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コラム

神が潜むデザイン

第55回:不世出のポスター印刷/三星安澄

「神は細部に宿る」と言うが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた製品、作品、建築などを紹介していただくとともに、デザイナー自身のこだわりを語っていただきます。

イラスト [プロフィール]
三星安澄(みつぼし あずみ):グラフィックデザイナー/昭和女子大学 環境デザイン学科特命講師。美術家 野老朝雄に師事。大学卒業と同時に独立し、三星デザインを設立。古本屋店主(国立本店)、紙専門雑貨店(西荻紙店)などの運営を経て、企業のブランディングや商品開発を行っている。大学では印刷、紙器、ゲーム、クッキー型スカルプチャーなどの研究を行っている。
https://mitzboshi.com/




●1964年の東京オリンピックのポスター

「神を感じる」というテーマの壮大さやこれまでの連載陣の豪華さに気遅れてしてしまい、なかなか文章がまとまらない状況であった。安易に「神~!」と評するような軽快さはもうなくなり、しかしながら深く何かに感じ入るような敬虔さもまだ獲得できていない。ようするに、「神」を語るには自分はちょうどよく適していない年齢なのだと思う。そんな後悔にも似た感情を携えながら記憶のなかの出来事を引き摺り出すようにして、ようやく1つのものが思い当たった。この連載とは少し趣旨が違うかもしれないが、プロダクトや建築ではなく、グラフィックの話をしたいと思う。

30代の前半の頃、私はグラフィックデザイナーとして活動をしていた。独学ではあったが、印刷に関して特に興味があり、ルーペを持ち歩いては気になる印刷物を拡大して、どのような印刷をしたのかを想像することが好きだった。

そんなある時、新しく発売された木製の額の広告写真(D&DEPARTMENT)を見た。額自体もとても素敵なものだったのだが、額装作品に目を引かれた。その一番大きなサイズ、B1の額に収められていたのは、亀倉雄策氏が作った1964年の東京オリンピックのポスターだった。このポスターは4種類あり、時期を変えて発表されたものであるが、額装されていたのは二番目のもの、陸上競技のスタートダッシュの一瞬を捉えたものであった。

もちろんポスターのデザインやそれにまつわるいろいろな話は知っていた。夜中にスタートダッシュの瞬間を撮影するため、東京中のストロボをかき集めたという話。このオリンピックの仕事のために亀倉氏が数ヶ月前に作った会社(日本デザインセンター)を辞めたという話。撮影の翌日、数10枚のポジフィルムに思うような絵が写っていなことに周囲が落胆するなか、亀倉氏がピッと1枚選び出したという話。当時最高の印刷技術だったグラビア印刷(7色!)を印刷会社が自腹を切って作成したという話(印刷会社は嫌がっていたという話もある)。

そのすべてが豪放磊落というか、あまりに伝説的である。しかしそのような逸話を抜きにしても、このポスターには今みても色褪せない緊張感と躍動感が紙面に凝縮されている。グラフィックデザイン界のマスターピースであることは疑いの余地がない。ただし、私がしたいのはこのデザインに関しての話ではない。

●インクの粒の力強さ

額装されたポスターが気になった私は、とあるきっかけで幸運にも程度良いものを手にいれることができた。ポスターのサイズはB1。梱包で送られてきた状態でもかなりのサイズのものだった。その梱包を丁寧に開け、全体を初めて目の当たりにした時に驚いたのは、そのデザインに対してではなく、その印刷の精度に対してだった。

精度が良い、のではない。荒いのである。私たちが知っているポスターは、教科書なり画面なりで知っているサイズのものであり、実物からするとかなり凝縮されたものである。結果として解像度が高い状態で確認できるため、アスリートの表情や陰影の濃淡をかなりスムーズな状態で見ることができている。これがなんとなくポスターのイメージとして頭に定着していた。

ただし実物は違う。B1に引き伸ばされた写真は、光の粒がこれでもかと拡大され、手に取ると一見何を見ているのか分からないほど輪郭が浅く、滑らかさとノイズが混ざり合っているようである。そのざらつきのある色の粒の1つひとつはそれでいて躍動するような力強さと迫力に満ちている。グラビア印刷による濃淡のスムーズさに写真の荒々しさが掛け合わされることで生まれる表現。このことにより、まるで現実世界に存在する超人的なアスリートを目の当たりにしているような感覚になる。当時日本でオリンピックが行われるという日常と非日常をまるで印刷表現のなかに体現しようとしているような、そんな気概を感じる。そしてその感覚も含めてすごく格好いい。

ものとしての存在感。グラビアで印刷されている分、インクに厚みがあることもおそらく関係しているのだろうが、インクの粒の1つひとつが60年経てもなお発色良く「立って」いる。画面や紙面などで再生産されたグラフィックとは違い、ポスターというものが2次元的なものを超え、実物でしか表現できない、生きているものに昇華しているのをそこに感じるのである。

実物を目の当たりにし、このポスターにまつわる制作側の話は吹き飛んだ。半世紀以上の時を超えた印刷物が発するエネルギーというものに心を射抜かれた。そんな強さがそこにあった。

これを「神」と呼ぶべきかどうかは正直分からない。ただおそらくこのようなポスターは制作過程や技術的なもの、なにより「勢い」みたいなものを含めて、もう今後この国で作ることはできないだろうと想像がつく。であれば、不世出のこのB1のポスター自体を神聖なものとして崇めることはあながち間違っていないように思う。


(2023年10月18日更新)



▲亀倉雄策氏デザインの1964年東京オリンピックのポスター。


▲D&DEPARTMENTの商品紹介の画像。額自体の設えも素晴らしい。(クリックで拡大)


▲実際にポスターを目の当たりにすると、どこにピントが合っているのか分からないほど、粒子の荒い表現となっていることが見てとれる。(クリックで拡大)


▲通常のオフセット印刷では粒子の大きさで色の濃淡を表現するので、このようなサイズの場合、網点が強調され「印刷物」というイメージから抜けることが難しい。しかしグラビア印刷は網点の大きさではなくあくまでインクの濃淡で表現されるため、肉眼で見ているようななめらかな色調の表現が可能となる。このポスターではそのスムーズな色調で写真の荒さを掛け合わせているため、現実世界と超人的な人物が力強い対比表現となっている。(クリックで拡大)



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