リレーコラム:若手デザイナーの眼差し
第142回 田中聡一朗/デザイナー
このコラムページでは、若手デザイナーの皆さんの声をどんどん紹介いたします。作品が放つメッセージだけではない、若手デザイナーの想いや目指すところなどを、ご自身の言葉で語っていただきます。
●日常のなかの非日常性
朝、ホームセンターに寄ってからアトリエに行き、試そうと思っていた照明の収まりに取り掛かる。ふと朧げなアイデアのようなものが浮かび、作業の手を止め合板の端材を積み上げてみる。ひとしきりパターンを試してみると満足して、思いつきは中空に溶ける。机に戻り、また作業に取り掛かる。新しい物を試作している時、脳内には2本の水平線が見える。幾度もの試作を経て、理想と現実が近づくとき、水平線はやがて1つになる。僕が飽きもせずこんなことを続けているのは、その瞬間が好きでたまらないからだ。
僕は、一言でいえばプロダクトをデザインしている(プロダクトとアートの定義については一旦置いておく)。現在は、ヴィンテージやデザイナー物の家具を扱うギャラリーでアルバイトをしながら、作品を制作し展示、販売するという形で活動する日々だ。まだデザイナーという肩書きだけでは生活できないが、ついこの間寝返りを打った赤子がハイハイを始めたくらいの進歩は感じている。
その寝返りというのは、照明作品の「Vnsh(ヴァニシュ)」を完成させた時だった。大学を卒業してからは、卒業制作のLess Than Instrument(建材として使われるエキスパンドメタルにLEDチップを埋め込んだ作品)を発展させて展示したりしていたのだが、卒業後初めて、自分の新しい作品として完成させたのがVnshだった。
思いつきで極細のLED同士を交差させてみた時、重なる部分が壁からの反射光の中に消えかかるように見えて、それが綺麗でしばらくぼーっと眺めていた。それだけだったら作品にはならずに忘れてしまったかもしれない。でもその頃に興味を持っていたマルティン・ハイデッガーやモーリス・メルロ=ポンティの相対性(主体と客体の入れ替わる可能性)の思考を通して見た時、今まで見過ごしていた世界の在り方の一片がその光の中に隠されているような気がした。
▲建材として使用されるエキスパンドメタルにLEDチップを埋め込んだ作品「Less than instrument」。(クリックで拡大)
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▲直径5mmのアルミパイプにLEDを内蔵した作品「Vnsh」。(クリックで拡大)
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●何者かを問う
プロダクトや人工物とは、さまざまな事物が関係しあって構築された混沌の中から、人がつまみ出す一筋の糸に過ぎないのかもしれない。でも逆に言えばその糸の先には言葉に還元できない何かがある。そう気付いて、デザインがかなり面白いものに思えてきた。それは大学では誰も教えてくれなかった。これが僕のデザイナーとして初めて打った寝返りである。
その最初の小さな発見から1年ほどかけて1人でプロダクトへと昇華してきたものを、はじめて人に見せる時にはすごく心配だったけど、「細かい説明はいいから、ずっと見ていたい」とアトリエを訪れたある友人が言ってくれたときは泣きそうなほど嬉しかった。デザイナート2023や、伊勢丹で開催された「Design Contemporaries」などの展示会でも好評で、ありがたいことにいくつか注文もいただいた。
社会に出て、まだ誰にも求められてないものを時間をかけて作ることは、学生のころ想像していたよりもはるかに難しい。美術大学という場所では、学生であるというだけで制作行為自体が肯定される。それが社会に出て自分が何者でもないとなると、常に自分に問わざるを得ない。これを作ることに何の意味があるのか? 自分は誰で、何をしているのか? 僕はアイデアマンでもないし、作品は華々しいインテリア界のトレンドワードには引っ掛からない。僕がやってるのは例えるなら、毎日同じ道を歩いて道端で光るガラス片を拾い上げるようなものだ。でもどういうわけか、僕らはまだそのガラス片1つひとつの奇妙な美しさを見つけ、驚くことができる。どんなに小さくても、そこに何かの意味を見出して拾い続けた人の部屋は、いつか光に満たされるだろう。
今後はこの「見出される意味」ということについても考えていきたい。また向こうに2本の水平線が見えてきた。
田中聡一朗(Souichiro Tanaka):武蔵野美術大学を卒業後、建築事務所や家具設計の勤務を経てSo Tanaka名義で活動する。受賞歴にRoche Bobois Design Award 2019、Designart Tokyo 2023 Under 30など。
https://www.sotanaka.net/a-b-o-u-t
Instagram:@s_o_tanaka
2024年3月6日更新。次回は藤咲 潤さんの予定です。
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