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コラム

神が潜むデザイン

第12回:何かに委ねるしかない領域に感じる神/塚本カナエ

「神は細部に宿る」と言うが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた製品、作品、建築などを紹介していただくとともに、デザイナー自身のこだわりを語っていただきます。

イラスト塚本カナエ:三菱電機、現GKデザイン総研広島を経て、フィンランド政府給費奨学生としてフィンランド国立芸術&デザイン大学院留学、吉田育英会給費留学生として英国王立芸術大学院大学(RCA)修士号取得。英国内で企業研鑚。1999年Kanaé Design Labo設立。ドイツ・iF賞審査員メンバー、グッドデザイン賞審査員、アイリスオーヤマデザインコンペ、長崎デザインアワード、富山県デザインアワード、美濃国際陶磁器コンペなど数多くのコンペにて審査員を務める。2014年度より京都造形芸術大学客員教授、2015年~2017年まで京都府立大学准教授、現在岡山県立大学・特任教授を務める。 http://kanaedesignlabo.com/



仲良くしていただいている村田智明さんからご連絡をいただいた。本コラムを執筆する機会を頂戴したので、村田さんに謝意を述べさせていただきます。

●自然からのインスパイア

私のバックグラウンドには油絵、オイルペインティングがある。アートと格闘していた時代に見つけた自然からのインスパイアがあり、自然の中に何かないかと探す癖がある。

1つは自然物の造形や、佇まいである。先日、御所で見た浅い紅葉、今日の深い紅葉、日々刻々と移ろう佇まい。理由があるのだろうが、その陽に透けるような明るい赤やオレンジ、黄色、色づくと透けてくる緑。それが何故かを毎日考えさせてくれるが、答えはまだ探していない。

また、水溜まりの凍り方の不思議に気付く。周りに落ち葉があるとそこを避けて凍るので、美しく、かつ複雑な曲線が描かれる。寒い晩秋の朽ちかけた落ち葉の混じった水溜まりに発生するそれを見ながら、Alvar Aaltoのガラスの花瓶を思い出す。なるほど、彼はこういうものを見ていたのだろうと推測する。

●表現による感動と強さ

それから人体。ダンスをしていると、鍛えられた人体の美しさに驚嘆することがある。360度鍛え上げた肉体から発する非日常的な動きの中に意外なラインが一瞬一瞬連続的に生まれる。

また自分もダンスをしていると、プロの身体の伸びやかさや動きの丁寧さなどが分かる。職人的なその美しいムーヴメントに息をすることも忘れるくらいの感動がある。

Sylvie Guillemという元バレエダンサーがいる。Sylvieの身体はダンサーとして完璧な骨格であるそうだ。足の甲まで完璧である。その点でSylvieのコンテンポラリーダンスを見ると圧倒的である。一方で、骨格や動きが美しいだけでは深い感動とは必ずしもつながらないことも分かった。ある日同じ曲をSylvieとこちらも天才と称されるJorge Donnという異なるダンサーが躍っているのを見比べていた時、テクニックや丁寧さにJorgeのほうが若干残念な部分があるのだが、映画「愛と哀しみのボレロ」内で踊っているJorgeがあまりに圧倒的なので感動した。Sylvieを超えている。確かに男女のパワーの差があることは否めない。

そこで他の男性ダンサー、Julien Favreauとも比べてみたが、圧倒的にJorgeが素晴らしい。それは恐らく思いの部分やダイナミックさでJorgeが勝っているのだと思う。Jorgeには、よく言われるところの大きな「華がある」のかもしれない。3人とも世界的な主役級だから華はあるのだが、その中でも大きな華なのかもしれない。その3人のパフォーマンスからも、感動と技術は必ずしも一致しないと言える。

●不可侵領域=神が潜む部分

私たちデザイナーはアーティストではないので、基本的には自分で作らない。誰かに依頼して、もしくは工場で量産ができるように計算をする。

だが、わずかな部分に計算できない部分がある。私はそこに神が潜むと感じている。不可侵領域である。何かに委ねるしかない部分。そこに対して祈るような気持ちで委ねる。私たちの手掛けるアイテムは量産するものであり、普段の日常生活にそこまで神経質な印象のものは要らない。何故ならそういうものと一緒に暮らすことは疲れるからだ。一緒に居て息苦しくない友人、というスタンスで考える。

フィンランドのデザイナーで故Kaj Frankがいる。Kajはアラビア社のためのデザインを数多く残した。その製品は現在まで販売されている。例えばTEEMAというシリーズであるが、そのデザインに堅苦しさはない。だが図面はおそらく単に直線だけだったのではないかと推測する。だが、焼成後の製品はわずかなよれよれさを含む柔らか味のある定規で容易に描くことができる物体だ。この厚みとこのよれよれ感がないと非常に窮屈なものになったに違いない。

私も製品にそれを求めている。計算できない部分…これがないと人間味が出ない。それを味方にできた際は非常に嬉しい。だが、これは私が計算したからできたということではなく、工場の職人さんたちも多くの計算をして下さっている。それらの総合力の勝利だと思う。アイデアを形にしていく過程は壮大で真剣な遊びである。ホモサピエンスの「遊び」にこそ、神が潜んでいるのではないだろうか。

顕著な例として、この照明器具「Drapé」はアルゴリズムプログラムをアプリクラフトの中島淳雄氏と田上雅樹氏に依頼して組んでいただき、それをこちらで作成したベースの形状に載せた。膨大な検討を行ったが、これを素手による石膏で削ってということはほぼ不可能で、コンピュータ上でもアルゴリズムプログラムがないとかなり時間がかかったことであろう。

またもっとも背の高いものは本当に製品にできるのかという危惧があったが、そこは工場の方の経験と努力の結果、完成した。だがすべてをコンピュテーショナルデザインで製作したわけではない。最終的な調整は人為的に行った。また工場での窯焼きの工程で起こる変化にも神が潜んでいると感じている。製品は製作に関わるすべての人々の祈りが創り上げると思っている。


(2019年12月16更新)

 


▲Jorge Donnの公式サイトより。(クリックでリンク)


▲Kaj FrankによるTEEMAシリーズのプレート。iittalaのWebサイトより。(クリックでリンク)





▲著者のデザインによる照明器具「Drapé」」 (クリックで拡大)


▲同じく「Drapé」を用いた空間。(クリックで拡大)

 


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