待しているのだ。
と、書いたところで、PebbleがFitbitに買収されて新型Pebbleの製造中止のニュースが入ってきた。筆者にはすでに届いているが、現在まだ出荷されていない分は返金されるという。fitbitの名前でPebbleを出したくなかったのか。本当に切ないことになってしまった。
▲写真11:そう思って見るせいか、パッケージデザインもどこか切ない。(クリックで拡大)
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