建築デザインの素 第31回
カフェごはん建築
「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。
[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。
■「オサレな住宅」への敵意
僕の仕事は建築の設計だが、もっぱら大型建築のデザインが専門で、住宅の設計を手掛ける機会はほとんどない。
人間、卑しいもので、他人がやっていることは、なんだか楽しそうに見えてしまう。僕にとって住宅の設計はそうしたものの代表で、アトリエや設計事務所を構える友人建築家たちがデザインした最新作や、有名建築家が雑誌に発表する美しい住宅の数々を見ていると、羨ましさを通り越して、嫉妬心が沸いてきてしまう。
「俺もいつかはしゃれた住宅なんか設計しちゃって、Casa ××なんかに取り上げられちゃったりして!」なんて妄想を抱いているのだが、未だお呼びの声は掛からない。それ以前に、家族も、親戚も、友人も、未だ僕に住宅の設計を依頼してくれる人は皆無という事実が立ちはだかる。こうしたことが、住宅のデザインに対する僕の嫉妬心をいたずらに掻き立てる。
休日の今日も、たまたま手に取った男性雑誌がいけなかった。新進気鋭のアトリエ派建築家たちがデザインした住宅の特集号だ。「なんだよ、オサレな住宅なんてデザインしちゃってさ!」と、情けない嫉妬心の炎がたちまち燃え上がり、理性を欠いたあら捜しに没頭してしまった(笑)。
■「カフェごはん住宅」
「『カフェごはん』みたいなもんだな。」眉をひそめつつ雑誌をめくりながら、直感的にそう感じた。
カフェがワンプレートで供する、小洒落てはいるものの、何かイージーなつくりのランチ、さらにまた、その雰囲気をコピーして自宅でつくる「カフェごはん」が人気のようだ。元々は、カフェで出されている本物の「カフェごはん」がブームとなったようだが、今ではその雰囲気を真似て自宅でつくるものへとブームは移行しつつある。最近のコンパクトで小洒落た住宅は、まさにカフェごはんのように口当たりがよさげに見える。
カフェごはんの状況が気になり、試しに人気料理レシピサイト、クックパッドにアクセスしてみると、すでに数百の「カフェごはん」レシピが登録されている。今やカフェごはんは、家庭料理の立派なカテゴリーの1つとして位置づけられている。女性誌を中心に、カフェごはんのレシピの紹介も多々見かける。ちょいと大げさに言えば、ワンプレートの中に本格的な料理から良いとこ取りでコピペしたような、安易だがちょいと洒落たカフェのランチが、さらにコピーされた「カフェごはん」に、日本の食卓が席捲され始めているのだ。
そして僕は、同質なコピペ感、イージーさ、そしてお洒落感を日本の若手建築家の住宅作品の中に見た気がして、懸念と嫉妬心とが混じり合った不思議な気分になった。日本の建築家がつくる戸建て住宅は、「カフェごはん住宅」化しちゃったんじゃないの?
■カフェごはんは日本の食事の王道かもしれない?
正直に言おう。今回のテーマを思いついたとき、確かに左手には某男性雑誌を手にしていたが、同時に僕の右手のフォークは、ワンプレートの中にきれいに盛り付けられた、正にカフェごはんをつついていた時だった。それも「意外にきれいで、おいしいな」と思いながら(笑)。嫉妬心から始めた粗探しのつもりでひねり出した「カフェごはん」というキーワードが、このコラムを書き進めるうちに、だんだんと可能性を含んだものに見えてきた。
明確な定義があるわけではないが、「カフェごはん」とは、ワンプレートの上に、世界中のお洒落で美味しい複数の食材が美しく、適量に、そしてしばしば巧みに日本人好みにアレンジされ、盛り付けられているものと言えそうだ。またカフェの場合は、チェーン店の統一化された、規格化されたそれではなく、個別の店舗の独自なアレンジが珍重される。自宅における場合でもカフェのフルコピーではなく、対極的には「カフェごはん」のお洒落感を保ちつつも、家庭ごとの微細なオリジナリティが重要という、極めて日本的な繊細な側面と、マスプロダクションからマスカスタマイゼーションへの移行という現代のものづくりの課題と歩みをともにする側面とを合わせ持っている。
一見、女性の視点で生み出されたようにも見える「カフェごはん」であるが、カフェに詳しいライターの川口葉子さんのブログ「渋谷カフェ考現学」によれば、その起源は、2000年に組まれたブルータスでの「カフェ特集」の中での「カフェめし」にあるとのこと。「めし」という言葉には、何か親近感を感じる。ひょっとしたら、お洒落に見えるカフェごはんであるが、見方を変えれば「現代版の丼ぶり」といえるモノなのかもしれない。
丼ぶりの歴史には諸説があるようだが、最も古いものでは室町時代(庶民の都市生活が本格化する時期)の「芳飯」という、ご飯の上にさまざまな具を乗せ、さらに上からだし汁をかけたワンプレート料理にいきつく。我々が今日でも「丼ぶりもの」として思い当たる天丼やうな丼は、江戸後期(庶民文化の円熟期)の19世紀前半に、そして牛丼や親子丼は、明治時代前半(外国文化の流入による文明開化期)の19世紀後半に生み出されている。まさに、一般市民の住宅の質の向上、都市の民衆文化の隆盛、開国による外国生活様式の流入などにシンクロする形で、丼ぶりは都市生活者を支えるワンプレート・ランチとして進化を続けてきたものと言えそうだ。
おそらく丼ぶりは、日本の庶民の都心居住の形式の変遷と密接な関係の中で進化してきたに違いない。こう考えてみると、「カフェごはん」は日本古来より続いてきた「丼ぶり」に端を発するワンプレート・ランチの正当な後継者に見えて来るし、お洒落だがイージーにも見えるカフェごはんは、「日本の食事の王道を継承するものかもしれない」なんて気もしてくる。
そうなると、「丼ぶり」が「カフェごはん」へと変化を遂げたのは、20世紀後半から21世紀にかけての、日本の都心居住者の生活様式や、経済状況、そしてグローバル化などが生んだ必然的なものであった可能性もある。さらには、現代の日本の住宅に見える「カフェごはん」との類似性の中にも、ある種の必然が潜んでいる可能性すらありそうだ。
そうだ、僕も、カフェごはん住宅ならぬ、「カフェごはん建築」を目指そう! 新年早々の嫉妬心は、誇大妄想へとつながってしまったようです(笑)。失礼しました。
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