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女子デザイナーの歩き方 第86回
みんなのデザインのモデルチェンジの難しさ
moviti/片山 典子

[プロフィール]
1964年神戸生まれ。京都市立芸術大学卒業、東京でインハウスデザイナーとしてパーソナル機器のプロダクトデザインや先行開発に携わる。デザインの師匠である同業のオットと2人暮らし。2005年から“デザインって何だ!”と称してノンジャンルで自主活動展開中。最近はフリークライミングとバスケットボールの“大人部活”と旅行にはまっている。2010年から本格的ソロ活動(離婚じゃなくて独立)開始。
http://moviti.com


このコラムでは、デザインのジャンルの枠を超えた活躍をされているmovitiさんに、さまざまな観点から女子デザイナーの歩き方を語っていただきます。


セミも大人しいくらい急に猛暑です、皆様体調に気をつけてください。

7月中旬から妙にざわざわするニュースが多くてついいろいろ考えてしまう。安保とか集団的自衛権とか、ギリシャ問題やイラン核合意やら。平和がいいです、デザインとか美しいとか平和じゃないと言ってられません。

そして国立競技場問題。そもそも混み合った東京の真ん中の更地に対して8万人収容は大きいのが大変そうやね。開閉屋根は構造も限定されそう。私は決まった時に「おー日本にもザハの大規模建築できるのかーザハにしては浮遊感少なめ鈍重形状いかにもお金かかりそうだけど、まあ華があるのが欲しいと判断したのね」と思ってました。日本の技術力なら実現できるかも、夢見たりして。3年経ってから白紙に戻すとは・・・まあここまでこじれるとごり押しても疲れちゃって、見ただけで気持ちが重くなっちゃいそうだし、白紙にせずにこれまでの顛末からフィードバックしてより良いアウトプットに落とし込んでいただきたい。

プロダクトデザインと同じく、1stデザインでデザインの方向性を決めて、そのときに「がんばりどころ」を認識して、細部に渡って検討して調整して商品化デザインを決める。プロダクトよりも大きいし後世に残るし、名作も多いし、斬新なものを建てたくなる一方、みんなに開かれた安全な公共施設じゃないとあかんし。きっかけとなったコストも為替変動で努力が吸収されちゃたり。みんなの意見を聞くとロクなデザインにならずに誰にも愛されないものになっても哀しいし。

オーフス市庁舎 ヤコブセン
http://www.expedia.co.jp/Aarhus-City-Hall-Aarhus.d6072913.Place-To-Visit

シンガポール・スポーツ・ハブ
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/column/20140912/677015/

サンティアゴ・カラトラバ バレンシアの芸術科学都市
http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11752854169.html

お勤め時代のデザイン仕様出し~展開、決定のプロセスにまつわる悶々を思い出しつつ、東京都現代美術館にニーマイヤー展観に行ってきた。
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/oscar-niemeyer.html

元祖大曲面建築の巨匠は、地元のロマンチストのおっさんで、偉い人が痺れる建築スケッチを木炭ですらすらーっと描いていた。模型をスケールアップしたようなお椀型やエッジの効いた多面体の柱、手描きのアウトラインの軒の回廊を都市計画一体で作っていた。

おそらくブラジリアの都市計画で60~70年代には丹下健三の代々木競技場、大阪万博パビリオン群のように、大曲面=明るい未来、文明の進歩、憧れの実現、かっこいい基準ができたのだろう。ああいうの自分も作りたい、と思う団塊の世代以前の人たち。
http://matome.naver.jp/odai/2132868326661481301

天才が迷いなく描いた線を、強度、構造、建築の段取りやら費用やら考慮しつつ、たくさんの人が「かっこいいの作るぞ」の思いを持って現実にしていったのだろう。実際に歩いてみると広過ぎるんじゃないか? 広大な更地に、コンクリート造りのためのものすごい足場を組んで、作っていた。今もコンクリートって型枠作って鉄骨曲げて、というのをやってるんでしょ、CADで計算が楽になったとは言え。これから3Dプリンタ積層建築がそれを破るのかな。

ただこの頃の建築を50年経って観ると、「古さを感じさせない新鮮さ」というよりレトロ、ノスタルジーと渾然一体になっているような気もする。素晴らしきミッドセンチュリーという感じ。グラフィック、インテリアも自動車も同様。当時モノがないところに、見たことないものを作る怖さはあるが、ストレートに美しさが現れているように見える。

建築もシンボルの役割が大きくて、ヒューマンスケールの範囲で思ったほど大きくないのかもしれない。入れなければならない中身よりも美しいカーブのための容積が多いというか。

もう認めます、50~60年代に天才たちが作ったモノのカタチは、歴史上かなり頂点だと思う。先生と呼ばれてふさわしいくらいどーんと背負ってムチャ振りもしていたんだろう。これをガチで超えるのは厳しいんじゃないかしら。そこを現代においてCADを武器に果敢に攻めて、さらに未来に展開を目論む人の1人がザハ・ハディドなんだろう。

時を経て現代はモノが溢れてる。いろいろしがらみに加えてエコロジー、エコノミー、サステナビリティ、バリアフリー、311以降の災害対策への意識、経費、インターネットでいろんな価値観が共存しているし、言いたい放題。センスのいい少数の人が決めてくれればと思うが、デザインの前提となる条件ですら、さまざまな検討案件がこんぐらがって全部盛り。

そもそもオリンピックというのがちょっと国の威信、普遍的=レトロさを求めてしまって、そこがまたデザイナーを縛るんだろう。先日2020オリンピック/パラリンピックのエンブレムも発表になって「あーちょっと亀倉雄策1964ポスター意識して国から発信するオーソリティーを、古くならないように真摯に再構築したんだなー」と思った。

デザインに関心が高まった分、先日の東京観光案内ボランティアのユニフォーム以来(実際運用してみたらみんな見慣れるだろうと予想しつつ)ネット上でけなすのが通例になったみたいで、温かく見守る声が多くあってほしい。

いまどきコンクリート造りの見た目の奇抜さだけでなく、合理的な素材や工法、メンテナンス手段、地域との関わりとかいろんな観点から現代の人たちをもっと斬新だなと納得させる手段はあるんではないかと思いますが。

思い切って「次の世代に残さない仮設主体」とか、決定方法を前のオリンピックを知らない50歳以下で投票にするとか。そもそも発表時のプレゼン準備が隙だらけ、だし。
 


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