建築デザインの素 第50回(最終回)
建築は、その社会を造り得るか?
「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。
[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。
■嫌われる大型建築
僕は、いわゆる組織設計事務所に所属し、大型建築のデザインを担当してきた。だがその大型建築は、今や、人々の嫌悪の対象となってしまったようだ。残念なことである。
大型建築の建設計画があれば、そこには必ずや近隣住民による反対運動がある時代になった。近隣説明会の席で罵声を浴びせられることもたびたびある。近隣住民にとって、大型建築は基本的には悪であり、それをデザインする僕らもまた悪人なのであろう。また景観協議と称して「ボリュームが巨大だから、いくつかに分節するように」と、大型であることが罪とばかりに、内部のプログラムとはまったく無関係に外観のボリュームを分割する指導をされたりもする。こんなことが正論かのようにまかり通っている。
さらには、SNSだ。大型建築を擁護するような発言には、有名無名の反論が押し寄せ炎上する。その極めつけは、新国立競技場のザハ・ハディド案や豊洲新市場であった。大型建築は、多くの一般市民、そして建築家からも集中砲火をうける対象になっている。大型建築は、嫌われる建築になった。
かつて高度経済成長期には、その急成長の肯定的シンボルであった大型建築は、その後ますます経済との結びつきを強めるようになる。大型建築自体が収益装置となり、高い収益性や生産性が求められるようになり、そのデザインもいわゆるアトリエ建築家の手から離れ、組織設計事務所やゼネコン設計部が主要な担い手となる。1970年の大阪万博あたりを境に潮目が変わり、大型建築が社会を先導するヒーロー的存在であった時代は終焉し、それは経済活動そのものとなった。
経済力の巨大化に伴い、その反動として、経済と密接なつながりを持った大型建築の社会的な意味には徐々に変化が現れ、嫌われる存在となり始めた。さらに、バブル経済崩壊後の「失われた20年間」と呼ばれる経済的なシュリンクと、それに続く社会格差が広がる現在の状況の中で、大型建築は、商業主義に無批判に迎合した富の偏在を招き格差社会を助長する存在とみなされ、「嫌われる建築」として負のシンボルとして位置づけられるに至った。
同じプロセスの中で、大型建築のデザインを担う人々は建築家ではない何かとして、そして大型建築自体もまた作品ではない何かとして扱われることはなり、両者はともに建築デザインの議論からは締め出された存在となった。
■大型建築は必要とされている
だが一方で、大型建築は必要とされ、今でも多くの人々に使われ、社会を支えている。オフィスビルや、ショッピングモールや、駅舎や、空港など大型建築は造られ、世の中の多くの人々は日々の生活の中で大型建築を使っている。嫌われながらも、社会に必要不可欠な大型建築は、たくさんありそうにも思える。
かつて、建築評論家の神代雄一郎が発した、大型建築に対する嫌悪感に始まった「巨大建築論争」と呼ばれる論争があった。その神代が発した大型建築に対する批判的な意見に対して、日建設計の大先輩・林昌二は、「その社会が建築をつくる」として反論を返した。その骨子は、大型建築の必要性は社会に要請されたもので、社会がその必要性を求めているのだから、大きさを建築家にその責を求めることはお門違い。社会が必要とする限りは、嫌であってもそれを誰かが担わなければならない、というものであった。
今読み直してみると、極めてペシミスティックな精神で、大型建築のデザインに挑んでいたことが分かる。
■それでも僕らはデザインする
こんな状況にもかかわらず、それでも僕らは大型建築をデザインする。あえてその道を選び、そして今もその道を進んでいる。なぜなんだろう? 少なくとも、「社会が必要とする限りは、嫌であってもそれを誰かが担わなければならない」からという、犠牲的精神などでは毛頭ない。
僕なりの答えは次のようなものである。
「デザインをする」つまり意味あるモノやコトを生み出すこと、つまりクリエイティブであることは、僕ら人類が人として存在し進化してきたことを下支えしてきた、根本的本能であり欲求なのではなかろうかと、僕は考えている。人間であれば誰もが、モノやコトを造ることに貪欲であり、真摯になってしまう。モノとしてもコトとしても嫌われる存在となってしまった大型建築は、モノやコトの存在感や意味を変え新しく造り直す対象として、今極めて魅力的な状態にあるのではなかろうか。
大型建築は、多くの人々の目に触れ、生活を支え、それなりの役割を担っているはずだが、「デザインされたもの」として人々に意識されることはまずない。というか、大方の人々は、まさか大型建築が、デザイナーや建築家によってデザインされたものだなんて考えてもいないだろう。せいぜい外観周りで、取って付けたようにデザインを感じる程度で、基本的には、大型建築は経済活動のために致し方なく生まれたバイプロダクト程度にしか思われていないのではなかろうか。たまに大型建築について語られることがあったとしても、デカすぎるとか、景観を阻害しているといった、ネガティブな話題で取り上げられるのがせいぜい。
こうしたデザインの対象にみなされていないものに、これまたデザイナーとみなされていない僕らがデザインを仕掛けるという図式は、ドンキホーテの如く見えるかもしれないが、僕はやりがいを感じる。
■歌は世につれ、世は歌につれ
加えて言えば、大型建築を必要悪としての呪縛から解き放ち、クライアントに対しては「満足感」を与えつつも、そこにかかわる建築家やエンジニアに「自己実現」をもたらし、さらに同時に社会をより良い方向へと変え得るのではなかろうか、と考えている。
かつて、玉置宏という歌謡番組の名司会者がいた。数々の決め台詞を残したことでも有名であるが、その1つに「歌は世につれ、世は歌につれ」という名フレーズがある。歌謡曲は、世相を反映して生み出される。その一方で、たかだか歌謡曲ではあるが、世の中を変え得る力を持つ、そんな風に、僕はこの言葉を解釈している。
林が言うように「その社会が建築をつくる」一方で、注意深く社会やそれが持つ生産体系との連携を図れば、大型建築はその都市や社会をより良い方向に変え得る力を持ち得るのではなかろうか。
ただし、即効性を期待するのは禁物である。これまでの歴史を振り返ってみても、大型建築が社会に受けられ、評価には時間と修正の繰り返しが必要であることは明らかなのだから。
嫌われ、淘汰される大型建築も存在するだろう。しかしその一方で、その社会がつくった嫌われものの大型建築が、年月をかけ、社会に合わせた修正が加えられていくことで、やがては社会に受け入れられるものとなり、ついには社会を良い方向に動かし、「建築はその社会を造りうる」大型建築も存在しうるはずだ。そんな大型建築に関わりたいと思っている。
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▲写真1:エイジングした木材会館の外観。都市型の大型建築に適材適所で木材を用いることを試みた。この建物1つでは、確かに社会は変えられないだろう。こうした木材利用にチャレンジした建築が連鎖的にデザインされ、実現されていく中で、今都市建築の中での木材の位置づけや、建築のエイジングに関する社会の姿勢が変わりつつあるように感じている。建築物の図体に比べ、もたらした小さな変化かもしれない。しかし、こうした試みの積み重ねの果てに、「建築はその社会を造りうる」と考えている。(クリックで拡大)
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