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コラム

建築デザインの素 第47回
「SDGs」を考える

「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。

[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。



■SDGsって?

「SDGsって、何ですか?」っていう人のために、簡単に説明をしておく。SDGsは英語の「Sustainable Development Goals」の略語で、日本語では「持続可能な開発目標」と訳されている。国連が2015年に、国連加盟する193か国が、2016年から2030年の間に達成すべき目標として設定したものだそうだ。しかしこれじゃ全然分からない(笑)。

僕の勝手な解釈では、SDGsとは「人類が、地球上での存在感を著しく増してしまい、地球自体の存続にも影響を与えかねない事態に至った今、人間と地球とを共に存続させつつ、さらなる人間社会の発展を目指すための、かなり野心的な目標」と言えそうな気がしている。


■環境保全を超えて、地球と共存共栄を目指す

これまで言われてきた、人間の周辺にある「環境」の保全という視野を時間的にも空間的にも大きく超えて、地球規模と時間スパンで両者の共存を図っている視点がSDGsにはある。つまり、これまでの範囲やスケールを超えた地球全体規模での環境の保全を行い、地球と人間の共存共栄を図る意思とがSDGsには明確に刻まれている。

SDGsには17の具体的な目標が掲げられている。その13番目の「気候変動に対する具体的な対策」、14番目の「海の豊かさを守ろう」、15番目の「陸の豊かさも守ろう」辺りは、これまでの環境保全の視点を保持しつつも、さらにそのスタンスを地球規模に拡大したものとして読み取れる。さらにそこに、16番目の「平和と公正を全ての人に」と、17番目の「パートナーシップで目標を達成しよう」が加えられているあたりに、地球規模での共存共栄に向けた全人類的努力が必要とされているという、新しい視点や意思が感じられる。


■さらなる人類の発展を目指す

さらに、そんな状況にもかかわらず、環境を保全するために人間の発展を抑制しようという縮み指向ではなく、さらに発展を目指そうというのだから、かなり野心的だと言える。

たとえば、目標の1から4には、「貧困をなくそう」といった開発の途上にある国々の発展を支援する目標が掲げられているし、5~12については、「ジェンダーの平等」、「クリーンエネルギー」、「働き甲斐や経済成長」といった我々が日々の生活や経済活動においても目にする、極めて現実的な課題も目標に据えられていることに気づく。地球環境を保全するために守りに入るのではなく、さらなる人類の発展を目指しつつもそれを実現しようとする、ものすごい「攻めの目標」であることが分かる。

■人類の存在感の大きさと、地球のかけがえのなさを自覚する

加えて、この目標設定の大前提として、地球が存続を続けていく上で、人類が大きな命運を握ってしまったことに対して、SDGsはかなり自覚的な視点を持っている点が興味深い。

これまでも、人類による環境の破壊は自覚されていたが、一方で母なる自然の力は圧倒的であるとの考えも根強く残っていた。我々が開発の手さえ休めれば、いつでも母なる自然が地球の傷を癒してくれるかのように、僕らは甘えていた。しかしSDGsに至っては、人類の存在は、地球に致命的な傷をもたらしかねないこと、さらにはその傷痕を癒すためには自然任せではもはやだめで、人類の自覚的、自発的な関与が不可欠であることを前提としている。

さらに危機感を高めているのは、人類の影響力がそれほどに強力になっているにもかかわらず、その一方で、我々は地球に代わる住処を自力でつくりだす能力を備えていないという自覚だ。人類には、地球を破壊することはできても、その代替をつくりだす能力はない。唯一残された道は、かけがえのない地球を我々自ら傷つけてきた状況を認識し、それを止め、共存を図る以外はあり得ないことへの自覚だ。


■「人新世」

こうした人類の影響力を捉えている概念として今注目をされているのは、「人新世」という概念であろう。ノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンによって考案された概念である。産業革命以降ここ200年間の人類の地球における存在感は、良くも悪くも巨大であり、その影響力は地球の存続をも作用する事態となった。それ故に、地質年代の「完新世」は終わり、もはや「人新世」=「アントロポセン」と呼ぶべき地質年代を形成しつつあるのではなかろうか、という考え方だ。

SDGsが人新世の概念との距離感をどのように取ろうとしているのかは不明であるが、この2つの考え方は極めて酷似し、かつ警鐘を鳴らすのみならず意欲的に人類のこれからの取り組んでいこうという共通の姿勢を感じる。とはいえ、現状のSDGsには、人新世に至った地球と人類とを共生させる目標としては、まだまだ力不足にも感じるところもあるのだが。

もっとも、こうした捉え方を「人類の驕り」と捉える考え方もできる。人間には、地球の代替品が造れないばかりでなく、地球に与えた傷すらいやす能力もないかもしれない。しかし、この期に及んでは、地球に傷をもたらした人類が、神の逆鱗に触れ雷をもって滅ぼされるだろうと考えたり、その時を黙って待ったりすることは、なおさら無意味に思える。

むしろ神の見えざる手が本当に存在するとしたら、神は我々に人新世といった気づきをもたらし、SDGsをはじめとした努力を促し、我々を後押ししてくれているものと、都合よく解釈をしてしまうのも悪くないかな。神様、わがままな我々、人類をお許しください(笑)。




イラスト
▲果てしなく続く東京の風景を見ていると、人新世という考え方が出てきたり、SDGsのような目標設定が必要なことに納得してしまう。(クリックで拡大)


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