●ニューヨークの公園
今回、「神」を感じた建築を紹介するとのことで、少し大げさな気もしつつ「神が潜むデザイン」とは何かを考えた。建築は人為的なプロセスによって構造物が完成するにもかかわらず、人の想像を超えた状況が見える瞬間がある。建築の計画を通り越した状況を「神が潜むデザイン」というのではないかと考えた。
2018年、私はNYに住んでいた。NYは公共空間が本当に充実していた。Central Park、High Line、Bryant Park、Washington Square Park、Madison Square Garden、Prospect Park……など、挙げるとキリがないほど公園が多い。
NYは1990年代後半から政策により警察力が強化され、治安はだいぶ良くなったが、今でも危ないエリアは存在している。日本のように「安全・安心なまち」というイメージがそもそもないため、公共空間を豊かにすることで、都市経営を支えている側面がある。そのため、民間から投資を集め、公共空間の維持管理などを行うBID(Business Improvement District)が促進された。NYのまちにとって、公園は都会のオアシスのような位置づけに近いのだと思う。
そういう視点で観察してみると、NYの公園は、なにか「神が潜んでいる」状態に近いかもしれない。いつ行っても、想像を超える人の過ごし方を発見できる(日本人の私からすると、公共の場でのびのびと過ごしていることが斬新に映っていたのかもしれない)。
特にHigh Lineは、都市の舞台となり、NY市民や観光客がまるで舞台上で演劇をしているかのように過ごし、約2.3キロに渡って飽きの来ない都市風景が拡がっている。周辺エリアの建築がHigh Lineの直近まで建ち、リニアな公共空間で、場所によって変化に富んだ設計が施されている。その上で、こんなにも豊かに人が過ごせるのかと、感嘆した。
High Lineを設計したDiller Scofidio+Renfroは、メディアアーティストとして90年代に活躍した背景もあり、人の知覚や体験から環境をつくっていくプロセスをもっている。High Lineは都市インフラのスケールであるにもかかわらず、身体スケールでの周辺都市との接続や、什器のデザイン、視覚デザインなどが施され、その連続体としてインフラスケールまで伸びているような感覚を抱いていた。身体スケールが公共スケールまで伸びたとき、そこには個々人の関わりしろが生まれていた。
●阪急神戸三宮駅前広場
私が独立するキッカケになったのは、神戸市が主催した阪急神戸三宮駅前広場「サンキタ広場」でのデザインコンペで最優秀賞をいただいたことだった。これは2021年10月に竣工したのが、まさにNYの公共空間でみていた「神が潜むデザイン」を自分なりに解釈して挑んでいた。
円弧を描く彫塑的な建築、グラウンドレベルから徐々に立ち上がるランドスケープのような状況をデザインした。建築する行為は、計画を環境に落とし込み、どこか人を制御する。計画を超える民主的な機能性を、どのようにアーキテクチャで引き出せるかを考え、公共空間におけるマジョリティ(大きな型)を崩し、マイノリティの集まりによって駅前広場が実現するようデザインした。
オープンした後は、私たち設計者の想像を超える利用者の居方をたくさん見ることができた。人々が見せる想像を超えた身体の振舞いは、他者と共生する社会を豊かに見せてくれる。
建築を乗り越え、そこに居る人が魅せる環境こそ、神が潜むデザインと私は言いたい。
(2025年6月26日更新)
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▲NYの公園の1つ、High Line。
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▲阪急神戸三宮駅前広場の「サンキタ広場」。Ph:Nacasa & Partners。(クリックで拡大)
▲同じく「サンキタ広場」。Ph:生田将人。
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