moviti
1964年神戸生まれ、京都市立芸術大学卒業、東京でインハウスデザイナーとしてパーソナル機器のプロダクトデザインや先行開発に携わる。デザインの師匠である同業のオットと二人暮らし。2005年から"デザインって何だ!"と称してノンジャンルで自主活動展開中。最近はフリークライミングとバスケットボールの"大人部活"と旅行にはまっている。
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こんにちは。今月からちょこちょことデザインについて書かせていただきます。よろしくお願いいたします。
私がデザインのお仕事を始めて20年。気がつくとデザインと自分が渾然一体となっております。ニュースを見ても買い物に行っても山に行ってもすっかり「デザイン思考回路」で暮らしております。「なんでこんな風になったんやろ、こんなことしたんやろ」と事実の裏を読むような思考。そしてなんの根拠もなくハッピーへ一歩前進しようとする志向。
そもそもデザインとの出会いはなんだったのだろう。
プロダクトデザイン女子にとっては、この業界なんだかんだ言っても接するのは男性のほうが多い。子供の頃は「ゲッターロボの断面を描くのが好きだった」「自動車が好きだった」「目覚まし時計を分解した」というヒトが多い。したがって前提になる幼少の頃から見たり接したり積み重ねてきたものが結構違う。デザインのことを話すときのボキャブラリーが違ったり、こだわる優先順位が違ったり、苦労したり、逆にショートカットできちゃったり。
ちょっと変わった女子目線で、季節とデザインをからめていこうと思います。
私は神戸生まれ、3人姉妹の真ん中。ありがちだが、絵を描くのが好きでした。小学校の図画工作の授業では、工作はともかく図画では負けへん、と秘かに燃えてました。人物クロッキーが特に好きで、見たままうまく線が描けたときは秘かに自画自賛、惚れ惚れとしてました。
裏の摩耶山を登る以外は、基本的にインドア派で同級生つきあいが苦手だったので、放課後はうちでたわいない女の子の絵を描いたりテレビを見たり、という手のかからないつまらないガキでした。ときどき友達の家に行ったりしてもどう過ごしたらいいのやら。で、楽しみは「母と一緒に三宮に買い物に行き、高架下の服地屋さんで布を見たりダイエーや大丸で日用品を見る」のが好きだったとなります。デパートのおもちゃ売場も行ったりしたが、当時から“飽きそう”と思ってあまりおねだりとかしなかった。子供っぽい色使いが子供扱いされていて好きになれませんでした。好きな場所はたまに行く銀行の貸金庫でした。久しく行ってませんが、今でもきっと好きだと思う。
高架下にはうず高く布が積まれて、愛想の悪そうなおじさんが竹尺を持って立っている店が並んでいる。神戸の洋服趣味というのは自他ともに認める華やかハイカラで、マリメッコ調の大柄でカラフルな布や、ペン描きに原色でところどころ塗ってある動物柄とか。店によって置いている布の得手不得手があるので、お気に入りの店に行って、いかにも洋風で陽気な花柄の木綿とか紺白の千鳥格子のサッカーを“これかわいいやん安いし”と買ってくる。
裁縫の雑誌に載っているシンプルな形のジャンパースカートやワンピースのパターンを“どれがいいやろか”と母と相談しながら決めて作ってもらう。
「これ賢そうに見えるわ〜」
「涼しそうでええんちゃうん」
母の「賢そうに見える」とは“大人しい”でも“いい子”でもなく、“さっぱりしていて、ちょっと企みがあって普通と違う”という意味で言っていたように思う。このあたりは今の自分の嗜好に直結していますね。
仮縫いして裾丈合わせて、ボタン屋さんにボタンを選びに行くのがまた楽しい。買うのは母好みのベーシックなものだったが、スパンコールまみれのブローチみたいなボタンや、角や革を加工したトグルとか、チャイナ服用の紐を花形に組んだボタンとか。
夏は木綿の鮮やかな発色がいいし、簡単に縫えるし、冬服ほどゴロゴロした仕上がりにならないので、ノースリーブの簡単なワンピースをたくさん作ってもらった。母はフリルやリボンは嫌いで、さらにギャザーやポケットもデザインポイントなのに端折ってしまうときもある。洋裁好きでもあったけど、単純に昔の人は成長が早い3人の娘の服は自分でばんばん縫うほうが手っ取り早かったのだろう。
布の堅さが違うと、雑誌の写真とシルエットが変わる。
雑誌のモデルと自分の体格が違うから違う。
妹のワンピースと自分のとが全然プロポーションが違う。
一生懸命伝えているつもりでも、なんかでき上がったら思っていた感じと違ったり、予想外に良かったり。
今にして思うと、ユーザーは私1人だし、作っているのは母なのだけれど、この習慣で随分デザインな部分の基礎ができてしまったような気がします。結局不器用なので自分で縫うことはしなかったのだけれど、欲しいものを作ろうとする姿勢とか。
というわけで、当時私は「なんかわからんがデザイナーになりたい」と秘かに漠然と思っておりました。

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