建築デザインの素 第45回
コンペの審査はしんどくも、魅力的
「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。
[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。
■子どものためのワークショップ
ここ2年連続で、子どものためのワークショップ企画案のコンペの公開審査会に、審査委員長として参加する機会をいただき、週末を返上して、参加させていただいている(写真1)。
コンペは、小学生以下の子供を対象に、都市や建築に興味を持ってもらうためのワークショップの企画案を、建築を学ぶ大学生や高校生が企画し、その内容を争うといったもの。最優秀チームは、主催者よりワークショップ開催のための予算が授与され、実際にワークショップを行い、翌年の公開審査会の場で報告するといった形式。よく考えてみれば、参加する学生にとっては、最優秀になって賞金をもらっても、見返りの作業がたっぷりと課せられる、なかなかヘビーなコンペである。
それでも、こうした子供に対するワークショップに興味や関心がある学生はいるもので、毎年多くの学生チームが熱意をもってコンペに参加してくれるため、公開審査はそれなりに盛り上がり楽しい。「日本も捨てたもんじゃないな」なんていった、普段の生活の中では到底持ちえない感情が沸き起こってきたりして、とっても「良い人」になれた気分を味わえるのも、このコンペの審査の楽しいところだ(写真2)。
■普段とは違った思考回路を使う
加えて、普段は主にビジネスマンが使う都心のオフィスビルを設計している僕にとっては、数時間にわたる公開審査の時間は、仕事の中ではほとんど思いめぐらすことがない、建築や都市と子供との関係を考える貴重な時間でもある。学生たちと質疑応答を繰り返していると、明らかに普段使っているのとは別の思考回路を使っていることを実感する。
■小さな大人
例えば、最初の参加であった昨年には、審査をしているうちに、「そもそも、子どもって何なのだ?」という、このコンペにとって、もっとも根源的な問題へと思いが引き寄せられていった。40年ほど前の学生の頃、教科書で見たエンゲルスが社会主義により社会改良を目指した1つのきっかけとなった、イギリス産業革命期の労働者階級の劣悪な居住環境を描いたプランが頭の中に浮かんだ。
次いで連想的に浮かんできたのは、教授の「このころはまだ、現在で当たり前に思われている”子供”の概念が確立していなかった。だから子供は教育や保護の対象ではなく”小さな大人”として、当たり前のように労働の担い手となっていた」という言葉だ。産業革命期にこのコンペをやったら、応募案も最優秀案もまったく別になってしまうわけだ。いやそもそも、子どもという概念がないのだから、コンペ自体が成立しない。
■デン・ガムレ・ビュー
そんなことを考えつつ、学生たちのプレゼンを聞いていたら、デンマークのオーフスにある「デン・ガムレ・ビュー」で見た情景を思い出した。これは、日本で言えば「明治村」のような施設だ。より正確に言えば、明治村がデン・ガムレ・ビューを参照にしてつくられたのだが。
実際の都市の一郭に、デンマーク中から集められた古建築が、時代ごとに街並みを形成するように移築され、精巧につくられた蝋人形やスタッフたちが、各時代の生活や暮らしぶりを再現している、いわば建築博物館だ。近代以前のモノ作りの工房のなかで「小さな大人」が働く様子や生活ぶりをリアルに体験した時のことが思い出された(写真3、4)。
■子どもの誕生
とはいえ、デン・ガムレ・ビューの写真を持ち合わせていなかったので、何か「小さな大人」に関わる本を紹介したかったのだが、かろうじて思い出したのが、学生時代にかじったフィリップ・アリエスの「子どもの誕生」だった。中世から近代にかけてのヨーロッパにおいて、かつて存在していなかった「子ども」の概念が生まれたプロセスを描き出した本だ(確か? 笑)。
僕らが当たり前かつ、自明の存在だと思いがちな「子ども」とは近世になって生まれたものであるのだ。もっとも日本では、江戸期には寺子屋が存在したなど、ヨーロッパとはまた違った子供の概念成立の歴史がありそうだが、こちらは不勉強で適切な本が思い浮かばなかったので、そっとスルーしたわけであるが。
■ホモ・ルーデンス
今年は、ワークショップのどれもが教育的な配慮が行き届いていたためか「小さな大人」たちが体験することのなかった「遊び」に学生たちの関心を引き寄せたくなり、学生たちのプレゼンを聞きながら、いろいろと想いを巡らせていた。
最初に思い出したのは、「ホモ・ルーデンス」だった。ヨハン・ホイジンガがこの中で言っていたのは、こんなことではなかったか。人間は文化的な行為が先にあり、やがて成熟や余裕が生まれると、遊びが生まれるように考えがちである。しかし人間とは元来「遊ぶ人=ホモ・ルーデンス」であり、まず遊びがあり、そこから文化が生まれるのだと。
学生たちに、ワークショップを考えるにあたり、いたずらに教育的に向かうのではなく、遊びに立ち返った視点も大事だと伝えたくて、今年は審査過程で「ホモ・ルーデンス」を紹介してみた。
■カイヨワの4つの遊び
遊びと子供、とくると、どうしてもロジェ・カイヨワを思い出さずにはいられない。カイヨワは「遊びと人間」の中で、遊びを4つに分類している。それは「競争遊び」「偶然遊び」「真似事遊び」そして「めまい遊び」だ。最初の3つを典型的な日本の遊びに結び付ければ、それぞれ「かけっこ」「じゃんけん」「ままごと」になるだろう。めまい遊びは特殊で、道具が必要な遊びで、シーソーやジェットコースターなどがそれにあたる。
ワークショップに遊びの視点を取り入れようと考えた時に、例えばこうした遊びの区分を少し知っているだけで、組み込む遊びに対するバランス感覚が養われるだろう。そう思い、カイヨワについても学生に紹介をしてみた。
■ルール逸脱遊び
もちろん、こちらから一方的に紹介するだけではなく、学生たちのプレゼンテーションから学ぶこともある。今年は「ルール逸脱遊び」について学んだ気がした。先に紹介したカイヨワの4つの遊びには、明確なルールがあり、ルールを守る中で遊びが成立するとされている。しかし学生たちのプレゼンを見ていると、前提となっているルールを破り、遊びのルールを少しだけ拡張していくことも、遊びの楽しさの1つにも思えてきた。
たとえば、レゴのようなユニットを組み立てて遊ぶワークショップ。学生たちの最初のプレゼンは、ルール順守でがんじがらめのため、今一つ楽しさを感じられないでいたが、質疑の過程で、多少のルール逸脱は、むしろ楽しさにつながるのではないかということになってきた。つまり、安全な範囲というメタレベルでのルールさえ守れば、ルールを多少まげてユニットを想定外に用いた方が、予定調和を超えた楽しい結果が導けるかもしれないし、ある意味よりクリエイティブなワークショップになるかもしれない。カイヨワが区分した4つの遊びに加えて、新たに5つ目の遊びとして「ルール逸脱遊び」なるものを加えてもよさそうに感じられた。
ささやかだが、日常の仕事の中では使わない思考回路の活性と、そこからの気づきができた週末であった。コンペの審査員はしんどいが、そこから得る刺激は魅力的だ。
|
|
▲写真1:子どものためのワークショップの正式名は「子どものまち・いえワークショップ提案コンペ」で、日本建築学会が主催している。今年で第8回目となるコンペだ。(写真提供:関東学院大学・中津秀之先生)。(クリックで拡大)
▲写真2:応募の学生によるプレゼンテーションを、公開で審査する会場の様子。(写真提供:関東学院大学・中津秀之先生)。(クリックで拡大)
▲写真3:デンマークの中世から近代までの建築を集めた屋外型博物館「デン・ガムレ・ビュー」。写真は、中世の工房の様子を再現した展示。薄汚れた姿の子供が、寝室兼用の工房で「小さな大人」として、これまた薄汚れてよれよれになった大人と一緒に働いている様子が、見事に再現されている。(クリックで拡大)
▲写真4:(クリックで拡大)
|