●大切なのは20%
「パレートの法則」というのがある。組織が生み出す利益は全体の中の20%の人間が作り出しているということだ。逆の言い方をすれば、80%は利益を出していない社員であるという現実。もちろん、統計を取った時の平均的な割合ではある。経済学の世界ではかなり有名な法則であるが、この20%という比率はさまざまな事象に当てはまるのである。
自分自身のデザイン仕事に置き換えてみても、クリエイティブな作業時間はやっぱり20%くらいの割合で、あとは事務所の掃除をはじめとして、宅配便の梱包や、請求書作成などの伝票作業ではないだろうかと感じる。
クリエイティブな20%の時間をひねり出すには、雑用の80%を手際よくこなしていかないと生まれてこない。だから雑用をやっつける速度は非常に大事なのである。雑用時間100%でクリエイティブ時間を捻出できないのであれば、生きてはいけるけど、ベルトコンベアーの上を歩いているようで、何も進んでいない。これでは働いている気がするだけの自己満足だ。
この考えをもっと拡大解釈すれば、1日の時間をどういう比率で構成するかで、その人の人生は決まってくるという現実に直面する。例えば、どんな天気であろうとも、朝起きたら30分は走ると決めている人の一生は、それ以外の項目においても実行力のある成功者が多い気がする。逆に言えば、自分が自由にできる時間の80%以上を、テレビをだらだら眺めていたり、SNSを眺めていたりすれば、必然的に肥満体系になり、物事にも消極的な方向に変化していくのは明らかだろう。出張中の朝に、皇居をジョギングする人もいれば、二日酔いで起きられない人もいる。その違いは大きい。。
●遊ばなかった日々
29歳でソニーを辞めて独立してからの10年くらいは、活動時間のほとんどは、デザインしている時間として過ごしてきた。バブル崩壊後で、仕事も少なく、自分のポジション確立と、賞金稼ぎでのデザインコンペの作品作りの日々だったと思う。とにかく隙間時間で、食事、睡眠という感じであった。
デザイン依頼があれば、基本的には全部受けていたので、当然ひどいクライアントもいて、強烈なストレスと寝不足で、狭いユニットバスで熱いお風呂に浸かっている数分間が唯一の安らぎだったように感じていた時期もある。湯舟の中というのは1つのメンタルのシェルター的な位置づけができる。やっぱり、シャワーだけではだめだ。胎児回帰的な安堵感が得られる時間が、限界にきている時分には特に必要だ。
独立してからは、人生においての一般的な楽しみのかなりのものを犠牲にしてきた。皆が、花見や飲み会で楽しんでいても、全部断って仕事をしていたし、食事も時間をかけずに質素なものばかりだった。しかし、そんな生活を10年以上もすればやはり結果として何らかのものが現れてくるものだ。まあ、ないと困るのだが(笑)。たくさんのデザイン賞を獲得できたし、とにかくデザインできるという自信もついてきた。これは、人間関係の影響を受けにくい、匿名性のデザインコンペで、いつも高く評価されてきたという部分が大きい。陸上競技のタイムと同じ感覚である。評価としての信頼度というか。
まあ、少なくとも、普通に飲み会に行ったり、遊び歩いていたりの時間が入り込んでいたら、今の自分は存在していないと思う。これが人生における比率の関係性だ。
●あるレベルを超えるために
音大生やプロの音楽家など、1日に5時間以上の練習を怠らない。1日休むと、取り戻すのに3日かかる。1週間休むと1カ月以上の時間を要するともいわれる。これはものすごくよく分かる。音楽の場合は、楽器は自分の体の延長線上にあるものだから、その神経回路は常につながっていないと、数時間の休止ですら壊死に向かっているのだと思う。クライマーの本とかも結構読んだけど、凍傷で指がダメになっていくイメージになんだか似ている。
スポーツも音楽と同じことがいえるのだが、疲れを残したままだったり、焦って負荷が強すぎるとケガをしてしばらく練習ができなくなる。その回復には予想以上の時間がかかる場合が多く、いかにケガをしない練習メニューをつくれるかが大事なのである。
もちろん、デザインで身体的にケガをするということはないのだが、少なくともしょぼいデザインを世の中に送り出してしまったら最後である。締め切り直前で、体調不良を起こして締め切りに納品が間に合わなかたら、もう、そこからの仕事は来ないと思った方がいい。だから、雑用スピードを速めて、クリエイションタイムを捻出しなければならない。
オリンピック選手やミュージシャンで、あるレベルに達している人は、間違いなく人生において、とんでもないくらいに楽しみを犠牲にして、本業に専念している。まあ、ここでいう楽しみというのは「娯楽」という言葉に置き換えてもいいのかもしれない。
ただ、その「娯楽」を排除して、「練習」時間をほとんどにすることがスタートラインであり、そこから先に「運」や「人間関係」が絡んで引きずり落としにかかってくるという展開なのである。
ただ、続けてさえいれば、少なくとも、その専門分野があるレベル以上になれば、面白いことにそこを抜け出してきた人たちとのコミュニケーションの場が与えられてくるのである。そこは業種や種目はあまり関係ない世界。ただ、居心地がとても良い。
仕事のレベル段階も、あるところまで到達すると、そこから先は比較的楽に感じられるものである。これは山登りもすごく似ていて、頑張って1つの山の頂上にまで達することができれば、そこに「登り切った」という達成感をまず獲得できる。そして次に、そこからしか見れなかった新しい世界というものが見えてくる。山でいえば、奥に隠れていたさらに高い山を発見するということ。そこを目指すにはいったん山を下って、さらに厳しい登りが待ち構えている。ただ、1つの山を登り切った自信が、次の登りもできるのではないだろうかという励みになってくる。
そして、何よりも大事なのは、同じ山を登り切った同志のような存在を見つけることができ、次を目指そうという強いモチベーションの動機につながっていくことなのである。だから、まずは、人生は「比率」なんだと思う。
●黄金比と白銀比
実は今回は、久しぶりにデザインに関する「比率」や「黄金比」、「白銀比」の話をしようと思っていたのであるが、やっぱり人生論の比率になってしまった(笑)。ということで、簡単に。
「黄金比」は約1:1.6の割合。この比率は実はとても魔術的で魅力的なのである。フィボナッチ数列というものがあって、これは1,300年前にインドで発見された法則だ。1.1.2.3.5.8.13.21.34と延々と続くのであるが、非常に不思議な配列で、無限大に規則的に増殖していく。自然界の花びらの数とかヒマワリの種であるとか、巻貝の造形であるとかがこの数列だ。さらに、黄金比の1:1.6が実は、このフィボナッチ数列と一致するのである。例えば上記の34÷21=1.6190というふうに。これはとても不思議である。
もう1つの「白銀比」は1:1.4の割合で、これはA4のコピー用紙の比率とまったく同じで半分に折ればそのままこんどは同じ比率のA5サイズとなる。便利な比率で、この比率でないと、半分に折っても同じ比率にならない。近似値としては√2、正方形の対角線の長さでもある。正方形の場合は半分に折るのを2回繰り返せば同じ比率になる。
「白銀比」は、法隆寺とか、銀閣寺の屋根の比率として使われることが多い。日本的な比率なのかもしれない。造形的な安定感はあるのだけれども、「黄金比」と比べると、「生命力」とか「色気」みたいなものをあまり感じない。これはまったく個人的な意見だけれども。
大学の授業で、「比率」をやろうと思ったついでに、黄金比テンプレートみたいなものを見つけて、自分の作品を検査してみたら、結構な数のものが適合していて、これまたびっくりした。ほとんどが「黄金比」で白銀系はほとんどなかったのであるが。何かこう、気持ち良いところで区切るときに、無意識に、1:1.6あたりを選んでしまうのだろう。
「黄金比」の話は、なんだか、おまけみたいになったけれども、これはこれで調べていけばたくさんの例が紹介されている。「数学」と「美学」が共通項を持っていることに、何か、世の中の秘密が隠されているようでわくわくしますね。
2022年6月1日更新
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▲TOTOスーパーエクセレントバス「PVZ1800」。もう、デザインして15年以上になるが現在もロングセラーの浴槽。黄金比の集大成的な要素満載です。カタログ。(クリックで拡大)
▲木本硝子「es]「es Stem02 <華>」。お酒の種類に応じて、口元の絶妙なカーブを3Dプリントモデルで実体験して作り上げたデザイン。料理関係者プロからの支持が高く、こちらも大ヒット商品なのであるが、黄金比のレシオが隠されているフォルム。機能と数学の意外な関係性。(クリックで拡大)
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