●セマンティックショック
わたしは、その国のデザイン教育とデザインの流れには密接な関係があると思っています。アメリカにおいてのデザイン教育を考える時、2つの特徴ある学校が浮かびます。
1つ目はシド・ミードのところで前述した、自動車デザインの優秀なデザイナーをあまた排出し、戦後多くの日本人留学生も学んだ「アートセンター」。そして2つ目は、これからお話しする大学院大学「クランブルック美術アカデミー(Cranbrook Academy of Art)」です。
クランブルックは、1932年ミシガン州デトロイト郊外に美術の教育機関として建築・絵画・彫刻科が設立され、1939年に家具デザインで有名なチャールズ・イームズによってデザイン科が付け加えられました。
アートセンターが「使える即戦力デザイナーの育成機関」として大きな実績を上げているのに対して、大学で実技を習得した人たちが進学するクランブルックでは「デザインの本質を考える」部分を重視し、カリキュラムも学生自身が作ったものを学校がサポートする、自主性を重んじた形式をとっています。現実にはどちらの学校も海外からの留学生を含め、学生の多くは企業に属した経験を持つ人たちで、スキルを新たに習得するのが目的であればアートセンター、実技よりもデザイン全体の概念を習得したいと思えばクランブルックを選択するすみ分けがされています。
そのクランブルックで1980年代の後半、世間がまだまだ「ポストモダンデザイン」の余韻を引きずる中から、1人の天才プロダクトデザイナーが誕生しました。その青年の名はデビッド・グレシャム(D.M.Gresham)。クランブリック美術アカデミーを1986年に出たばかりの彼は、一夜にして時代の寵児になりました。
1989年、ドイツを皮切りに世界中を巡回した「世界インダストリアルデザイン展」カタログの表紙は、グレシャムが友人2人と設立したDesign Logicによるパーソナルコンピュータのデザインモデルでした。
彼が提案したそのコンピュータは、サイズと奥行きの異なる何冊かの本が横に並べられたような形状をしていました。スイッチのある「本」、インジケーターの並んだ「本」、外部記憶装置の入っている「本」。それらの集積が「コンピュータ」であると彼らは定義したのです。
それまでは、ただ「四角い箱」のバリエーションの世界にすぎなかったコンピュータのデザインに、その箱が果たす「機能」そのものを視覚化した感覚の斬新さと形としての完成度の高さに、わたしはひと目ですっかり虜になってしまいました。しかも、そのパソコン1点でも十分な衝撃でしたが、彼がデザインしたプロダクトは発表されたものすべて(6点ほどですが)が、一見アバンギャルド(前衛的)でありながらしっかりした造型力と細密で完成度の高いディテール(細部)を持ち、そして哲学的ともいえるデザインコンセプトを余すことなく「見える形」に置き換える翻訳力を持っていました。
それはわたしが学生時代、イタリアを代表するデザイナー、マリオ・ベリーニが手掛けたオリベッティの電子計算機の製品群を見た時に感じたものに匹敵するものでした。
彼のデザインは、クランブルック美術アカデミーで長年教授を努めるマイケル・マッコィ(Michel Macoy)が提唱する「セマンティック(semantic)」の概念を、もっとも端的に具現化したものでした。セマンティックを辞書で引いても「意味の、語彙の」といった難しい記号論で用いられる専門用語としか知ることはできませんが、わたしはその言葉の概念を「モノの形に意味を持たせる造形」と理解しています。
たとえば、通常オーディオアンプの「音量」は、単に丸いつまみやスライド、ボタンで表現しますが、セマンティックとして捉えた場合、アンプの目的である「音楽を再生すること」を形に表現するため、そこに音楽にまつわる記号「音符」や楽器の形を持ち込んだり、音の大きさを音符の大小で表現したりする方法を用いたりするのです。つまり「音がそこから出ていなくても音楽を感じさせる形」をそこに表現する造形感覚といえます。
こういったセマンティックというデザイン言語が生まれた背景には、やはりパソコンの登場が大きく関わっています。
今日までデザインは、バウハウスの時代から巨匠と呼ばれる建築家、デザイナーたちによって「機能と形の脈絡」を手がかりにその手法を説明してきました。「形は機能に従う」「機能的な製品は同時に形も美しい」そういった足かせでもありよりどころでもあった内部の「機械部品」がどんどん小さくなり、外形と内側に隙間やズレが生じてきました。
当時すでに、オーディオの世界でも「表面」と「内部部品」の乖離はどんどん広がっていましたが、「つまみ」や「表示」によって、まだその内外のコミュニケーションを図る術がありました。しかし、パーソナルコンピュータの登場によって「形のよりどころたる機能」が、その外観をまったく形に表現しなくなってきたのです。その「乖離」を埋めるのが「セマンティック」だったと解釈しています。
「これは何をする機械ですか?」という質問に、デザイナーではなくデザインした製品自体に語ってもらうという思想。この考え方はわたしのデザイン観を根底からすっかり変えたといっても過言ではありません。
わたしはこの連載を始める時「必ず若きデザイナーに伝えたいことの1つ」として念頭にあったのが、この「セマンティック」という概念でした。その運動の中心を担っていたデビッド・グレシャムは、残念ながら世界インダストリアルデザイン展後数年で名前を聞くことがなくなりました。実際に製品化されたものもほとんどなく、その斬新なデザインは「製品としては成立し得ないデザイン」だったのかもしれません。彼の音信不通とともに、その後セマンティックもまったく語られることがなくなってしまいました。
しかしわたしは、今でもセマンティックの考え方を発想や表現の手段として大切に持ち続けています。昨年キヤノンから発売された業務用大型BJプリンタ「W8400」において2つの円筒をモチーフに用いましたが、それは昔の映画のニュースでよく登場した、大きな金属でできた円筒形のドラムが高速で回転し、新聞が印刷されている様子を「印刷の原点」として捉え、セマンティックに表現したものです。
●再びリンゴの下に集う人々
フロッグデザインのアメリカでの活躍は、多くのデザイン事務所の活動を促すきっかけとなりました。後に自らアップルで仕事をするようになったロバート・ブルーナ(Robert Brunner、1958年~)が所属したルナデザイン(LUNA DESIGN)。イラン生まれのソラブ・ボゾギ(Sohrab Vossoughi、1956年~ )が創設したジーバデザイン(ZIBA DESIGN)スマートデザイン(SMART DESIGN)、そして前出のアイディオなどが挙げられます。
なかでもソラブ・ボゾギが、ヒューレット・パッカードから独立し1984年に活動を開始したジーバデザインは、その製品デザインの質と量においてめざましいものがありました。医療機器・日用品・スポーツ用品など活動の領域は多岐にわたっていました。彼のデザインの特徴は「実質的なもの」で、グレシャムに見られるようなインパクトは持っていませんが、形状・色彩とも普段の生活に溶け込むスタイリングにさりげなく「先進性」が加味されていて、売りやすさと使いやすさを高次元で融合させたものであり、短期間に多くのクライアントを獲得した背景には「市場性への理解度の高さ」があったことが挙げられるでしょう。
「アメリカのデザインの新しい動き」は、またしてもアップルから生み出されることになります。フロッグデザインが去り、創業者スティーブ・ジョブズが去ったアップルでは、いろいろなデザイン事務所とのコラボレーションを試み、その中からしばらくアップルデザインを統括したロバート・ブルーナを見いだします。彼は初期のPowerBookをはじめ、製品のほとんどをフロッグとは異なる形に変えていきましたが、デザインに積極的な経営者ではなかったジョン・スカリー(John Sculley、1939年~)の下で十全なデザイン活動ができたとは思えません。その彼がイギリスから1人の青年をアメリカに呼び寄せたことが、新たな「アップル最大の繁栄」を呼ぶとは思いもよらなかったでしょう。
その青年とは、現在アップルのデザイン総責任者にして副社長でもあるジョナサン・アイブ(Jonathan Ive、1967年~)、その人です。彼はロンドンでデザインを学んだ後、アップルとの共同作業でその才能をブルーナに見いだされ、1992年にアップルに入社しました。彼の出世作となった「iMac」は「トランスルーセント(半透明)」という圧倒的なデザインの流行を生み出しました。
ポリカーボネート樹脂性の白とブルーででき上がった「卵形をしたモニタとパソコンの一体型」は、それまで「禁欲的」とでも表現できる無機質なパーソナルコンピュータのデザインを、根底からひっくり返すパワーを持っていました。それはちょうどアップルに戻って来たスティーブ・ジョブスの「復帰を祝うモニュメント(記念碑)」といっていい製品でした。
ファンシーという言葉はあまりほめられた表現ではありませんが、「iMac」にはディズニーのアニメーションに出てきそうなキャラクターを思わせる「愛嬌」がありました。クリスマスや誕生日に「パソコンをプレゼントする」、そんな気持ちを消費者に起こさせるだけのユニークさと、新しい生活のシーンの想像力を兼ね備えていました。「iMac」はそれまで低迷していたアップルを再建するだけにとどまらず、「アメリカを明るくする」役割すら果たしました。
ジョナサン・アイブはiMacの成功後、同様のデザイン言語でiBookをデザインしましたが、その2点を見ただけで「ファンシーであざとい色彩感覚のプロダクトデザイナー」と定義することはできません。
彼はiMacを、「会社が劇的に変化する時に必要なカンフル剤」と明確に割り切りデザインしました。その後、彼は色彩を抑え、その形体も必要以上に丸く表現することをしていません。彼が生み出したアルミ製のG5はNeXTと並び、パーソナルコンピュータの最高峰のデザインだと思います。同様にPowerBookでもシルバーのアルミを使い、iBookでは白の外装をまとっています。それはiPodの外装にも踏襲され、iPod shuffleにおいて究極のシンプルなデザインに到達しました。ビジネスにおいてもiPodの空前の大ヒットによって、アップルの最高益を毎年更新しています。
セマンティックの流行の後に教育を受けたアイブは、わたしにはフロッグデザインの創設者エスリンガーの正当なる後継者に映ります。彼がデザインした一連の白いデザインは「スノーホワイト」と呼んでもおかしくない、まさに純白なデザインと思えるのです。
「バウハウスからiPodまで」モダンデザインの系譜は、見事にアメリカで継承され続いているのです。
●あとがき
最終章で触れたアップルに、世界的に著名なプロダクトデザイナー、マーク・ニューソンがスタッフの1人として加わったことが先日発表されました。
iPhoneが世界的にメガヒットしたこともあり、アメリカ編が、今のタイミングから見ると生き生きとして感じるのは、まさに「今によって過去も変化する」ことを実証しているように思います。
しかしアメリカにあるアップルですが、デザインチームを率いているジョナサン・アイブはイギリス出身ですし、初期アップルのデザイン評価を高めたのはドイツ出身のヘルムート・エスリンガーによるフロッグデザインでした。今回新たにオーストラリア出身のマーク・ニューソンなどを考え合わせると、アップルは世界中のデザイナーが集結してできあがったデザインカンパニーだと思います。
本来なら「日本編」もここになければいけないと思うのですが、連載当時まさに「これまでになくプロダクトデザインが盛り上がっている最中」であったこともありますし、なにより自分自身もその中にいたので、かえって書けませんでした。
プロダクトデザインの目指すところは、すべての人に使いやすさや快適をもたらすことにあります。
連載当時、デザイン性の高いものに「デザイン家電」という名前が冠されている状態では、デザインが生活に浸透しているとは言えないように思いましたが、ここ数年そういったもてはやしが見えなくなったことは、プロダクトデザインがかつてよりも「当たり前」に近づいてきたのかもしれません。
かつてはプロダクトデザイン=家電や機械という時代がありましたが、今では若いデザイナーの人たちは、家具や食器カトラリーなど「生活全般」にそのチカラを発揮する領域を見いだしています。そこにあるのは「やさしさ」や「気づき」です。
それは本来持っている「国民性」と一致しているように思えます。「よそいき」であったデザインが、日常に溶け込んできている証左にも感じます。
「日本編」を書くには、「熱の後」とも言える今のデザインがどう定着していくかを見定めてからかなと思います。
プロダクトデザイナー 秋田道夫 2014年9月
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