●谷底
僕がいつも作業する机から窓の外を眺めると、そこには1本の長い長い緑のラインが視界の端から端までを横断している。それは江戸時代に多摩川から江戸市中まで上水を引くためにつくられた玉川上水で、小学2年生の頃に世田谷から今の場所へ引っ越してきた時にはその存在の不気味さにやばい場所に来てしまった、と思わされた。
洞窟の天蓋を外した谷間のような地面の断面の露出と、そこにうっそうと生茂る木々や植物、水面に見える鯉や魚の影、時には鶏や蛇まで現れる。
谷底はきちんと目視できないくらいには深い。にもかかわらず我が家の近所にはちゃんとした柵もなく、下に降りようとすれば降りられるくらいに境界は曖昧。街灯もなく夜には真っ暗で通れたものじゃない。幼い頃から変質者や眉唾の何かが出たという話もしょっちゅうで、おかげで探検や肝試しのコースには困らない少年時代だった。
それでも絶対下には降りてはいけない、というルールだけはみんなで守っていた。そういった聖域のようなものが、家のすぐ目の前、住宅地を横断している。谷底にはあんな場所がある、という話は僕らの大好物だった。
●入れない部屋
同じような場所が、祖父母の家にもあった。祖父の祖父の代に潤沢な予算で大工に好きに作らせた、という家には街の医院が併設されており、中庭や大広間、縁側や客間など、さまざまな場所や部屋がある。夏休みや正月に従兄弟たちと集まると、外へ出掛けもせずに家だけで十分な遊び場だった。
家の中にはそこかしこに誰かの遊びの形跡があるのだが、遊び場にしてはいけない場所もいくつかあった。掘り炬燵の祖父の席、そこにだけ通じる階段によって入れる祖父母の部屋、伯叔母の部屋、医院の2階、がそうだった。
直接的に入ることを禁止された部屋もあれば、入ることを自らためらう部屋や部分もある。どちらの場合でも家の中に不可侵の領域がある、ということがその家を実際以上に広く大きなものとして認識させた。その領域は、怖く、神秘的で、どちらにせよ子供の自分の心を掴んで離さなかった。そういった場所があるということだけで、その家は特別だった。
●星の王子さま
サン=テグジュペリ『星の王子さま』のなかにこんな一節がある。
“星があんなにも美しいのも、目に見えない花が1つあるからなんだよ“
“砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ”
“家じゅうが、その宝で、美しい魔法にかかっている”
家の前の谷底や、祖父母の家の入れない部屋は、僕にとって目に見えない花であり、どこかに隠れている井戸であり、家の中にある宝だった。そういったものが街の中や家の中にあることが、その場所を特別なものにするために僕にも必要だった。
●「FLASH」「となりはランデヴー」
2021年に設計した神奈川県大磯の住宅「FLASH」の内覧会に来てくれた人たちの感想に、聖なる感じがする、怖い感じがする、古墳のような感じがする、といったものがあった。
設計の最中、空間や時間に対して考えていた概念的なものがそういった印象を与えてくれているのか、階段を押入れの中に隠して2階を屋根裏部屋のように扱ったことによるのか、全体の分かりづらい設計の手続きがそう感じさせるのか、まだ判然としていない。
2022年に富山県氷見市に設計した住宅改修「となりはランデヴー」では、街の秘密を作ろうと交差点の角地の住宅の窓を落書きのような形にした。事件でもあったのか、と近所のおばさまが話してくれていたらしい。
僕の設計に対する態度のなかには、幼いときに自分の心を掴んでいたものへの想いがあるのかもしれない。
星の王子さまは物語の最後に、自分の星に置いてきぼりにしてしまった花にまた会いに行った。
"秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず"
(世阿弥『風姿花伝』)
(2022年6月13日更新)
|
|
▲玉川上水。Ph:湯浅良介。(クリックで拡大)
▲湯浅医院。Ph:湯浅良介。(クリックで拡大)
▲岩波書店『愛蔵版 星の王子さま』。(クリックで拡大)
▲FLASH。Ph:高野ユリカ。(クリックで拡大)
▲となりはランデヴー。Ph:白井晴幸。(クリックで拡大)
▲角川学芸出版『風姿花伝・三道』。(クリックで拡大)
|