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コラム

建築デザインの素 第43回
ローマの裏通りから、ジェイコブスを経由して、
シェアオフィスを考える

「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。

[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。



■ローマの裏通り

ローマといえば、ピアッツアと呼ばれる広場(
写真1)が有名であるが、僕がより興味を惹かれるのは、その広場と広場をつないでいる道路、それも特に裏通りの方だ。

あの名画「ローマの休日」の中で、グレゴリー・ペックが演じていた新聞記者ブラッドレー。彼が住んでいたアパートとしてロケに使われた古びた建物が、今でもローマのスペイン階段の近くの裏通りに残っている。そんな裏通りに、僕は惹かれる(
写真2)。


■レストランと車道

通りに面して、素敵なレストランがある。風情のある景観なのでつい見逃してしまいがちだが、このレストラン、完全に通りにはみ出している! テーブルの下の床材に着目してみると、造りは通りの上に仮設的に設けられた顔つきをしているけど、足元のさび付き具合やほこりの溜まり具合を見ると、もう何年もそこに設置されていて使われ続けているように見える。このレストランと通りは、とにかく共存しているのだ。法律的な整理がどうなっているかは知らないが、ローマ時代以来、2000年以上にもおよび培われてきた都市へのリテラシーが、この豊かな共存関係を生み出しているだろう。

目の前では車が走っているから、車道としても使われていることは間違いない。つまりこのレストランは、歩行者天国などで自動車が締め出された時間だけにテンポラリーに通路をレストランとして使っているのではなく、ここでは通路が車道としても、そして同時にレストランとしても使われている。


■複数の役割の共存共栄

写真の左側を見ると、車が止められて、この通りは駐車場としても使われていることが分かる。まあ、道路を駐車場としても使うだけであれば、「日本にだってパーキングメータがあるよ」と反論されてしまいそうだが、パーキングメータのような野暮な機械が立てられてはいない。そんな野暮な機械がなくても、道路が全面にわたってべったりと駐車場として占拠されない使われ方も素敵である。

さらによく見てみると、道路のそこここには大きなプランターが置かれ緑化されていて、まるで道路の両脇に建つアパートの前庭の役割すら担っているように見える。

日本の道路でよく見る、道路両端部に当たり前のように設けられているL型側溝もここにはない。道路自体に緩いV字の勾配がつけられ側溝としての役割も担っている。そして、歩道と車道の区別もなく、両者は共存している。その結果、ピンコロで舗装された道路と、両側に立ち並ぶ建築物の壁とがダイレクトにぶつかり納められ、すっきりと美しい都市景観を生み出している。近代都市計画が生み出した、車道と側溝と歩道とが明確に分離された機能的な通りが生み出している、ゴタゴタとした乱雑な見えがかりとは雲泥の差を感じざるを得ない。

おそらくこの通りは、自動車誕生前につくられ舗装されたものであろうから、車道や歩道の区別が無くて当たり前。人間の道に舗装がなされ、やがて馬車が通り馬車と人間の共存が始まり、やがてそこに自動車が加わって、共存関係はより重層的なものとなった。おそらくは、ピンコロの舗装や道路に飛び出したレストランやプランターボックスの存在が、自然発生的なボンネルフ(道路にバンプなどの障害を設け、通過する自動車の車速を落とし、歩行者と自動車が共存できる道路空間をつくる、1970年代のオランダで生まれた街づくりの手法)となって働いているのだろう。ローマの裏通りは、歩道として、前庭として、レストランとして、駐車場として、そして車道として、同時に複数の役割を共存共栄させて、その魅力を放っている。


■ゾーニングから多様性へ

近代都市計画の代表的な手法の1つは、「ゾーニング」である。機械的な機能論から都市を眺め、住むという役割から住宅地を、働くという役割から業務地区をそれぞれ別に分けて計画することを是としてきた。建築でも同様なことが起こった。住宅では寝食分離が唱えられ、リビングルームと寝室とが分離された。オフィスビルでは、仕事場であるワークプレイスとそれを支えるエレベーターやトイレからなるコアとに分離された。機能により、空間を分離しゾーニングすることで、近代都市計画や建築計画は合理的に都市や建築を造ろうとしてきた。

こうした機能的なゾーニングによる都市づくりに対して疑問を投げかけたのが、ジェーン・ジェイコブスである。1960年代初頭より、市民活動や「アメリカ大都市の死と生」などの著作を通して、賑わいと安全を併せ持った都市をつくるには、その各部がゾーニングによって単一機能化されるのではなく、多様性を持つことが重要であり、近代都市計画にはその視点が欠けていることを指摘した人物だ。

ちょうど2018年4月末から、「ジェイン・ジェイコブス ニューヨーク都市計画革命」という、ジェイコブス女史の活動を取り上げた映画が上映される。私はまだ観ていないのだが、おそらくは都市や建築づくりに関わる人にとって、必見ともいえる映画ではなかろうかと期待している。

「建築の多様性と対立性」などベンチューリによるスノビッシュないくつかの研究はあったものの、都市計画におけるジェイコブスのインパクトに匹敵する市民目線からのアクションは、残念ながら建築の分野では起こらなかった。


■シェアオフィスの疑問

そんな状況で「シェア」の概念が、建築の中で入り込んできた。最初に集合住宅の分野で、これまでとは違った集住の在り方として、シェアハウスが登場した。定義はさまざまだが、これまでは集合住宅の中で個人が占有してきた寝室と、リビングと、キッチンからなるnDKやnLDKの在り方を見直し、寝室は個人が専用使用するものの、リビングやキッチンは居住者でシェアすることで、スペースの有効利用や居住に関わるコミュニティの再生を目指そうとする非常に面白く、新しい住まうための建築の試みだ。

そのシェアの概念が、最近では仕事の場にも拡張され、シェアオフィスなるものが誕生し、注目を集めている。多くは、異なる会社で働いている人が、同一のオフィス空間をフリーアドレス形式でシェアすることで、ワークプレイス面積の効率化を図るタイプ。そこで生まれた余裕で、カフェやバーのような共有スペースが設けられ自由に使えたり、ちょっとリッチな会議室が設けられていたり、シェアオフィス内のコミュニティの醸成をファシリテートするためのSNSやコンセルジュサービスが供給されている。オフィスビルの設計を手掛けている僕としては、後れを取らぬよう、最近いくつかのシェアオフィスを見学させていただいた。

確かにクラブのようで楽しげで、最初は魅力を感じたのだが、徐々に疑問もわいてきた。その最たるものが、「カフェのようなシェアオフィスで働くのと、本当のカフェで空間をシェアして働くのでは、どちらが本当にクリエイティブであり、ダイバーシティに近づけるのであろうか?」という疑問である。正直に言えば、本物のカフェで仕事した方が、よっぽど刺激的で、オフィスの中ではありえない出会いに遭遇できそうな気がしてきた。

現在のシェアオフィスは楽しげで、カフェのようなビジュアルイメージではあるものの、純然たるオフィスである。働いている人も所属する会社は違うかもしれないが、純然たるオフィスワーカーばかりで、ダイバーシティに乏しい。建築的には、オフィスという建築タイプからの脱皮も、オフィスという単一機能からも何ら距離を置くこともなされていない、口当たりの変わったオフィスにしか過ぎないのではなかろうか?。


■僕らが目指すべきシェア

僕らが目指すべきシェアは、ローマの裏通りで見られたような、1つの空間を、同時にオフィスユース機能以外の役割にもシェアし、多様な人々と機能が同紙に共存するような、シェアスペースではなかろうか? そしてそういったシェアスペースにふさわしい新しいビルディングタイプの発明なのではなかろうか?

シェアの鍵となるのは、同一空間を多人数が共用利用することではなく、同一空間を多種多様な機能がシェアして、ダイバーシティに富んだ人々を引き付けることなのではなかろうか。

ローマの裏通りの写真を見ていて、そんな思いが頭をよぎった。









イラスト
▲写真1:ローマの代表的な広場の1つ、ナヴォーナ広場。夜でもたくさんの人々が集まり、にぎわっている。でも日本の街づくり、建築づくりによりヒントを与えてくれるのは、広場と広場をつなぐ通りなのではなかろうか。(クリックで拡大)

イラスト
▲写真2:ローマの裏通りの写真。特段選び抜いた写真ではなく、ローマではありふれた風景なのだが、日本ではなかなか見られない絵になる風景だ。(クリックで拡大)


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▲写真3:さらに入り組んだ路地に入ると、通過交通がほとんどなくなるため、通りは屋根のない部屋として、生活や商売の中に深く溶け込んだ存在となっている。羨ましいような賑わいが、建築家の介在なしに生まれている。(クリックで拡大)


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