pdweb
無題ドキュメント スペシャル
インタビュー
コラム
レビュー
事例
テクニック
ニュース

無題ドキュメント データ/リンク
編集後記
お問い合わせ

旧pdweb

ProCameraman.jp

ご利用について
広告掲載のご案内
プライバシーについて
会社概要
コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その40:「反復練習」の重要性

澄川伸一さんの連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(フルマラソン3時間21分、富士登山競争4時間27分)。



怒涛の2021年も気が付けば「師走」である。

この1年もコロナで振り回された年だったが、じっくりと自分に向き合って何かに取り組んでいくには、ある意味「チャンスの年」であったのではないかとポジティブに考えていきたい。

●切磋琢磨する人たち

「文句」「不満」を口にしながら、テレビやSNSを見続ける人たちがいる一方で、粛々と自分の理想に向かって毎日を「切磋琢磨」している人たちもいる。「切磋琢磨」している人たちって、あまり人のことは気にならないし、自分がどう見られているかもそれほど興味がなかったりする。

切磋琢磨する人たちの意識にあるのは「山の頂上の景色」であって、それだけが心の中に存在して、現実の一歩一歩を確実に進めている。意識は山の頂上だが、目線はしっかりと現実の「一歩一歩」を転ばないように注意深く観察しながら歩き続ける。

今の季節ならば、歩を進めるたびに足元から聞こえてくる落ち葉が割れる「ザクザク音」が、今この瞬間に進行しているという実感をリアルに意識下に投影してくれる。スキルアップにおいてまず大事なのは、こういった自分自身との「対話」の時間の絶対量ではないかと常々思う。

そうやって進んできた365日は、歩まなかった人と地道に歩み続けてきた人とでは、当然ながら、結果としてものすごく大きな差となってくる。砂時計の砂が落ちきった時が「人生の終点」と意識すれば、どんな状況であろうとも「時間」は有効に使いたいものだ。自分は常に後者であり続けたい。

●音楽、体育、美術

僕の場合は、「音楽」「体育」「美術」という大好きな趣味のジャンルがあって、その中で食べていける趣味がたまたま「美術」の領域だった。「趣味」が充実していると、人生そのものが豊かになるのは間違いない。そして、その趣味のスキルが上級者になればなるほど楽しみの幅も広くなってくる。ここでの「趣味」というのは能動的行為であって、受動的行為のものは入れていない。例えば、テレビを見るなどは「娯楽」であって「趣味」とはカウントしていない。

能動的行為としての趣味は、スキルアップに時間も気力も要するものだ。しかし、段階的に上に行けば行くほどに、他の趣味の分野で秀でた人との交流も始まってきて、なおさら楽しいのである。スキルアップっていうのは自分の名刺みたいなもの。一度だけの人生なのであるから人生の後半戦で楽しいほうがいいのは決まっている。そのために「今を頑張ろう!」でいいのではないだろうか。

「デザイン」以外の食っていけない「趣味」に関しては、自分の場合はまず「楽器」、次に「ランニング」である。毎日最低でも30分はそれぞれの反復練習の時間を作るように努めている。できなかった日は変な罪悪感を感じながら過ごすことになる。これはできるだけ回避したい。

一方、食っていける趣味としての「デザイン」に関しては、24時間、365日何かしら考え続けているし、手を動かしているので、日常の呼吸のような感覚で「練習」という概念はまったくない。今まで人生の中でおそらくほとんどデザインのことばかり考え続けてきた。現在もランニング中でも、大体はデザインのことを考えながら走っているし、例えばドラムの極めて単調な基礎練習の最中も、何かしらのデザインアイデアを考えて叩いている。

●「練習」と「本番」

例えば音楽に関して言えば、「練習」と「本番」の意識は大きく異なる。基礎練習と違って、本番の演奏では一度曲が始まってしまったら絶対に演奏以外の他のことは考えてはいけないのである。これは今年になって、痛いほど学んだ。失敗した演奏のトラウマは永遠に記憶に残ってしまうから恐ろしい。

また、長距離レースにおいても試合中に関しては、雑念が浮かんでいると確実にリアルタイムでペースが落ちてしまっている。曲の演奏がスタートした瞬間とマラソン大会のレースのスタートの号砲が鳴った時って、感覚的にものすごく似ているのである。「ああ。始まちゃった!」みたいな。どちらも一度スタートした本番中の時間の枠内では、雑念は一瞬でも考えてはいけない。限定された時間の中での「集中力」がいかに大事かということ。「集中力」って別な言い方をすれば「排除力」なのかもしれない。雑念が入り込まないように堰き止める力。

そしてやっぱり「音楽」と「運動」はとても似ている。両者に共通して言えるのは、毎日の繰り返しの反復練習が絶対不可欠であるということ。

試合前の選手やミュージシャンが自信満々に輝いて見えるのは、今日のこの瞬間までに多大な犠牲を払って、地道な「練習」に時間を費やしてきたという自負があるからだと思う。今までこれだけ頑張って練習してきたのだから。という「努力の質と量」が本番での「キラキラした自信」の表情につながってくるのだと思う。

ただし、ここで「練習」を感じさせるようではかっこ悪いのである。よくテスト前に勉強してきた雰囲気を感じさせないで良い点を取る奴がいたが、あれが一番かっこいいのだと思う。3日徹夜したのにいい結果が出せなかった! みたいのは一番かっこ悪い。また、そういうやつに限って、頑張った自分をアピールするから始末に負えない。「練習」ってそれを誰かにアピールするほど悲しくなってくるものなのである。あくまでも「結果」を出すためのバックヤードであって、人前にお見せするようなものではないのだ。

練習を同じ程度頑張ったとしても「本番」で、普段の実力以上の成果を出す人もいれば、日常の練習でできている8割くらいが出力限界の人もいる。これは個人差もあれば「運」も影響する。もちろん、体調や設備のトラブルなどのマイナス面は普通にあると思った方がいい。通常は練習でできた以上のことはまずはできないと思っていた方がいい。だから、すべての基準も「練習内容」によるのである。まずは、本番では「奇跡」は起こらないのである。「練習」でできたことがそのまま100%「本番」でできることが実は「奇跡」なのだと思う。

その「奇跡」を目指すための極めて大事な毎日の練習は、1日でもさぼってしまうと、取り戻すのに3日かかってしまうというのはよく言われることだ。一週間も練習を休めば、取り戻すのに1か月かかるともいわれる。 何度でも言うが、これは音楽とスポーツとでまったく共通している。 

●反復練習の意味と効用

そもそも、「反復練習」というのは、脳が判断する以前に「身体」が反応できるように神経回路の道筋を作り上げていく作業なのだと思う。脳に頼ったのでは間に合わないのではないだろうか。迅速に反応できる特定の部位の筋肉を構築していかないといけないし、ほかの部位の無駄な部分もそぎ落としていく必要がある。そしてその、地味な反復練習の中でも、微妙にメニューを設定していかないと、身体を壊したり、上達が遅くなってしまったりもする。

まず大事なのは「ゆっくり確実にこなす」こと。そして「だんだんに速度を上げていく」という部分。音楽においては、譜面初見で演奏できた部分は、反復練習する必要はなく、とりあえずは初見でできなかった部分に集中して、テンポを落として確実に演奏できるレベルにしてから、ゆっくりと段階を上げて速度を元のテンポに戻していく。それが、1曲を仕上げる近道だ。

曲演奏に関して言えば、自分の苦手な小節が近づいてくると、変な汗が出て、簡単な部分ですら緊張しておかしなことになってくる。しかし、苦手な部分を克服した自信があれば、もうそういったことは起きないものなのである。本番においてはメンタルコントロールがいかに大事かということ。速いテンポでちゃんとできるという自負が芽生えていれば、精神的な余裕が生まれて、今度は「音色」とか「アクセント」の「表現」の部分に集中することができる。まずは、やっぱり「速度」なんだと思う。そして邪念があるとまずは「音色」がおかしくなってくる。

一方、「運動」における長距離走に関しても、日常の練習はケガしないギリギリまで追い込むのが一番の近道なのだが、万が一、ケガをしてしまったら練習そのものができなくなってしまうという致命的な状況に直面するリスクがある。実は、筋力と心肺はシーソーみたいな関係で、筋力が付けば、心肺に負担がかかってくるし、練習を重ねて心肺が強くなれば、今度は筋肉が悲鳴を上げてくるのである。心肺と筋力のシーソーのように揺れながら、上昇していくようなイメージがスキルアップのイメージである。目指すはこちらもやっぱり「速度」なんだと思う。そのための「心肺」と「筋力」。

音楽の演奏に関して言えば、長距離走における「呼吸」が同じくらい大事だということも今年になって学んだ。「丹田」に重心を置いて深い呼吸をすることが演奏の質を上げるためにはとても重要だ。これは管楽器以外の楽器でも重要なこと。「呼吸」は、もっと深く掘り下げてみたいテーマでもある。またの機会に。

●リアルタイム表現とデッドライン表現

ここまで、スキルアップの「練習」の重要性について書いてきたのだが、例えば「打ち込み系」の音楽に関しては、非常に「デザイン」に近い気がする。それは締め切り時間という大きな枠の中で、最終的な成果物を作り上げるという点で、リアルタイムでのパフォーマンスではないという部分が同じだから。それって、表現世界における「リアルタイムの表現」の世界と「デッドライン表現」の世界との大きな違いなのかもしれない。

リアルタイムの表現世界では、運動競技、音楽の演奏会、演劇、書道みたいなものがある一方で、デッドライン表現の世界では、絵画、彫刻、デザイン、打ち込み音楽、映画、文学などがあると思う。リアルタイムのほうは、本番で失敗に対するダメージが大きいのでより「練習」をする必要があるのではないだろうか。

デッドライン表現のほうでは、反復練習というよりは、いかに今までにない新しい感覚を吸収して表現できるか? というようなトライアルな部分が大事な気がする。時間に対する意識もかなり違うように思う。この辺をきちんと自覚していないと、そもそも、それぞれの「表現」がおかしなことになってくるだろう。

「リアルタイムの表現」の世界と「デッドライン表現」の世界との大きな違い。この話はものすごく大事なのでまた改めて考えてみたい。

自転車に乗るという行為は一度できてしまえば、練習しなくてもすぐに乗れてしまう。でも、これって、誰もが経験する最初の「練習」の登竜門。一度スキルを身に着けてしまえば、自分の活動範囲のテリトリーは何倍にも広がっていくものだ。

いろんなことをたくさん「練習」して自分の世界を広げてみたい。と、無理やりまとめて今月は締めます(笑)。「反復練習」の重要性のお話でした。 


2021年12月1日更新




▲3年前より始めたドラム。たまに友人とセッションするのが何より楽しい。デザイン業界は意外に楽器経験者が多いので楽しい。もっとうまくなりたい。(クリックで拡大)




▲2007年の東京マラソンから始めたランニング。ハーフ91分、フル3時間20分、富士登山競争山頂の部4時間27分。一応、ベストタイムです。現在はゆるく走り続けています。(クリックで拡大)











Copyright (c)2007 colors ltd. All rights reserved