「神は細部に宿る」という言葉は、近現代日本人デザイナーにかけられた呪縛の1つのような気がしています。ミース・ファンデル・ローエが「神は細部に宿る」と言った時代の要請、文化の背景は理解できますが、日本に住み、モノづくりに携わる者として、細微にまで気を配ることが標準となってしまった現在、我々は別の地平を目指すべきところに来ているようにも感じます。
海外から来たデザインにまつわる金言は、憧憬もあいまって強く美しい真実を語っているようにも感じられますが、注意して受け取らなければ思考停止を招き、私たちはどんどん息苦しい方向に追い詰められていきます。 時代や社会の必然として発された言葉が、今の私たちの社会においても同じ効力を持ち続けているのか常に疑い、自らの感受性を頼りに確認、判断する姿勢は重要なことだと考えます。
またこれは「言葉」だけの話ではなく、思索やその結果としての「デザイン」そのものに対しても向けられるべきものでしょう。それが、今を生きるデザイナーとしてデザインの歴史と向き合い、乗り越えていくことなのだと思います。
なぜこのような考えを持つようになったのか。それはおそらく私が2016年まで足かけ25年過ごした英国や、欧州のデザイナーの姿勢を受け継いだということでしょう。
●(A+B)÷2はつまらない
英国に渡ったのは、Royal College of Art大学院修士課程に進学したことがきっかけです。教授はダニエル・ヴァイル(Daniel Weil)という英国ポストモダニズムデザインの尖兵とも言えるデザイナーでした。そこで学んだことは多すぎて今も整理がついていませんが、もっとも大切なことは「デザイナーとして生きる姿勢」を問われ、クリエイターとして「乗り越えるべき高いハードル」が設定されたことだったと思います。
デザイナーとして世界を相手に自分の足で立って生きていくためには、自分にしか出せない答え(デザイン)を生み出すこと。(A+B)÷2のような予測可能なものはつまらない、ということです。
大学院で学ぶ中、自分のものだと信じていたアイデアやデザインが実は他者からの借り物に過ぎず、意識しなかったレベルの引用だらけで、着ぐるみを剥がされた自分は弱く痩せた存在でしかないことに気づかされました。落ち込み、立ち直るまでに時間もかかりましたが、クリエイターとして成長するためには根本的な意識改革が必要だったのでしょう。
教授はデザインやアートの「歴史を深く学び咀嚼する」ことの必要性を説きました。自分が「新しいアイデア」だと思うものがあれば、それが「何に対して、どう新しいのか」自覚的になること。その際、過去の歴史的な作品、事例と常に照らし合わせ、思いついたアイデアがそこになければ確実に「新しい」と言えるのではないか。逆に、歴史・文化を継承しながら1歩でも0.5歩でも前進するものがあれば、そこには価値がある、ということです。
クリエイティブな仕事は頭の芯が熱くなるような、内から沸き上がる情熱も大切です。しかし同時に重厚な過去の文化アーカイブに向き合い、自分が達成しようとする物事の意味や価値を精査する冷静で知的なプロセスが必要である、という考えは今も私の支柱となっています。
そして後に家具のデザインを始めて以降、この姿勢はさらに強固なものとなりました。なぜなら家具デザインは歴史が古く、安易なコピーまがいのデザインを避けるためには否が応でも過去と向き合い、現在を考察することが求められると考えたからです。
●トム・ディクソンによるオリジナリティの回復
私が家具のデザインを始めたばかりの頃、歴史に向き合うデザイナーの姿として忘れられない出来事がありました。1998年からの数年、トム・ディクソン(Tom Dixon)が「habitat(ハビタ)」のディレクターに就任し、以降氏が企業の内外で行ったプロジェクト群にはクリエイターとしての矜持と、あるべき姿を見せてもらった気がします。
トム・ディクソンは私より一回り上の世代で、80年代にCreative Salvageという言葉で括られる、工芸とデザインを結びつけるジャンクアートのような個性の強いデザインで頭角を現したデザイナーです。自らのオフィス(工房)を構え、小ロットや一点ものの先鋭的な家具、プロダクトを発表し、当時の私の感覚でいうとインディーズ系若手デザイナーをリードするカッコイイ兄貴でした。そんなストリート感あふれる兄貴が、保守的なデザインを大衆的な値段で提供するインテリアチェーン「habitat」のデザインディレクターという重役職に就いたわけです。
トム・ディクソンが行ったのは、オリジナリティの回復でした。~的~風の物を作って安く売るのではなく、オリジナルをデザインした作者名を明記し、デザイナーの思いの詰まった商品をこなれた値段で消費者に届けるということです。ソットサスやブルレック兄弟を筆頭に国際的に名の通ったデザイナーもプロジェクトに参画しましたが、同時に、無名若手デザイナーの自主作品や学生の卒業制作などで宙に浮いていた良作も商品化され、若手デザイナーの登竜門という色も帯びました。トム・ディクソンの審美眼で精査された商品群はデザイナーの有名無名を問わず個性的なきらめきを持ちながら、生活の中で使われる楽しい姿が想像できる物となっていました。
出色は「20th Century Legend」という復刻家具群です。折しも世界的にイームズ復刻家具のブームが起きつつある頃で、世のインテリアショップには「ミッドセンチュリー風」の家具が多く出回りだした時期です。トム・ディクソンは安易な「~風」デザインを行わず、ミッドセンチュリーのレジェンド級デザイナーによる眠っていた作品を多く掘り起こし、habitat のブランドから復刻しました。
復刻された作品群の一部を紹介すると、柳宗理の「エレファントスツール」(後にVitra社が再復刻)、ロビン・デイの「Forum sofa」「Polyprop chair」、バーナー・パントン「Panto Pop chair」やラグ、アラン・フレッチャーの灰皿「Clam」、ピエール・ポーランが70年大阪万博のためにデザインしたソファ「OSAKA」や「No560」、カスティリオーニ兄弟の照明「Tubino」などなど。挙げると切りがありませんのでこれくらいにしておきますが、後に他社より改めて復刻が引き継がれたものも多く存在しますので、このプロジェクトのインパクトが大きかったことが伺い知れます。
また同時期、habitatとは離れて氏が運営する自身の工房を訪れた際に目にしたのは、Fresh Fat シリーズにつながる樹脂射出成型機を用いた実験作品試作中の様子でした。habitatのオフィスで見た顔とは別人のように、工作機械に向き合い楽しそうにモノづくりに取り組んでいた姿が目に焼きついています。
●今を生きるデザイナーとして
製造が途絶えていた名作を掘り起こし、オリジナル作者の協力を得て時代に合わせたチューニングを行い、多くの人がその真価を享受できるようプロデュースする。また歴史的偉業に敬意を払いつつ、今を生きるデザイナーとしては新たな地平で新たな問題意識・目標をもってデザインを生み出していく。ここに私はデザイナーがデザイナーをリスペクトする姿勢、また、新たなデザインを生み出す者の持つべき矜持の神髄を見た気がします。
▲「LEM」(stool)
Produced by Lapalma,
Italy
Designed by AZUMI(クリックで拡大)
▲「NARA series」
Produced by Fredericia
Furniture, Denmark
Designed by Shin Azumi(クリックで拡大)
(2019年9月11日更新)
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▲ダニエル・ヴァイル。現在はデザインオフィス、ペンタグラム・ロンドンのパートナー。写真はPentagramより引用。
▲ダニエル・ヴァイルの代表作「Radio in a Bag」。写真はV&Aより引用。
▲トム・ディクソン。写真はTom DixonのWebサイトより引用。
▲トム・ディクソン、Creative Salvage時代の作品「Victorian Railings Chair」 (1986年)。写真はV&Aより引用。
▲トム・ディクソンの「Fresh Fat Chair」。写真はMetamuseumより引用。
▲ロビン・デイの「Forum sofa」。写真はVNTGより引用。
▲ロビン・デイの「Polyprop chair」(写真は後にJohn Lewisより再復刻されたもの)。写真はCaro Communicationsより引用。
▲バーナー・パントン「Panto Pop chair」(上の写真は後にverpanにより再復刻されたもの)。写真はVERPANより引用。
▲バーナー・パントン「ラグ」。写真はVNTGより引用。
▲ピエール・ポーラン「Osaka Sofa System」(写真は、Lacividina社より再復刻されたもの)。写真はLaCividinaより引用。
▲ピエール・ポーラン「No560」(Mushroom Chair)(写真は、Artifort社より再復刻されたもの)。写真はArtifootより引用。
▲アラン・フレッチャー「Clam Ashtray」(Habitat で復刻されたものは、黒・赤・白でした)。写真はalanfletcherarchive.comより引用。
▲アッキレ・カスティリオーニ「Tubino Lamp」。写真はMoMAより引用。
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