moviti
1964年神戸生まれ。京都市立芸術大学卒業、東京でインハウスデザイナーとしてパーソナル機器のプロダクトデザインや先行開発に携わる。デザインの師匠である同業のオットと二人暮らし。2005年から"デザインって何だ!"と称してノンジャンルで自主活動展開中。最近はフリークライミングとバスケットボールの"大人部活"と旅行にはまっている。
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3月は年度末。新社会人デザイナーとしてデビューを控えながら、甘酸っぱく最後の学生ライフを消化しているヒトも多いでしょう。今時もっとさらっとしているのかしら。
●デザインをするとき何をしているか
手に先日デザイナーには何の力が必要か、デザイナーとひとくくりしてもいろんな方向で得意が違う人たちが多い現在、どうやって自分の得意を測る、アピールするのがよいか、というのを考える機会があったので、それについてあれこれ考えようと思います。今月はあまり女子くさくない、つもり。
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デザイナーに仕事を頼むとき、「もともとこういう技術、アイデアがあるんだけどこれを商品にしたらどうなるのかしら」「斬新で話題性のあるアウトプットを期待」あたりの思惑なんだと思う。
一方デザイナーは「デザインの材料となる何か」とのハッピーな出会いを期待し、自分らしいデザインでクライアントも満足、リリースしたらお客様にも好評、というのを目指しますよね。あるいは"ブレイクスルー"という言葉に含まれる勢い、起爆剤を提供して目からうろこを落とさせたい。
「デザイナーさんの自由な発想でどんどん膨らませていいんです」自由=みずからを由とする。
ところが現実はそうはなかなかいかない。いろいろと解決しなければならない課題がいっぱい。クライアントの漠然とした理想像とデザイナーのやりたいことがすっかりかい離していたら、なかなかWin-Winとはいかない。いきなり理解できないものを見て「なんて斬新なんだ!」と喜ぶクライアントはまずいない。やっぱり理解してお金使いたい、ごもっとも。ほどよい半歩先。まあ全然そういうことを気にしないヒトもいるだろうし、海外有名建築家あたりはほんとに度肝を抜くようなことを提案するんでしょうけど、悲しいかな、私は繊細でマーケティングを無視できないジャパニーズ・プロダクト・デザイナー。本当に自由にやっていい、と言われると、逆に手がかりを探そうとする。
クライアントの「かっこいい」「新しい」「元気が出るような」「オリジナリティある」というイメージをクライアントとの対話や市場調査で分析するわけですね。どうありたいの? どうなりたいの? 外から見た姿となりたい姿にギャップがあるし。
クライアントの方が商品知識もある(ない時もある)から、まずは追いつきたい。じゃないと自分で新しいと思ってやったことが既に存在してたりするし。いろいろ調べていくと知らないが故に、「なんでここはこうなっているの?」「これ不便って言っちゃったらどうなんだろう」「なんでこれやらないんだろう」という箇所も出てくるかもしれない。それがデザインのとっかかりになることもある。
NGワード、とか色とかもありますね。たくさんブツブツを並べるとかアシンメトリーにしたとたんに、確かに見たことがないけど、違和感もある形/配列/プロポーションになるときがある。暗黙知と言われるもの、潜在的知識の一種でしょうか。アイテムにふさわしい好かれるテイスト、というのもある。知った上で従うか、あえて掟破りをするか。違和感も良い方向なら画期的になる可能性を持つ。
逆にクライアントが「これがうちのオリジナリティ」と自負している技術や材料、その見せ方もある。「これを絶対解決したい」という問題意識がある。それがもう文句なしにクールで優れてたり、ドンピシャだったら良いんだけれど、ときどきデザイナーがううーとうなってしまうことにこだわりがあることもままある。その気持ち、思い入れは分かるけど、お客様はそうは受けとらないかもよ、とか。さりげなく配慮されていると気が利いているけど、前面に押し出してアピールするとむしろカッコ悪くないですか、とか。理想は高いけど、それを実現するには技術がまだ足りないよ、とか。それは市場を開拓して数年越しで切り拓く覚悟がいるかも、とか。逆にデザイナーがひらめいたアイデアがすごく自分的にはナイスで自分らしいんだけど、クライアントの期待してるポイントの外周だったりすることもある。的外れ。
用語の使い方、言い回しの違い、日本人同士でも、いや日本人同士だから細かいニュアンスに立ち入ろうとして、どうにもならない違いが見えてくる。
夢を語るのは楽しいけれど、夢の向きが微妙に違う、噛み合わない。まあ噛み合わないものを無理に合わせる必要があるとも限らないですね。時間の決まったミーティングのときと、2人だけで喫煙室や廊下で話すときと、微妙に本音のミックス具合が変わる。
単純にヒト対ヒトの相性というのもある。時間がないと考えが深まらない。でも時間がありすぎるとみんなでグダグダに煮とろけて、モチベーション維持も大変。このプロジェクトどう収束していくのかしら? ちゃきちゃき、さっさと片づけるのを期待されてることもある。意外と時間対効果が大事だったりする、単純に短時間短サイクル、というだけでなく。
課題のキモ探し、スジの良い解決の方向性探し。それを誰でもぱっと解りやすい簡潔な言葉でいったん置き換える。
コンセプトを作って、ユーザーを決めて(いい加減性別と年齢でユーザーセグメントするのやめたいですけどね。理解できないなりに納得しやすいんでしょうね)、仮説作りをその延長につないだからと言っても必ずしもハッピーで勢いのあるシナリオになるかどうか。意外とどぴょんと翔ばして、後付けでつないだ方がすんなりいくときもある。勘違いを逆手に取って、そのポイントをクローズアップしてみる。もうこの頃には実はデザイナーは実体化したいデザインがそろそろ浮かびはじめている。いてほしい。実はそおっとそれが成り立つようなシナリオに軌道を少しずつ修正していったり。こつこつと分析を積み重ねていっても最善の答えにたどりつけるかどうか分からない、たどりつけて大きな収穫を得ることもある。
そしてこれまでの壮大な考察がぎゅっと凝縮したようなブツのデザイン。いやもうこれがないと話にならない、目指すゴールですから。プレッシャーにつぶされそうになるか、自分のハンドリングできる範囲でのシナリオ、世界観にあらかじめしておくか。難しいですね。何にも頭に浮かんでこないんじゃないのか? とかときどき心配になったり。思い詰めて出るものでもないし、私の場合「夜空の暗い星を見たい時は、その方向を見つめ過ぎないで、わざとその周辺を見ながら横目意識で見る」という心境で臨む時もあります。視野が狭くなっては脱線しやすくなる。遠い流れの方向を目の隅に入れておきながら、ディテールを詰めていく。不測の事態に判断する。
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ここまで要求されてなくて、商品デザインだけのアウトプットだったとしても、大なり小なりこういう心の動きってあると思うんです。デザイナーだけでは何も作れない、誰かから実現のための術を引き出すためには惹きつけなくてはならない。(続く)
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