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コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その31:そもそも、バックパッカーになったきっかけについて

澄川伸一さんの連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(フルマラソン3時間21分、富士登山競争4時間27分)。



●旅で自分の心に焼き付く写真を撮る

コロナ禍で、もう、1年以上も海外に出ていない。今まで、年に数回は海外の展示会に出展していたので、なんだか、ぽっかりと時間に隙間ができてしまった感がある。血管の中に気泡がはいっている感覚というか。それだけ、年に数回の海外滞在は自分にとっては大事だった。

自分の過去を振り返ると、学生時代から30代まではむさぼるように海外を放浪していた。通算57か国行ったことになる。100%断言できるのは、今の自分のデザインの引き出しはこの経験値があってこそであるということ。それくらいにデザイン発想のルーツとなっている。

では、実際にどこに行くのか? と問われれば、目的地の選択の理由は「行ったことがない国であれば行く」ただそれだけの極めてシンプルなもの。
とにかくは、取り急ぎ往復のチケットを手配するのと、1泊目の宿だけ確保すれば、あとは、不思議なもので現地で勝手に物語が始まっていく。行きの飛行機の隣の乗客から得られる情報も極めて大きい。本当に有益な情報ってそんなに世の中に公表されていないのが現実だと思う。これはどんな事象でも当てはまると感じる。現地の人といかに距離を近くとれるかで情報の量と質は格段に向上するものだ。

もちろん、運もある。「旅」って結局は、ガイドブックとかなしで、何も情報がない方が圧倒的に楽しいし、現在はあまりに情報が手に入れやすい時代になっているが、実は逆説的にはこれは「旅」の本質的な楽しさを犠牲にしていることでもある。

現地で誰かと仲良くなって、そこで手に入れた情報で見たこともない素晴らしいいモノや景色に出会えることが一生の思い出となる。検索して、分かったような気にもなるが実は何も分かってはいない。現在の旅行って、写真で見た景色に自分自身が加わった合成写真のようなものを手に入れるためのような気がしてなんだか味気ない。それをSNSにUPすることで満足しがちだと思うが、写真以上に大事なものが絶対的に在る。人に見せる写真ではなく、自分の心に焼き付く自分のためだけの精神的な写真だ。

●文字情報だけのガイドブックと「世界三大がっかり」

現在はたくさん種類がある「地球の歩き方」だが、当時売っていたのは「アメリカ」「ヨーロッパ」「インド」の3冊のみだったのである。ここの3冊の中に「インド」の1冊が存在しているのが何とも言えない(笑)。当時は70年代のヒッピー文化の余韻がまだあって、「インドのゴア」というトランス文化の少しヤバイ系が世界中から集まる場所があって、ある意味ヒッピー文化の聖地だった。

当時の千葉大のキャンパスにも「格安インド!」とかいう怪しげなポスターがたくさん貼ってあった記憶がある。それだけ、当時は学生にとってはインドは別格な国であったということ。

インドに関してはまた別な機会にお話ししたいが、僕自身はガイドブックに関して言えば、結果的に海外のものを参考にしていた。旅に出て分かったのは、意外にもアメリカ人はあまり海外旅行をしない人が多く、辺鄙な旅先で出会うのはほとんどがドイツ人かフランス人であったということ。アメリカはアメリカでそれぞれの州の文化がかなり異なるのでアメリカ国内だけでも世界旅行みたいな感じになるのが影響しているのかもしれないが。

まあともかく、旅先で出会うドイツ人もフランス人も、日本人に分かりやすい英語を話してくれるので、現地での情報収集では大変お世話になった。特にドイツ人旅行者には旅の初心者時代には危険回避でかなり助けられた経験もある。ほんと、ドイツ人には感謝している。そんな要因もあって、ガイドブックに関してはドイツの英語版のものが非常に役に立った。一般的に海外のガイドブックの良いところは、写真がまったくないということ。カラーページすらない。

これは逆説的でもあるのだが、ペラペラとめくってみても文字情報だけが淡々と綴られているだけ。でもこれで、実際のビジュアルが完全に頭の中での想像物として浮かんできていて、自分の目で実際目の当たりにしていろんなものを見るのが初体験となるから感動もまた極めて大きい。

「世界三大がっかり」というのがあって、いざ行ってみると思いのほか残念なオブジェだったりもするのだが、少なくとも現物を写真でも見ていなければ、がっかりすることも少ない。SNSだって、実際あったらプロフ写真とまったく別人のようで残念だったということも多いいのではないか。旅は、知らないで行ったほうが楽しい。世界三大がっかりは興味ある人はそのまま検索してみてください。

●高校1年の時の地理BのG先生

そんなこんなで結局、57か国を回るまでになったのだが、そもそものきっかけは高校時代のある授業なのである。そのころはスキューバーダイビングに夢中になっていた。SEA&SEAの水中カメラで魚の写真ばかり撮っていた。これはこれで話が長くなってしまうのでまたの機会にしたいのだが、とにかく、非日常的な空間に身を置くことが極めて刺激的であった。そんな好奇心がマックスの年頃にとてつもなく影響を受けてバックパッカーのきっかけになったのが高校1年の時の地理BのG先生の授業だった。

G先生は黒ぶちメガネでやや長髪の風貌で、よく言えばジョニー・ディップみたいな感じ。とにかく話術が素晴らしく、ほとんどの授業は寝ていても、この授業だけはあまりに話が面白く、頭が覚醒してしまい寝るどころではなかった。ぼそぼそと語るのだが、オチが必ずあっていつも大爆笑の授業で楽しみだった。他の授業では、いつもかなりの学生が寝ていて、皆、休み時間はおでこがなんとなく赤くなっていたりしていた記憶があるのだが、そんな中で、唯一誰も寝ない貴重な授業だったのである。

G先生はフランス人の美人の奥さんがいるということであったが、誰も目撃してはいない。でも多分、本当なのだろうと思う。本当であってほしいし。授業は世界のいろんな国の文化や地形を非常に面白く語ってくれるのだった。毎回の話がとにかく面白く、地理の授業が終わると何か映画を1本見たような感覚だった。教科書はまったくと言っていいほど使わなかったけども、重要なことはちゃんと記憶しているし。都立高校の先生でこんなに魅力のある先生がいたこと自体、非常に珍しいと思う。また、授業で誰かを叱ったことも一度も見ていない。

「面白い」ということは学生の態度も自然と正しくなる。いまだに高校時代の授業が記憶に残っているというのはすごいことだと思うし、今の自分の先生の立場としての仕事にもそれは反映されていると思う。とにかく感謝である。

●心に焼き付いた世界地図を描く

ここからが今回の本題なのであるが、そのG先生の最終試験というのが、60分で「何も見ずに世界地図を描け」であった。今までの授業や、みんなの発表の記憶が残っているので、国の形がそのままその国の景色や国民性と重なって記憶として焼き付いている。それらを思い出しながら描く。単純に「覚えろ!」ではいつか簡単に忘れるのだが、そこに物語が絡んでくると記憶力はいきなり「記憶」というよりは「心に焼き付く」ものになってくるものだ。

例えばスペインの輪郭線を描く時は湯気の立った黄色の美しいパエリアとか残酷で美しい闘牛が目に浮かんでくるし、イタリアの半島は何故か四角いピザを連想しながら描く。他の国の境界線や半島の形にもそれぞれの思いや物語がオーバーラップしてくる。他の授業の「漢文」や「世界史」とかの授業は本当にまったく何も覚えていないのだが、やはりこういうことって先生の教え方の問題だと痛感している。覚えていないイコールが頭が悪いというわけではないのである。教え方は大事だ。しかも将来にとても大きく影響してくる。先生との出会いという「運」は貴重なものである。

そんなこんなで、世界地図を試験まで一生懸命描いた。これは今でもある程度かけるし、大体の大陸の輪郭も把握しているからすごいことだと思う。と同時に、世界地図を描きながらどうしてもこのいろんな場所に行ってみたいという欲求が日増しに強くなってきた。そもそもこれが「バックパッカー」のきっかけになったのは間違いない。繰り返しになるが、人の人生に好影響を与える授業というのは本当に宝石のようだ。今でもキラキラした記憶となっている。

●旅から得られたもの

初めて実際にスペインを訪れた時、マドリッドで知り合った旅行者から、「ビザなしでフェリーでアフリカ行けるよ!」「かなりやばいけどね」と言われて。とっさに授業で描いたジブラルダル海峡とモロッコの図形が頭に蘇った。自分の頭の中には世界地図がインストールされているのですぐに分かった。たしかにスペインとアフリカは距離的にはあり得ないほど近いのである。「アフリカ大陸は目の前にある!!!」 翌日、大急ぎで準備してすぐにアフリカ大陸に立つことができた。

モロッコのタンジェという港町だったが、ここがまたものすごかった。あまりにもヨーロッパとの文化の違いにびっくりした。こんなに近いのに。人の性格すら違うので慣れるまでは緊張したが、一旦なれると非常に居心地よく快適だった。建築様式も独特で、観るものすべてが新鮮で刺激的だった。数日前に見たアルハンブラ宮殿がなぜ、スペインのグラナダに建設されたかも地理的な距離関係を考えれば腑に落ちる。地形は物語を作るんだなあと。それ以降の旅もこんな感じで常に高校時代にインプットされた頭の中の世界地図と常にリンクしている。

15年ほどバックパッカーをやってきた途中で、どんどん国が独立して増えていったことでも歴史を直に感じることができた。ベルリンの壁崩壊も目の当たりにしたし。世界って生き物のようにどんどんと変化しているのだなあと。結果、本当の意味で興味を持って世界史を学ぶことができた。国境線って単なる線ではないのである。大陸を区切るというのはとんでもなく重要な意味を持っている。

今はもう、やんちゃな旅行はできなくなってしまったけど、1つひとつの旅から得た経験はとてつもなく大事な自分の財産となっている。これは誰も奪うことはできない自分の財産でもある。いろんな国での習慣や文化の違いを知ることが、今の自分のデザインのヒントになっているのは間違いないし、何か落ち込んだときに立ち上がれる心の栄養源にもなっている。今の若い人たちが、海外の経験のチャンスが少なくなってしまったのが非常に残念であるが、将来に備えてもう一度世界地図を眺めてみるのもいいのではないだろうか。チャンスは必ずやってくると信じたい。

PS.
以前、季刊誌『デザインニュース』で「澄川伸一世界デザイン大冒険」というコラムを数年間連載していたことがあって、かなり人気があった。世界中で体験した不思議な出来事をデザインと絡めて紹介していくコラムだった。また機会があればいろいろと体験談を紹介していきたいと思う。



2021年3月1日更新




▲当時持ち歩いていた日記帳(クリックで拡大)





▲マドリッドの子供たち(クリックで拡大)



▲モロッコの旧市街入り口(クリックで拡大)




▲ネパールのアンナプルナベースキャンプ。標高4,130メートル(クリックで拡大)




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