pdweb
無題ドキュメント スペシャル
インタビュー
コラム
レビュー
事例
テクニック
ニュース

無題ドキュメント データ/リンク
編集後記
お問い合わせ

旧pdweb

ProCameraman.jp

ご利用について
広告掲載のご案内
プライバシーについて
会社概要
コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その2:旅行の達人

澄川伸一さんの新連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(フルマラソン3時間21分、富士登山競争4時間27分)。


●バックパッカーの経験値

今まで、ソロのバックパッカーで58ヵ国を彷徨ってきた。

でも、ここだけの話、いつも3日もすれば早く日本に帰りたくなるのだ。温泉の露天風呂から上がって、ギンギンに冷えた生ビールを片手に、焼き鳥やら鮪、鰻、雲丹、さらには豚骨ラーメンに餃子に特上エビ天丼などなど、妄想は止まらなくなる。日本食に対しての渇望感は発作レベルに到達し、限界値を超えて帰国となるパターン。毎回、成田空港から都内のラーメンまで直行した(笑)。

自分なりの結論としては、「日本人でよかった」ということなのだが、要は、食欲を超える興味深い出来事があるほど、旅は長く続けられるということでもある。

海外での場数が増えるほど良いことも多い。例えば外国人に対するコンプレックスみたいなものは減少されてくる。どこでも堂々としていられるようになってくる。自信満々のアメリカ人のプレゼンも、訳せばべつに大したことを言っていないことが判明し、安心できる(笑)。こちら側の心に余裕が生まれてくるのはありがたい。

今でも、初めての旅先で逆に現地の人に道を聞かれたりすることが多い。逆のパターンで、海外旅行で常に災難に巻き込まれる人は、これは旅行者丸出しであるのが原因だ。1つの例として、不慣れな旅行者は必ず上だけを見て歩き、前方がおろそかになっている。悪い奴らは、首の角度を見ていて常にそこを狙う。そういった意味で、日本は犯罪に関しては比較的安全な国だと思う。

●プロの旅人

旅をしていると、プロの旅人と接する機会も多い。そして、世界的に見ても日本人のバックパッカーってかなりのツワモノが多いのである。旅行者がまず入り込めないような奥地に、完全に溶け込んでいる日本人に多数出会ってかなりの衝撃を受けた。

以前、ブラジルの森林地帯の奥地に滞在していた時、とある青年と仲良くなった。彼はすでに村にすっかりなじんでいて、村のほぼ全員が知り合いだった。驚いたのは、彼の旅行中の持ち物があり得ないくらいに少ないこと。服は寝る前に洗濯して全裸で寝る。小さな布袋にパスポートと現金とカード。そして、日本の絶景写真のトランプ一式。それを一番お世話になった人にプレゼントするつもりらしい。マナウスの群青空を見上げてずっとニコニコしていた。

幸福感とか満足感のようなオーラを放っていたその彼と、逆光でキラキラのアマゾン川を見ながらしばし話し込んだ。なんだか、今思い出しても映画を見ているような光景だった。ある意味彼の「旅感」がとても羨ましかった。

同時に、このような旅の身軽さの素晴らしさに相当にショックを受けた。僕はといえば、カメラと交換レンズの重いバッグ、大量のエクタクロームのX線遮断バッグに、買い込んでいた画集やらを常に抱えながら、なんだか重いな、ロバみたいだなあと。「次の船が出るぞ!」と言われて、そのまま乗り込んでもう帰ってこないというのは旅の美学だ。荷物を取りに戻っている間にチャンスを失うのが常である。船はもう二度と来ないかもしれないのだ。

●カメラのない旅

身軽さと、旅の深さには比例関係があると思う。カメラのない旅というものも実はいいものだ。その分、しっかりと心に焼き付ける意識が保持できるから。実はその旅以降、重いカメラはすべて手放した。今って、写真の在り方が、インスタに代表されるように他者に見せるのが前提になっているけども、本当に大事なのは自分の記憶に焼き付けることではないだろうか。カメラを持たなかった旅行では、実際に強烈な体験が自分の中では、それぞれが1本の映画のように記憶に格納されている。これらは一番の財産だと自負している。カメラという「行為」から解放されると何かを得ることは間違いない。承認欲求を超える何かが其処にはある。

ランニングとか、山登りとか、F1とかもそうなのだが、「軽量化」がもっとも移動速度に影響する。だから、条件が過酷になるほど、グラム単位で持ち物の重量を削っていく。金属のチタンなどは、まさに山岳用の軽量金属の代表的なものだし、ランニングのレース用のウェアやシューズなども、次々と革命的新素材が開発され、あり得ないほど超軽量の高機能化が進んでいる。そして最終的に、パフォーマンスを上げるには自分自身の身体の余分な重量を削っていくことが一番大事だと気付く(笑)。よく歯を磨くときに、揺れる部分はいらない部分ともいわれるが、理想は揺れのない軸のブレないバネ感のある身軽さだ。ただ軽いだけでもだめなのである。

●手ぶらで軽やかに

そして、なかなか成功しない目標の代表が「ダイエット」でもある。理由は「食べる」という行為が習慣的な日常の些細なストレスの緩衝材となっているからだ。「食べる」ことで、一時的にストレスを覆ってしまうことができる。心の中に、置き換えられる他の緩衝材が必要になってくるが、なかなか見つからない。

目的が具体的で期日も明確な場合、ダイエットは成功する。プロの役者さんやボクサーなど典型的な例で、成功しているケースが多い。方法論として、ここから学ぶ部分はたくさんある。最近は、鳥の胸肉とか卵白などがかなり有名になってしまった。 学生の頃の2泊程度のスキーツアーで、シャンプーとリンスのフルボトルとか、美容家電一式とか、あり得ない量の荷物を抱えてくる女子とかいたけども、実際問題、旅慣れてくるほど「荷物」はサイズも重量も自然と激減してくる。本当は自分にとって「必要なもの」を分別していく作業自体はとても楽しいのである。これは「生きる」ことの見直しにもつながる。富裕層の旅行みたいに、ヴィトンのトランクたくさん積んで客船や列車に乗り込んで装いの変化を楽しむ美学はそれなりにはあると思う一方、手ぶらで、タンポポの種のように軽やかに世界中を旅するという心地良さは素敵だと思う。

「軽さ」を手に入れると、より遠くに行けることが可能になり、たくさんの「思い出」ができる。あの世に持っていけるのは「思い出」でしかない。

 
2018年10月3日更新

イラスト
▲西アフリカ マリ共和国の泥のモスク。筆者撮影。(クリックで拡大)



Copyright (c)2007 colors ltd. All rights reserved