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コラム

建築デザインの素 第46回
なぜ、分業するのだろう?

「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。

[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。



■分業じゃあ、もの足りない?

最近、大規模プロジェクトにおける、過度な分業体制が気になっている。

大規模プロジェクトは、必要なワークも膨大であり、設計や建設に要する期間も長くなり、とても1人の建築家の手では実現しえない。チームワークが必須となる。
でも関わる以上は、いわゆる表層のデザインのみといった部分ではなく、プランや断面構成はもちろんのこと、構造にも、インテリアにも絡みたいし、建物が据えられるランドスケープにも絡みたいという思いもある(笑)。そればかりか最近では、土地の調達やら施工など、関わりたい領域がどんどん増えてきて、わがままな自分を抑えるのが難しい(笑)。

とは言え、すべてを自分自身の手でデザインをしたいということではなく、むしろ複数のデザイナーを串刺しにする役割、オーケストラで言えばコンダクターのような役割を担いたいという思いが出てきた。


■プロジェクト・デザイン・コンダクター?

よく似た職能に、プロジェクトマネージャーというのがあるが、僕がやりたいのはもうちょっと古典的な意味でデザイン寄りの、しいて言えば「プロジェクト・デザイン・コンダクター」とでもいったものだろうか? おそらく、住宅などの小型のプロジェクトであれば、「それこそ、建築家の役割じゃないか」と言われてしまいそうだが、多くの専門家が寄り合って仕上げる大規模プロジェクトでは、いつの間にか建築家の役割は、相対的に限定され始めていて、プロジェクトを仕切るはずの「マスターアーキテクト」は、プロジェクトの円滑な進捗とコスト管理に奔走する「プロジェクトマネージャー」的な存在となり、デザイン上の存在感は薄い。

デザインの方は、デザインアーキテクトやら、ランドスケープアーキテクトやら、インテリアデザイナーやらが林立し、個々のデザインは賑やかなものの、全体像が希薄な印象を受けるものが多い。いやもっとも、大型プロジェクトに、全体像など必要なのか? という声もあるだろう。むしろ初心に戻り、そういった役割をもう一度建築家という職能の名の元に再統合すべきかもしれないが。


■建築は分業が当たり前

いつの時代に始まったのかは知らないが、建築をつくるという作業は「分業」が当たり前になってしまった。

縄文時代の人々が住んでいた竪穴式住宅が造られるときには、設計をする作業と建設をする作業の間に境目なんてなかったろうし、そもそも建物を使う人と、その建物を造る人の間にも境目なんてなかったのだと思う。今で言えば、クライアント=建築家=施工者であり、分業なんて存在しなかったはずだ。 それが現在では、1つの建築が、分業によってつくられることが当たり前のことになっている。

■賃貸オフィスプロジェクトにおける分業

たとえば、僕の専門領域でもある、賃貸オフィスビルを例にとって考えてみよう。
まず、建物を使う人、クライアントを考えてみても、最近では多くの立場の人々によって分業されていることが一般的だ。ビルの所有者がいて、ビルを管理運営する人がいて、テナントとしてビルに実際に入居するエンドユーザーがいて、などなど、建物を使う立場自体が分業化されている。

造る人も、分業が当たり前になっている。通常のビルであれば、大きくは建築工事、機械設備工事に分担されるし、その建築工事も、基礎工事、躯体工事、などといった構造系の工事と、外装工事、内装工事などといった意匠系の工事とに分かれている。そしてさらに、細かな部分に分かれて専門工事業者に追って分担され施工されることが一般的だ。

設計においても同様に、分業が当たり前となっている。いわゆるデザインを担当するとともに、設計作業全体を取りまとめる役を担っているのが、建築家であるが、日本の公共工事では意匠設計担当者と呼んでいる。杭などの基礎、躯体などの構造体は、専門領域に分化されて、構造設計担当者により設計される。機械設備系は、一般には空調系、衛生系、電気系の3つに分かれ、それぞれの設計担当者により分業され設計される。さらには、建設コストを積算するための数量調書等の書類を整えるのは、積算担当者の仕事として分業されている。

これらに加えて、専門家による分業化が進んでいる海外のプロジェクトにおいては、複雑な外装形状の出現に伴い外装エンジニアが、環境配慮型の設計への関心の高まりとともに環境設計エンジニアなど続々と登場し、より細分化した分業化が進んでいるようだ。極めつけは、プロジェクトマネージャーの登場かもしれない。プロジェクトに関わるクライアント側、設計側、施工側の分業が複雑になったため、その交通整理を司る役割として必要になってきた専門家である。

こういう状況を見ていると、そもそも人は何のために「分業化」を進めているのかが気になってくる。


■分業の発生を「経済」から考える

一般的に、「分業」の発生は、「経済」的な視点から説明されることが多い。もっとも代表的な解説は、アダム・スミスが「国富論」(1776年)の中で、ピン工場における分業を例にとって説明している。次のような考え方だ。

分業は、モノづくりの生産性向上の鍵であり、分業が進めば無駄な作業時間が減り、社会全体の生産性が向上し、広く富がもたらされる。同時に、分業化によって各個人は特定の事柄で専門性を高めるようになり、専門知識を蓄え、それを生かすことでさらに生産性が向上する。ただしこれらの分業化は、特定の意図をもって計画的に進められているものではなく、個々の人間が儲けようという利己的な意思を持つことで進んでいる。神の「見えざる手」により分業化は進み、経済は発展していくのだと、アダム・スミスは説明している。

未だマニュファクチュア(工場制手工業)に止まり、次の世代の大量生産の実現を切望していた時代においては、この視点が社会をドライブする力となったことは疑いもない。

もちろん、こんな楽天的に分業を肯定することができないことは、マルクスが資本論の中で触れることになる。この結果、一般的には、何かものを生産するための技術的分業においては、それが生産力の増大と結びつくのは、「マニュファクチュア時代」であり、工場生産性の元では、その意義は衰退するとされている。建築の設計、施工、運用管理のいずれもの段階で、生産性の向上を旗印に専門性の分化が進んでいる状況を見ると、建築にまつわるビジネスが「マニュファクチュア」の段階に止まっていることを示唆しているかのように感じられる。

過去30年間でもっとも生産性が向上していないのが建設業であるといった指摘や、建築施工の場では未だ工業化生産が目標に掲げられていることや、BIMによる生産性の向上を唱えだした建築設計界の状況を見ていると、建築にまつわる諸ビジネスが良くも悪くもマニュファクチュア時代にとどまっていることを実感せざるを得ない。


■分業の発生を「情報」から捉える

状況打開のための新しい視点の獲得には、「分業」の発生を「情報」という視点から考えてみることが重要そうだ。

ニューヨーク大学の教授で、教育とメディアの専門家のニール・ポストマンは、かつての印刷革命による書籍の一般化や現代の高度情報化社会が、子どもの意識に劇的な変化をもたらしていることを指摘している。つまり情報の一般化の仕方により、かつてなかった「子ども」という、一般的にはその存在を疑うことすらない根源的な概念と思われたものが、実は産業革命時に分化して生まれ、そして現代にまたおいて消えつつあることを指摘している。

このフレームワークに即して専門家における分業を考えてみると、ICTや人工知能といった情報革命が、分業化にいかなる作用をもたらしているかを見る必要がありそうだ。

身近なところでは、自動運転技術が挙げられるであろうか。Googleなどの自動車専門以外の領域からの参入が大きく取り上げられているのは、周知のとおりだ。もちろんそれを迎え撃つ既存の自動車メーカーもそれに追いつけ追い越せと躍起になっている。おそらく近く、業界の大きな統廃合が行われるに違いない。情報技術の変革が、ビジネスの分業や専門性を大きく変えようとしているわけだ。

■ICTと建築ビジネスのずれ

こんな状況の中、建築ビジネスの中にも生産性向上の切り札としてICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)の導入が測られているのはご承知の通りだ。僕もICTと建築デザインの関係については興味があり、いくつかの本を書いたりWeb上にも投稿したりしてきた。

建築ビジネスにおける現在のICTの使い方を見ていると、未だマニュファクチュアに止まっている建築の設計、施工、運営に関わる諸技術をICTのより生産性を高めることを目指していることに気が付く。つまり今業界を挙げて目指していることは、建築ビジネスをICTにより大量生産時代の生産性へと向上させようとしているというわけだ。

しかし冷静に考えれば、ここには大きな矛盾と目指すべき方向性のずれが生じているような気がしてならない。建築ビジネスが手本としようとしている高度な生産性の改善が行われてきた自動車や家電製品の生産の場は、ICTを使って、生産体系を「大量生産」(マスプロダクション)から、必要な時に必要なだけ利用者にニーズに適合した「マスカスタマイゼーション」のものづくりを目指している。その代表的な動きが、ドイツ政府が主導しているIndustry 4.0といった新しいモノづくりの模索である。つまりICTという情報技術により、大量生産ではない、新しいモノづくりが模索されている時代なのだ。

■マスカスタマイゼーション時代の分業

それにもかかわらず、未だマニュファクチュアに止まっている建築ビジネスの領域では、本来その持ち味が一品生産にあるにも関わらず、それを忘れ、ICTを大量生産的モノづくりの生産性向上の手段として導入を目指しているという大きなねじれが生じているように思えてならないのだ。

目指すべきは、建築本来の一品生産を生かしつつ、ICTにより「マスカスタマイゼーション」を実現し、それにふさわしい専門性の統廃合による、新たな分業体制の確立ではなかろうか。こういった視点から、僕自身は現在建築ビジネス界で効率化を目指して進められているさまざまな「標準化」や過度な「分業」に疑問を感じている。

マスカスタマイゼーション時代にふさわしい、分業やモノづくりの基準の定め方を考えていく必要がありそうだ。



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▲写真1:ホキ美術館。特徴的なチューブ状の形状、敷地内のランドスケープ、搬入車路などを、一体的にデザインをすることを目指したプロジェクト。(クリックで拡大)

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▲写真2:桐朋学園大学調布キャンパス1号館。レッスン室の間に挟まった廊下、サンクンガーデン、ランドスケープなどを一連のシステムとして設計することで、新しい内外の連続感を生み出す事を狙ったプロジェクト。(クリックで拡大)

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▲写真3:On the water。アプローチ道路、建築本体、湖水にアクセスするためのテラスを、連続するスパイラル状にデザインすることで、湖への眺望や、湖の上に流れる涼風を積極的に内部空間へ引き込むことを狙ったプロジェクト。(クリックで拡大)

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▲写真4:某銀行エントランスホール。初めて他の建築家が手掛けたランドスケープと建築の中で、インテリア空間だけを担当したプロジェクト。インテリアに孤立した別世界をつくるのではなく、極力、建築の外観や構造体を見える形で、内外が連続感を持ったインテリア空間をつくることを目指したプロジェクト。(クリックで拡大)


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