moviti/片山典子
1964年神戸生まれ。京都市立芸術大学卒業、東京でインハウスデザイナーとしてパーソナル機器のプロダクトデザインや先行開発に携わる。デザインの師匠である同業のオットと2人暮らし。2005年から“デザインって何だ!”と称してノンジャンルで自主活動展開中。最近はフリークライミングとバスケットボールの“大人部活”と旅行にはまっている。2010年から本格的ソロ活動(離婚じゃなくて独立)開始。
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厳しい夏が終わって急に秋です。
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やっと読み終わりました、『フォークの歯はなぜ4本になったか−実用品の進化論』 。なんとなく書店で平積みになっていた本を手に取った。
てっきり串田孫一の『文房具56話』みたいな道具エッセイとか古道具マニアが編纂した道具の歴史の進化かと思った。
読んだらとんでもなくデザイン、エンジニア、経済、モノ作りの真理をあけすけに書いた本だった。
いやあ滅多にデザイン系名著は読まない(どうも普遍な言葉が多すぎて、書かれた時代背景をちゃんと考慮しないと書かれた意図がよく分からなくなるので)主義なんですが、虚を突かれました。1995年にハードカバーで出版されたそうです。
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どうしてこの世にモノがこんなにたくさん溢れているのか
形は機能に従う/必要は発明の母なのか
に対して
形は失敗に従う-失敗をただす形が幾通りもある/贅沢は発明の母
と言いきってる。
紙を綴じる道具としてピンが使われだしたのは19世紀、ピンを大量生産する製造機ができ、コストダウンされた。でも指を刺したり錆びたりの欠点を補うのにクリップが出始めたのが19世紀半ば。鋼線のバネ性を利用し、曲げ加工が可能な製造機の発達と、“いかに紙を保持するか”形状の特許合戦があったのが、1890年代から1910年の間。
服の合わせ目を綴じるピンがボタンとボタンホールになったのが13世紀。ぴったりした服を綴じるにはピッチの狭いボタンをたくさん留めなければならない(素早くボタンを通すボタンフックという道具もあったらしい)。
そしてブーツの留め具のアイデアとしてファスナー(可動式のガイドを合わせ目に沿って一度滑らせるだけで自動的に開閉できるよう、留め具を一列に並べる)の特許が出願されたのが1851年。1890年代にジャドソンというエンジニアがプロトタイプ化し、サンドバックという別のエンジニアが別の方式の開閉機構と製造機械の発明によって1914年頃に商品化された。初めは“見たことないものどう売るの?”的な苦難もあったようだが、ミリタリー用隠しポケット付きベルトに採用されたのがきっかけで爆発的に売れた、そうだ。
他この手の発明ネタストーリーの定番、Post-itやステープラーなど。
まあ言われてみればそうなんだけど、クリップとかファスナーとかいつからあったのか、なんて考えたこともなかった。
安全ピンは意外にも博物館でまったく同じ形状の古の道具をときどき見かけますね。
そしてそれが安くなったのは、大量生産可能な製造ラインの発明:産業革命とダイレクトに結びついているのか!
というか現代の暮らしに当てはめてみればなんだか“黎明期のパソコンとかケータイ”の立ち位置と似てる気がする。100年前の大発明。
一方タイトルにもなったフォークは7世紀に中東の宮廷に登場し、11世紀イタリア、16世紀フランス、17世紀イギリスへ。おっとりしてますね。
19世紀に一般ピープルのライフスタイルの洗練(お行儀とか上流とか)と結び付き、用途に合わせて細分化増殖し(カトラリー一式が用途別で131種)、異なる用途を想定したカトラリーの形状が期せずして似てしまうこともあったらしい。1965年には“各々が複数の機能を持つ”ように再統合されていく。
まあ作る人も使う人もマナーに基づくカトラリーの数を考えるのに飽きたんでしょうね、収納大変だし。
お箸文化の私達には対岸の火事的なエピソード。
ちなみにこういうモノにまつわるストーリーがデザイン業界以外の人には“身の回りの何げないモノへの新鮮な視点を与える本”という読後感を与えるようです。
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9章のタイトルが「流行とインダストリアルデザイン」。知ってるつもりで知らなかったレーモンド・ローウィの登場。もともとイラストレーター経由広告畑の人なんですね。
実はIDの仕事の前にサックスの新店舗の接客や店員の服装、包装紙、宣伝戦略(ってあれ、原研哉さんみたい)で成功を収めた人だそうだ。
それから“機能が似ていて醜悪な製品”の表面に施された安っぽい装飾に失望してIDの道を切り拓いたらしい。
288ページから299ページの記述は昔の話を書いているとは思えない生々しさがあります。おいおい70年前の話だよ。
食品保存のために19世紀に発明された缶詰技術。でも開封する缶切りという製品には改良の余地がある。缶切りにフォーカスして試行錯誤している間にプルトップ型の缶が普及したり、安全性/ゴミ−環境配慮/再密封/輸送コストなどアイデアの実現以外の要素がだんだん増える。
公共の場所のゴミ袋の有り様がゴミ箱にまつわる不衛生な状況を招いている、ということの冷静な分析(はい仕方ないこととして目をつむってました)。
使い慣れた操作を捨て、複雑でストレスフルな新しい社内線電話システムの導入。でもそれを乗り越えて使い慣れると戻れなくなる便利で快適な機能(はいその通りです。アプリのバージョンアップについうんざりな気持ちが起きます)。
最後半は
「材料とエネルギーの節約という問題は、代替デザインとのかなり客観的な比較を可能にする」
「デザインという旅の途中では、行く手に必ず藪へと続く分岐点が次から次へと待ちかまえている」
「消費者にとって必要な改良と思えるものも、製造業者の目には儲からないと映るかもしれない」
「文明の進歩そのものが、過誤と欠点と失敗の相次ぐ修正(そしてときには過剰修正)の歴史なのだから」
などなど、デザインに携わるヒトにとっては“薄々は感じていたけど、そうはっきり書いちゃった!”な文章に直面するので、なかなか片手間に読めない本でした。
“機能を考えるのがエンジニア、美観を考えるのがデザイナー”と言われがち/考えがちだけど、“機能美”という言葉がデザイナーのよりどころだと思うし。そこがまた悩ましい。
(「」内は本書からの引用)

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