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女子デザイナーの歩き方 第118回(2018年4月4日掲載)
レトロは所詮レトロ
moviti/片山 典子

[プロフィール]
1964年神戸生まれ。京都市立芸術大学卒業、東京でインハウスデザイナーとしてパーソナル機器のプロダクトデザインや先行開発に携わる。2010年独立、3D CADでプラスチック製品から布製品、ソファやモダン仏壇の木製品、クラフト系などネーミングやロゴ込みでいろいろ手がけている。趣味はフリークライミングとバスケットボール、旅行。
http://moviti.com/moviti_nori


このコラムでは、デザインのジャンルの枠を超えた活躍をされているmovitiさんに、さまざまな観点から女子デザイナーの歩き方を語っていただきます。


「太陽の塔」の内部が再生されて公開だそうですね。去年のジュリアナダンス同様、この頃「今は過去として蓋を閉じたものが再注目」でこそばい気分。
http://taiyounotou-expo70.jp/
https://mainichi.jp/articles/20180317/org/00m/040/001000d

私が人生を振り返ってラッキーの1つが5歳&地元関西で”大阪万博をライブで体験した”ことだ。

そこそこ都会で遊び場の多い神戸に住んでいたとはいえ、初めてだらけだった。遊園地よりずっと広くて平らな会場には背が高くてでかい人工物がドカドカある。人が多い、外人多い。大人がてんてこ舞い。複数のでかいスクリーンに投影されたカラー画像を初めて観た。たくさんのプラスチックのドームやサイケな色に塗られた造形とか初めて見たんじゃないか。

2時間くらい並んで見た「月の石」はキラキラ光るのではなく金属のアームに支えられた普通の小石だった、がっかり体験。中で喫茶が楽しめると噂のエキスポタワーはよく故障で動いてなかった、観覧車のようにはいかないのか。

夜のスイス館がひかりの樹のようで大変美しかった。巨大丸太が並んで立っているだけのブリティッシュコロンビア館を妙に覚えている。日本館は上空から見ると桜のシンボルマークの配置になっているそうだが、普通に見たらガスタンクが集まっているようだった。展示内容はあまり覚えてない。姉はダイダラザウルス(5コースあるジェットコースター)の一番きついのに乗っていた。”落書きコーナー”にニャロメの絵を描いた。
http://www.expo70-park.jp/cause/expo/

太陽の塔の中はというと、赤くて混雑するエスカレーターで上がっていくとゴリラが吊ってあった。後付けの記憶だと思うが、しゅっとした白い外観の中でどろっと進化を表してるんだなーと思った。未来的とは逆の、民俗土着テイストな岡本太郎先生の仕事。

会期中に2、3度連れて行ってもらったのではなかろうか。社会人になって関西以外の人は意外と大阪万博に行ってないと知って、びっくりした。それ以来大阪に遊びに行く人には万博公園/太陽の塔/民族博物館を大阪らしくないオススメ観光として挙げていた。

20世紀少年というよりは太陽の塔は「立っているゴジラを後ろから見たスケール感」が感じられるし、公園も広くて穏やかな起伏のある芝生、日本庭園も意外と広い。民族博物館は広大な建築(黒川紀章氏)素晴らしいコレクション。更に今はエキスポランド跡がショッピングゾーンになり、全部見る前に足が棒になるのではないか。
http://www.minpaku.ac.jp/
http://archirecords.com/blog-entry-115.html
http://www.expo70-park.jp/facility/japanese-garden/
http://www.expocity-mf.com/

それにしても当時子供心に「万博のたびにこんな度肝を抜く新しいものが見れるのか」と思っていたし、その5年後沖縄海洋博(坂東玉三郎のアンドロイド)、1981年ポートピア神戸(iMAXの先駆け? オムニマックス)、と目玉テクノロジーはちゃんと観せてくれた両親に感謝。

大阪万博グッズもいまでも結構売買されてるのねえ。住友信託銀行の世界の民族衣装の貯金箱はうちにもあった。こういう”必要ではない雑貨やおまけ”は万博が引き金、1970年がキッチュ元年じゃないのか。サンリオグッズやアニメタイアップの玩具、装飾の量産の始まり。後にこの反動で日本のプロダクトデザインはストイックモダン路線を邁進したのかな。

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で、太陽の塔に話を戻すと、数年前までの限定公開はマニアックでサブカルの域で好ましいと思っていた。

ここにきて48年前の突飛な建造物を耐震工事して再生して恒久展示、価値を認めてもらっで嬉しい一方、なんだか50年かけても岡本太郎を超えられなかった敗北宣言みたいで、残念だ。

50歳以上が懐かしがって喜んでるだけなのか、若い人もマジで入れ込んでたらどうしよう。若い才能の新しいムーブメントにちゃんと資本を注いでほしいし、若い人も大変だろうけど頑張ってよ。

今再生するならライゾマにプロジェクションマッピングで生命の樹をゾワゾワ動かすとか、ARでお祭り広場を見せるとか、そういうイベントを期待しております。

 


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