●不思議な三重の塔
かつて、江戸時代以前から、岩手県気仙地方(現在の大船渡市、陸前高田市、住田町)で、気仙大工と呼ばれる高度な技術を持つ大工集団が活躍した。民家だけでなく、社寺建築、建具、彫刻や細工の技術を持つ、日本四大名工にも数えられる大工集団であった。
私が実際に見た気仙大工による建築は、陸前高田市に現存する「普門寺三重塔」である(写真1)。想像していたよりも小さく、各層の軒天井の作り方が、それぞれ異なるという、とても不思議な三重の塔だ。
一層目は「二軒繁垂木(しげたるき)・二手先(ふたてさき)」、二層目は軒裏に垂木を設けず全面に彫刻を施し、二手先。三層目は二軒扇垂木(おうぎだるき)を用いている。特に三層目の扇垂木が非常に繊細で、垂木がそのまま空に伸びて消えていくような印象を与える。また、二層目の彫刻は、一層と二層の垂木デザインの箱に入れられ、技巧の凝らされた宝石のようであった。また、気仙大工左官伝承館には、精巧な亀形細工の欄間や、木の廊下と廊下の継ぎ目を、「人」、「入る」というデザインにアレンジしたかのように見える、繊細な細工が残されている。
●気仙大工の心意気
陸前高田市の今泉地区には、気仙大工が作った家屋が多く残っていたが、2011年の東日本大震災の津波ですべて失われた。
その1つが旧吉田家住宅主屋(陸前高田市Webサイト)である。吉田家は、江戸時代に仙台藩領気仙郡の24村を治めていた大肝入で、災害時に積極的に救援を行った名主でもあった。旧吉田家住宅主屋は熊野神社本殿(大船渡市に現存)の棟梁と同じ気仙大工が建て、その技術が随所に凝らされている。
残された写真を見ると、母屋は座敷部分が広い直家であり、風情のある大きな茅葺屋根を持つ。茅葺屋根の上にほんの少しだけ顔をのぞかせる草は「芝棟」と呼ばれ、防寒のために茅葺屋根に土をかぶせ、土が流れないように草を植えたものである。
被災直後から、吉田家当主と地域住民が旧吉田家住宅主屋の復旧を願い、岩手県立博物館や八戸工業大学の協力で、流された部材の回収に尽力した。その結果、材積の6割程度に相当する約1,000本の部材が救出され、そのほとんどが主要構造部材だった。現在、再建工事に着手しており、2024年度に完成する予定である。津波で被災した部材を用いて復旧するのは、世界的にも例を見ない取り組みであり、気仙大工の心意気を感じさせる。
●気仙大工発祥の地である陸前高田
私の事務所は、2020年の秋、「陸前高田市ピーカンナッツ産業振興施設」の設計プロポーザルにて最優秀者に選定され、現在建築が進行中である(写真2)。
陸前高田市は、ピーカンナッツの栽培に始まる6次産業化プロジェクトに取り組んでいる。本施設はその拠点となり、加工を行う工場と、商品用店舗、ピーカンナッツを使った料理用キッチンスタジオ、地域のイベントを行う多目的スペースからなる。
デザイン検討の際に考慮したのは、気仙大工の伝統を生かし、地形と呼応した建築を作るということである。突破口となったのは「海へ開く」という考えで、南北に開かれている敷地と、街とのつながりの<南北軸>、海岸線は南東軸の方向にあり、この<海への軸>へ開くために、多目的スペースが多方向に開かれた扇形となった。そこに扇形の屋根をかけ、天井は岩手県産材のアカマツの無垢板張りとし、気仙大工への敬意を込めて、天井も扇形に張ることをプロポーザルで提案した。その後、アカマツの無垢材は予算の都合でアカマツの合板張りへ変更になったが、30×30の化粧垂木を打ち付けることとし、扇形天井は維持した。
さらにその後、多目的スペースをラーメン構造からブレース構造へ変更することで、鉄骨量を大幅に減らすことができた。屋根とは切り離され下屋となっていたキッチンスタジオと事務室のボリュームは、100角の無垢柱と、100×50のH型鋼で微細に構築した軸組で取り囲み、屋根架構まで伸ばし、耐震コアとした。これにより内部空間は、鉄骨造でありながら、かつて気仙大工が作った伝統木造の小屋組架構を彷彿させるものとなった。
先月上棟し、内部空間が見えてきた。海の方向へ風景が切り取られ、場所によって高さの変わるダイナミックな天井である。来年春に、扇形天井の完成するのが待ち遠しい。
(2021年11月12日更新)
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▲写真1:普門寺三重塔。(クリックで拡大)
▲写真2:ピーカンナッツ産業振興施設。(クリックで拡大)
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