リレーコラム:若手デザイナーの眼差し
第138回 浦田友博/建築家
このコラムページでは、若手デザイナーの皆さんの声をどんどん紹介いたします。作品が放つメッセージだけではない、若手デザイナーの想いや目指すところなどを、ご自身の言葉で語っていただきます。
●庭と建築のあいだ
これは私が学生のときにまとめたポートフォリオのタイトルである。大学院を卒業して4月を過ぎてからも黙々とつくったポートフォリオは、大きな箱入りで布張りの3冊セットであった。これを持って突撃した設計事務所に就職したが、そこで働いてからも、独立した現在でも、設計をしながら”庭と建築のあいだ” について考えている。今回はいま取り組んでいる仕事を通して、改めて書いてみたい。
●縁遊堂プロジェクト
急峻な山と渓谷を流れる川のあいだの、峠道から一本入ったところの林の中にある計画中のアウトドアショップとカフェ(共同設計:芦田晴香)。クライアントは家族で新聞配達を営む会社で、どうやってお店をつくればよいのか分からない、広い敷地ゆえ場所の使い方も漠然としている、という状態だった。そこでL字と三角形が合わさった建物の配置によって、その周囲に庭を位置づけ、敷地の中で使いしろをつくることから設計を始めた。
川と森に面した2辺はそれぞれ1200/1500cm幅の縁側(かつモジュール)となっている。人間のスケールとしてはゆったりとした寸法であるが、周辺の大きな風景に対しては奥行きが浅く、環境に身を投げ出されたような感覚となる大きさでもある。L字に囲まれた三角形の斜辺はアプローチに面した大きな立面となり、その前に広場が立ち上がる。三角形の平面は空き地のような質をもち、正面の広場と図と地が反転する。
配置による3つの庭に対して、建築の境界面はそれぞれ異なる質をもち、環境を内在する庭は名前がつけられる。そこから建築をどう使うか、敷地をどう使うのかと、使い手の自律的な行為へ接続することができると考えている。
▲縁遊堂プロジェクト。(クリックで拡大)
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▲縁遊堂プロジェクト。(クリックで拡大)
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●熊間
京都市内の路地を一本入ったところにある、長屋の一軒を改装した住居兼ギャラリー(共同設計施工:小野木敦紀)。キュレーション、建築、グラフィック、アートなどの専門性をもったメンバーのコレクティブの名称でもあり、ここでの展示やアーカイブ、リサーチなどの企画に、設計施工から引き続き参画している。
ここでは改修のことよりも、毎回関わっている展示について話をしたい。初めての展覧会は、コレクティブのメンバーでもある渡邉渓による「以心田紳」だった。彼は熊間に泊まりこみながら設営をつづけ、私と小野木は、入り口の階段をつくったり建具を更新したりと手を動かす。その様子は設営というより、改修現場の延長線上にあった。中央に鎮座する「御坐す(おわす)」と呼ばれる、大きな藁でできた作品は、正面の路地から見ると全体像をはっきり見ることができるが、入り口の階段を上がると目の前に迫り、内部に入ると「御坐す」と壁の隙間を縫うような動線になっている。大きな一手として、作品の配置によって空間全体のプロポーションを更新し、そのスケールの変化によって”近さと遠さ”や”浅さと深さ”といった認識を読み替えていた。
この鑑賞体験は、元々の空間と展示の境目が分からない、とてもシームレスなものだった。つまり、私たちが手を入れた空間から遡って、まるで作品が先にあるような雰囲気をまとっていたのである。
▲熊間/渡邉渓「以心田紳」。Ph:Yosuke Ohtake。(クリックで拡大)
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●西方寺の場合
その現象を考える手がかりとして、唐突だが、西方寺の庭園と湘南亭の関係性を参照してみる。下段の庭を歩くと、木々の隙間から中島や出島が透けて見える風景の中に、石垣が池に飛び出しているところがあり、その近くには湘南亭という茶室が建っている。
『建築と庭 西澤文隆「実測図」集』(建築資料研究所) によると、夢窓疎石の時代には「富士の間のあった方丈」が建てられていたそうだ。その後、寺が荒廃した際に上物がなくなり、地盤だけが残っている、というわけなのだが、もう少し当時の想像図を見てみると、湘南亭も当時は存在していなかったようだ。
16世紀末から17世紀初にかけて千少庵によって再興された湘南亭は雁行配置になっており、四条台目と待合はそれぞれ庭に向かって大きな開口を設けることができるのだが、その配置形式によって庭に対して斜めの奥行性があらわれる。その軸線の先には、先ほどの石垣があり、雁行形式が建築と庭園に類似しているのである。この庭と建築の形式が同居している関係性は、そのどちらが先とも言えないような、文脈の時間軸をあいまいに感じるような、あるいは庭と建築が等価に存在すると強く感じさせる。
千少庵はこの湘南亭を再興する際、この庭にどっぷり浸りながら、文脈を読み解き、見出した断片から雁行という形式を逆算するように配置することで、庭と建築の関係を統合させ、元々の文脈を意味を変えてしまったのではないだろか。というのが、ぼくの考察だ。いまぼくたちが見る西方寺は、長い時間をかけた荒廃と繁栄のなかで起きた運動の、ある切断面なのである。
▲西芳寺。(クリックで拡大)
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▲『建築と庭 西澤文隆「実測図」集』(建築資料研究所)より筆者が加筆。(クリックで拡大)
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●庭と建築のあいだに
現在、熊間で開催している、澤あも愛紅の展覧会「柳は緑、花は紅 気積をめくる」では、澤による曲げたアクリルに描かれた絵画に対して、改修時に出た床板の端材や建具をひっぱり出したり、壁をめくったりして、設営を改修現場と同列に位置付けた。あるいは配置する中で、アクリルのかたちが重力に従っているように見えるという発見をきっかけに、空間のもつボリュームがかたちづくる居場所を探す、ということを繰り返していくと、お互い自然体で空間に手を入れ、作品やモノを配置しながら感じている質を共有し、結果的に作品と建物のあいだに、どこまでもつづく何かを感じることができる展示となった。
何となく分かってきたことは、ここで展示することは、その情報量の多い空間のなかで溺れてしまうことなく見出した形式を計画によって読み替え、新たな意味を発見し、また文脈を紡いでいく運動のある切断面であるということだ。それは西芳寺で感じていたことと、そう遠くない。
庭と建築のあいだにたたずむことで見えてくる、外側への広がり。そこに内在する豊かな何か。それを言葉にするために、つくること、考えることの絶え間ない往復を繰り返している。
▲熊間/澤あも愛紅「柳は緑、花は紅 気積をめくる」。(クリックで拡大)
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浦田友博(Tonohiro Urata):2018年京都工芸繊維大学工芸科学研究科建築学専攻修了。2018年より木村松本建築設計事務所勤務。2021年『浦田』を設立。2023年より京都芸術大学大学院芸術環境研究科 専任講師。建築/庭/展示/片付け/模様替え/什器/モノ/味 から、 企画/批評など、つくる、考える、実践することのよろずを行っている。
https://www.uratatomohiro.com/
2023年10月23日更新。次回は北野大祐さんの予定です。
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