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コラム

神が潜むデザイン

第35回:新建材に神は宿るか/門脇耕三

「神は細部に宿る」と言うが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた製品、作品、建築などを紹介していただくとともに、デザイナー自身のこだわりを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
門脇耕三(かどわきこうぞう):建築家、建築学者。明治大学准教授、アソシエイツ株式会社パートナー。博士(工学)。1977年神奈川県生まれ。2001年東京都立大学大学院修士課程修了。東京都立大学助手、首都大学東京助教などを経て現職。著書に『ふるまいの連鎖:エレメントの軌跡』(TOTO出版,2020年)、建築作品に《門脇邸》(2018年)、受賞に日本建築学会作品選奨(2020年)など。https://www.kkad.org/
プロフィール写真:ⒸSHINTO TAKESHI



●神の宿り代を破壊した工業化

大量生産された製品に対する異議申し立ては、歴史上、幾度となく繰り返されてきた。ウィリアム・モリスによるアーツ・アンド・クラフト運動は1880年代に始まっているから、大量生産品に対する違和感は、それなりに長い歴史を持っているといえる。

一方、建築に大量生産された部品や部材が用いられるようになったのは、消費財の大量生産よりだいぶ時代が下ってからのことである。日本では、特に住宅に関しては、比較的最近まで伝統的な手工芸的つくり方が保持されていた。もちろん、衛生機器や照明など、設備まわりには古くから大量生産品が用いられてきたが、住宅の仕上げや構造に本格的に用いられるようになったのは、1960年代に入ってからのことである。

戦後の日本の建物に用いられるようになった大量生産品は、重化学工業の産物であることが特徴である。たとえば鉄、アルミ、プラスチック、ビニール。これらは自然のなかではあまり見られない素材のためか、天然素材との相性がとにかく悪い。金属ならまだしも、化学材料となると絶望的である。何年か前、古民家に滞在したときに、無垢板のテーブルの上に置かれたレジ袋がひどく醜く見えて驚いたことがあったが、プラスチックやビニールのような合成高分子化合物は、本来の自然からするとあまりに異質な存在なのだろう。

しかし現在では、ビニール製のクロスや床材、ペンキ、樹脂製のサッシやサイディングなどなど、化学材料で建築空間は覆い尽くされている。そうした空間で日常を過ごすわれわれは、レジ袋の異質性に気付きようがないのである。

また、普段は目に入らない部分ではあるが、重化学工業の建設分野への参入は、建築用の接着剤の発達ももたらした。接着剤や、同じく高分子化学の産物である粘着剤を使ったテープは、現代の建設現場のあらゆる場面で活躍しているが、建築家のレム・コールハースは、これによって「洋服を仕立てるような、新しい柔らかさが建設工事の世界に生まれた」と述べている(レム・コールハース「ジャンクスペース」、『S,M,L,XL+――現代都市をめぐるエッセイ』筑摩書店、2015年所収)。

コールハースはさらに、この「新しい柔らかさ」によって、「継ぎ目はもう問題じゃなくなった。知的テーマでもない」と続けている。建物の細部に見られる継ぎ目=ジョイントは、建築家がもっとも知恵を注ぎ込むべき対象であり、したがって細部には神が宿ると謳われるわけであるが、戦後に大きく進展した建築生産の工業化は、この神の宿り代さえ破壊したのだった。

●廃材の価値の再生に挑む

大量生産された建築材料は、だから建築家にとっては憎むべき対象で、特にそれが化学的につくられていて、ふにゅふにゃと柔らかく、頼りないものの場合はことさらである。しかしこうした材料にも、もしかしたら神が宿ることがあるのかもしれないと思える出来事があった。

筆者は、2021年5月から11月にかけて開催されたヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展にて、日本館展示(主催:国際交流基金)のキュレーターを務めた。そこで試みたのは、取り壊されようとしている木造住宅を譲り受けてヴェネチアへと運び、それを材料に展示を組み立てることだった。建築的なスケールを体験できる展示をつくりたいが、半年間の展示のために新しい材料を使い、ゴミを増やすことは避けたい。ならば捨てられようとしている住宅を使えばよいと考えたのである。住宅の展示を通じて、日本のある時代のすまいのリアリティを伝えることは、国際展覧会という文脈にもそぐっている。

住宅探しは難航したが、縁があってヴェネチアに運ぶことになったのは、世田谷区に建っていた店舗付きの住宅だった(写真1)。この住宅は1954年に建てられたものだが、その後何度も増改築が繰り返されており、当初からその姿を大きく変えている。増改築が行われたのは、1950年代後半から1980年代前半にかけてであるが、これは日本の住宅生産にも工業化の波が押し寄せ、いわゆる新建材が氾濫するようになった期間である。したがって、取り壊す直前のこの住宅は、外壁には鋼板が貼られ、内壁はプリント合板、床はビニールシートで仕上げられており、いかにも「昭和の住宅」といった雰囲気を醸し出していた(写真2)。

この住宅を解体してみると、しかしその雰囲気は一変する。住宅から引き剥がされてバラバラになった部品や部材は、どこから見てもゴミとしか呼べないようなものへと変わってしまったのである(写真3)。ぺらぺらの壁紙や、ふにゃふにゃのビニールシートなども例外ではない。おとなしそうに見えていた材料が、一気に凶暴性を露わにしたように感じた瞬間だった。解体した部材は整理のため、いったん倉庫に運び込んだのだが、このゴミの山のようなものを使って展示が成り立つのか、関係者はみんな不安に感じていたと思う。

幸いなことに、それは杞憂にすぎなかった。展示のデザインにあたった建築家たちは、このゴミの山にみごとに新しい命を吹き込んだのである(写真4)。特に岩瀬諒子さんがデザインしたスツールは、廃材もみずみずしく生まれ変わりうることを、一般の観客にも強く訴えかけるものだった。

岩瀬さんがデザインしたのは、ビニールシートが貼られた床材をアップサイクルしたスツールである(写真5)。オレンジ色のものは元キッチンの床で、赤と白のものはトイレの床だった。しかしこのスツールは観客に大人気で、特に赤と白のものは、トイレに使われていたという意外性もあってか、なんとか購入できないかという問い合わせが相次いだ。ゴミが宝物に変わってしまったのである。ふにゃふにゃのビニールシートに、どこかで神が宿ったと思わざるを得ないような体験だった。

ちなみに、このスツールには知恵の結晶のようなディテールは存在せず、廃材を日曜大工程度の技術で組み合わせたものにすぎない。つまり今回の神の宿り代は、精巧なディテールにあったのではない。もちろん、ビニールシートそのものが宿り代だったわけでもない。遠い日本の知らない家族に住まわれていた住宅が、平凡な生涯を閉じたあと、不思議な巡りあわせでヴェネチアまでやってきて、いま目の前にある。このスツールの背景にあるそうしたストーリーにこそ、観客は心を打たれたのだろうし、岩瀬さんのデザインは、そのストーリーを飾ることなく伝えている。神が宿ったのは、このスツールの遍歴なのであり、それを表すデザインだったのである。

●ヴェネチアの街角で

ところで、岩瀬さんのスツールは、机の上でデザインされたものではない。ヴェネチアの展覧会場でヴェネチアの職人と打ち合わせをして、図面も描かずにその場でつくってもらったものなのだ。実はそこには筆者も立ち会っていて、スツールのサイズや組み立て方について、現場で岩瀬さんとあれこれ議論をした。

おもしろかったのは、作業を終えて岩瀬さんたちと散歩していた街角で、トイレのビニールシートとまったく同じ模様のガラスを見かけたことだ(写真6)。白と赤のパターンは、大判のガラスをつくる技術が一般化する前の時代に生まれたもので、もともとは小さなガラスどうしを鉛のリムでつなぎ合わせた結果のデザインだったのである。

遠いヨーロッパのガラスのパターンを参考に、昭和の日本でビニールシートをデザインした人がいたということ。そんな歴史のあわいに消えてしまいそうな出来事も、このスツールは確かに記憶しているのである。


(2021年12月16日更新)





▲写真1:ヴェネチアに運ぶことになった住宅 ⒸJan Vranovský。(クリックで拡大)


▲写真2:「昭和の住宅」然とした内部 ⒸJan Vranovský。(クリックで拡大)


▲写真3:ゴミの山のようになった倉庫 ⒸJan Vranovský。(クリックで拡大)


▲写真4:住宅を再構築してつくった展覧会場 ⒸAlberto Strada 提供:国際交流基金。(クリックで拡大)


▲写真5:岩瀬諒子さんがデザインしたスツール ⒸMusashi Makiyama。(クリックで拡大)


▲写真6:ヴェネチアの街角で見かけたガラス戸。(クリックで拡大)



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