●はじめに
日本にもプロダクトデザインの時代が来た! と、ここ数年の世間の動向を見ていると感じるわけです。苦節50年というのは大袈裟ですが、その昔わたしが大学の図書館でながめていたドイツ、イタリア、アメリカのデザイン雑誌の数々に、日本のプロダクトデザインが当たり前のように登場するようになってきました。それよりもなによりもまったくデザインに関わっていない人々が「デザイン」という言葉を日常会話にさりげなく使うようになり「製品を買う時の大きな理由」になっているのがすばらしい。
先日、スペイン大使館でプロダクトデザインを紹介するセミナーがありました。素敵な製品やコンセプトを見ていて、スペイン人のピカソが今、青年だったらプロダクトデザイナーになっていたのかもしれないと思いました。今は自由な表現が可能になっていますし、そしてそれが大量に地球規模で普及しています。自分が携わった製品に世界中の知らない町で「偶然出くわす」というのはとても素敵な経験です。そんな「夢のある仕事」を有能な人材が見逃すはずはないと思ったのです。
今世界のプロダクトデザインを担っているのは間違いなくここ「日本」です。カメラ、オーディオ、自動車など市場を席巻していますし、なによりデザインを支えるすばらしいエンジニアリングを持っています。
いいことずくめではありますが、ちょっと心配もあるわけです。それはなにかといえば「デザインの歴史への敬意」や「広範な芸術への造詣」といったものが肝心のプロダクトデザイナーに備わっているのかしら? という不安です。
1年、半年というサイクルで製品が新しくなり、ともすれば日常のデスクワークに終止しがちだと思うのですが、「その道は20年前、あなたの先輩が歩いた道ですよ」と思うデザインが出て来たりします。
「温故知新」。そう、昔のデザインに新しいデザインの可能性が詰まっていること。みなさんが生まれる以前にすばらしいデザインと知恵が生み出されていたことを知ってほしいというのがこのコラムの「コンセプト(概念)」になっています。
本コラムには、多くの人や製品が登場しますが、それについて懇切な説明や写真紹介はあえて省略しています。それはインターネットや書籍でみなさん自身でそれらの人や製品を調べてほしいという願いがこもっています。
新しい知識の「ファイルケース」の背表紙に名前だけはわたしが入れておきました。そのファイルケースに知識という書類をためるかエンプティー(空)のままかは読む側のセンスや意欲にかかっています。しかしプロダクトデザイナーであるわたしは「書類を入れたくなるかっこいいファイルケース」を文字の形で提供しようと思っています。
※プロダクトデザイン。ひと昔前には、インダストリアルデザイン(工業デザイン)という呼び方が量産を前提とした製品をデザインすることの呼び名として定着していましたが、最近になってプロダクトデザインと呼ばれるようになりました。差異に付いて語るのは難しいのですが、ユーザー(使用者)に対する意識がより高くなっているのがプロダクトデザインという捉え方をしています。よってここでは主にプロダクトデザイン表記をしていきたいと思います。
●源流はバウハウス
プロダクトデザインはいつどこで生まれたものなのでしょうか?
イギリスで起こった産業革命と、それに伴う大量生産品の誕生までさかのぼるのが順当かもしれませんが、当時流行していたビクトリア様式の「蔦が絡まったような模様」をまとったミシンやレジスターを「デザインの誕生」とするのには、いささか抵抗を覚えます。
現在のプロダクトデザインと脈絡を持つという意味では、1919年に建築家ワルター・グロピウス(Walter Gropius、1883〜1969年)によってドイツ・ワイマールに開校された造形校「バウハウス」をして「プロダクトデザインは誕生した」というのが一般的な見方でしょう。
1933年にナチスの圧力により閉校に追い込まれ、わずか14年間しか学校として機能しなかったのですが、世界のデザインへの影響力は70年後の今でも強く残っています。
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