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コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その34:家を建てるということ:土地編

澄川伸一さんの連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(フルマラソン3時間21分、富士登山競争4時間27分)。



●三軒茶屋のマンション暮らし時代

旅行の話が2ヶ月続いたので、今月は少し現実世界に戻って「住処」について考えてみたい。

コロナ禍で都心から、海の見える湘南や山がある場所へ引っ越す人が増えてきている。確かに、リモートで仕事が成立することが分かれば、何も混雑する通勤電車に乗る必要もなく、人に直接会う機会も激減している。都心で生活するということを再考する機会なのだと思う。

独立直後の仕事がまだ不安定な時期、三軒茶屋の246沿いにマンションを借りて事務所兼自宅としていた。玄関から入って一番手前の8畳くらいの洋室を事務所としていた。いざとなれば渋谷からも歩ける距離で、打ち合わせも楽で非常に便利だった。246沿いを歩くと芸能人とよくすれ違ったのが懐かしい。CADと同じで、画面上だけだとスケール感が把握できないものだが、実際に現物の芸能人を目の当たりにすると意外に小さかったり、逆に大きかったりという発見が毎回面白かった。

当時は普通に外でランチを取っていたので、ランチの良店がひしめくこの界隈では毎日が楽しみでもあった。三宿のおしゃれなスポットもかなり行った。今は、夕食一食のみの生活パターンなので外で今日のランチはどうしようか? という概念はなくなってしまったのだが、三軒茶屋の時は、今日はフレンチ、明日はスペインという毎日の楽しみがあった。

楽しいランチタイムは、当たり前だが同時に体重も増えていくものだ。しかしマンションのエレベーターで下に降りれば、すぐにコンビニもスポーツジムもあり、ほぼ毎日のようにジムのプールで泳いでその後は必ずサウナというルーティーン生活を繰り返していたおかげで、体重を維持できていた。通常、スポーツクラブは入会しても、通わなくなってしまう会員がたくさんいることで成立するのだが、ほとんどマンションの設備くらいの距離感だったので元を取る以上にフル活用していた。ジムの年会費も家賃の一部みたいな感覚だった。プールとサウナ付きの物件として考えれば、安かったのかもしれない。

まあ、ともかく三軒茶屋には都心ならではの利便性はたくさんあったのだが、その反面マイナス要因も多かった。首都高や環七からの排気ガスのせいか、コピー機はすぐにメンテが必要になったりと、どうも空気が汚れているのを実感していたし、街の喧騒も激しい、ノイズの多い環境だったのである。

ある夜、ものすごい激突音で目が覚めてベランダに出ると、目の前の首都高で乗用車3台がひっくり返って大事故になっていたこともある。とにかく、マンハッタンのように24時間何かと騒がしい街だった。非常に魅力的な街ではあるのだが、とにかくいつも誰かが何かをやらかしている。

マンハッタンは、24時間パトカーや救急車やら消防車やら銃声やらで、それはそれですごくにぎやかな世界だった。危ない目にも何度も遭遇してきたのだが、どのケースも幸いなことに、間一髪でうまく避けてこれた。ただ、マンハッタンはそんな喧騒で危険の塊の街でも、ちゃんと都市計画されているセントラルパークがあるおかげで絶妙な街のバランスが取れていた。あの大公園がなかったら、そこに住むニューヨーカーのメンタルバランスは完全崩壊していたと思う。

ここで働くエグゼクティブにとっては、自分のオフィスからこの公園が見えるというのがステイタスなのである。セントラルパークを設計して実行した人ってすごいと思っている。セントラルパーク自体でコラム1本は書けるくらい語りたいこともあるのだが。アメリカ駐在してた時は、出張がない限り、毎週末は自転車で公園に行ってオニオンたっぷりのホットドッグをランチにしてのんびりと過ごしていた。まあ、三軒茶屋も、イーストのアベニューABCのように物騒ではないが、非常に埃っぽく喧騒の街で、現在のようにランニングしようという気はまったく起きなかった。

あと、三軒茶屋生活で致命的だったのが駐車場問題。この地域はマンションの賃貸料も基本的に高いし、とにかく駐車場が異常に高く、最低でも月に5万円は掛かった。ある時不動産屋さんに紹介されて、住んでいるマンションに近い駐車場を管理している事務所に1人で行ってみたら、なんと、思いっきりあちらの世界の人の事務所でびっくりしたことがある。道理で不動産屋さんが一緒に来なかった理由が分かった(笑)。事務所の中はテレビドラマや映画のセットとまったく同じような感じで驚いた。まさに景色も登場人物の風貌もそのもので、本当にびっくりした。まあ、こちらは駐車場が借りられればいいだけの話なので、結局3年間くらいお世話になった経緯がある。慣れというものは恐ろしいものである。ただ、事務処理はきちんとしていたし、相場よりも安かったので、結果オーライなのである。

●東京の田舎暮らしとランニング

三軒茶屋の生活はそれなりに楽しかったが、仕事も軌道に乗ってきて、いったん中学と高校時代を過ごした調布に戻ることになった。基本、僕の仕事はハイスペックのPCさえあればなんとかなるのだ。強いて言えば、打ち合わせの往復の時間が少し長くなるくらい。僕は生まれてからはずっと新宿中心部で、西口の淀橋浄水場に高層ビルの第一号の京王プラザが出来上がっているのを眺めながら過ごし、そのあとは世田谷に小学校までいた。都心の環境に慣れてしまっているので、調布は緑が多く深大寺とかもあって、大好きな蕎麦屋さんも多く、まるで観光地のような感じが居心地良かった。

まあ、東京の田舎という表現が適切だと思うのだが、信号が少なく排気ガスも少なくなってくると何となく走ってみようかな、という気持ちにもなってくる。ここは多摩川に流れ込む武蔵野台地を流れる「野川」という小さな小川があるのだが、仕事がひと段落したお昼過ぎに上流の方まで走って戻ってくるというのが日課になっていた。運が良いとカワセミにも遭遇する。カワセミの色はほんとうに美しいのである。白サギや青サギとかは普通にいるし、もっと運が良ければ全長1.5mほどの青大将にも遭遇できる(笑)。

本格的にランニングをやるようになったのは、2年ちょっと続けていたボクシングジムが突然閉鎖になってしまったのがきっかけ。かなり追い込んだ練習をしていたので、持て余したエネルギーのやり場に困っていた時期。ちょうどそのタイミングで、ガチランナーだった友人に調布市民の駅伝大会に誘われて、レースで実際走ってみたら、ほかのランナーより速く走れたので、これはまだまだいけるなと、うぬぼれた気分で第1回の東京マラソンにエントリーしたのがそもそもの始まりなのである。初マラソンは、4時間オーバーだったので悔しい結果になったが、翌月の荒川マラソンですぐに4時間以内でゴールすることができた。それ以降ランニングは継続して、過去で一番長く続けている種目になってしまった。

健康のために走るのではなく、レースで勝つために走るように走る意味が大きく変わった。少なくともレースで体育会系の20代前半のランナーを抜いた瞬間の相手の悔しそうな表情を確認するたびに、虫コナーズのCMではないが「勝った。」的な満足感は味わうことができる。これは日常では味わうことのできない、かなりのドーパミンがあふれ出る快感である。スポーツや音楽は言い訳のまったくきかないはっきりした勝負がつくからフェアで楽しいし、また半面残酷な世界でもある。

そんな感じで、すっかりランニングにはまり、ランニング雑誌を購入するようになり、当時まだ珍しかったGPS時計を購入して自分の走る速度や距離などを管理していくと、自分の能力がどんどん向上しているのがとても楽しく、まるで人体実験ゲームのように夢中になってしまった。

仕事もランニングのレベル向上に比例して何故かうまくいくようになってきた。そもそも、自分のデザインの作業のほとんどは、PC画面に長時間向かって図面を作成するだけの非常に地味な時間でもある。そのオフタイムには、もう他のデザインに関することは見たくも聞きたくもないのが本音なのである。そういった意味では、緑の中を走ることはデザインを職とする人間にとっては気分転換としては最適だったのかもしれない。

さすがに毎日走っていれば、だんだんと、1時間で走って移動できる距離が伸びてくる。折り返し地点を30分走った場所と設定すれば、おのずと見えなかった景色が現れてくるのだ。すぐに調布の上流約4キロほどに大自然満載の素晴らしい公園があることが分かり、その公園の中をぐるっと走って戻ってくるのが楽しみとなってきた。走りながらいつかこの公園の近くに住みたいなあとぼんやり思っていたのが、今は現実世界の日常の一部となっている。人生はやり直しがきかないので即実行しないと後悔するものでもある。

僕の座右の銘の1つに「やって後悔することは時間が経つと忘れるが、やらなかった後悔は時間が経つほど忘れられなくなる」というのがある。走るたびにこの公園の近くに住みたいという気持ちが抑えきれなくなってきた。大自然があるとはいえ、吉祥寺まで電車で6分ほど、東京駅まで乗り換えなしの1本で行けるエリアなので、仕事の打ち合わせ面では問題ない。それからは、ランニングのついでに、毎日のようにベストの土地を探して周囲を走り周って探索し、1年後には三軒茶屋とは正反対の、公園脇の静かな土地を購入し、そこに建物を自分で設計して建てることとなった。

もう12年前の話であるが、判断としてはベストだったような気がする。PC作業で疲れ果てたら、ドアを開ければ30秒で、お気に入りの大自然満載の公園を自由に走りまわることができるのだ。しかも、その道中に信号は1つもない。大自然の毎日の季節の変化を感じながら走って、シャワーを浴びてすっきりリフレッシュされれば、そのあともまた机にストレスなく向き合うことができるものだ。そして、毎日の睡眠も非常に深く、ぐっすりと眠れる。振り返れば、この新しい事務所でデザインしたものは、あり得ないほど大量だ。もちろん、オリンピックの卓球台もこの場所で生まれている。当時、なぜ事務所を青山や六本木にしないの?と問われることも多かったのだが、今となっては自然の中にして正解だったと確信している。自分のデザインが有機的な形状が多いいのも、自然物を眺めている時間が普通のデザイナーよりも長いからなのかもしれない。自分のデザインが良い意味でガラパゴス化されて、あまり似たようなものが市場にないのもそのおかげだと思っている。

自分でアイデアを出した建物自体のいろんな仕掛けも注目されてテレビや雑誌の取材もかなり受けた。設計と仕掛けの話は次回なのだが、少なくとも自然の中を走る1時間というものが自分のデザインのバロメーターとなっているのは間違いない。自分が住んでいる場所というものは、人生そのものではないかといつも感じる。



2021年6月1日更新




▲三軒茶屋時代の代表作「ぺコン」。富山プロダクトデザインコンペ「薬の容器部門」優秀賞。シリコン製で蓋が反転してお皿になる、サプリメント容器。4年後にアッシュコンセプトより商品化。グッドデザイン賞受賞。(クリックで拡大)




▲現在の事務所のアトリエ。(クリックで拡大)



▲徒歩30秒の庭感覚の野川公園。(クリックで拡大)







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