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コラム

建築デザインの素 第26回
シロ目なワケ

「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。

[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、常務執行役員、設計部門副統括。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。


■白目とは?

人間にはほかの動物にはない特徴が多々ある。その代表的なものとして取り上げられるのは、言語を使ったコミュニケーションや、二本足歩行によって自由になった手を使った道具の利用や、高い知性によって可能となった火の利用といったところだろうか。

ちょっと変わったところでは、白目がある。目の構造自体は動物にほぼ共通するものだそうだが、強膜と呼ばれる部分が白濁して白目が形成されているのは、我々人類にほぼ固有の特徴らしい。確かに、人類に近いと言われているゴリラやチンパンジーですら、白目はなくほほ均質な色をした「どんぐりまなこ」である。残念ながら、猿人から現生人類に至る数百万年にわたる進化の過程のいつ頃に獲得されたものか今でも解明されていないそうである。だから、ネアンデルタール人の復元像を見ても、かつては当たり前のように白目有りで作られたものがほとんどだったが、現在ではどんぐりまなこで再現されているものもあるそうだ。いずれにせよ、白目があるかないかで、外観上の「人間らしさ」は大きく異なることは、自分の顔写真の白目を瞳と同じ色に塗ってみれば一目瞭然である。

白目は、人間としてのビジュアルアイデンティティ確立に不可欠な、自然が生んだ、人間に固有なデザインといえそうだ。

■白目でコミュニケーションする

それでは、白目の効用は人間らしい見た目を形成するのみであるのかといえば、そうでもないらしい。人間が白目を持った理由を、多くの学者がコミュニケーションと関係付けて説明をしている。

簡単に言えば、人間は、白目があることで瞳が向いている方向が容易に他者からうかがえるため、言葉を使うことなく、仲間に「目くばせ」をするだけでもコミュニケーションがとれる。白目のおかげで、我々は「目は口ほどにものを言う」存在になったわけだ。現代社会においては、目によるコミュニケーションは、恋人たちの間か、せいぜい飲み会で上司が部下に「支払いを済ませておけ!」と目くばせする機会にしか役に立ちそうもないのだが、人間が白目を獲得するに至った時代には、目によるコミュニケーションは、今以上に重要な位置を占めていた。それは狩りである。人類は、現生人類になる前からグループで狩りをする社会性を持っていたようだ。獲物にそっと近づき、一斉に攻撃を仕掛けるにはアイコンタクトが欠かせない。人類があるとき白目を持つことで、アイコンタクトでコミュニケーションが取れるようになり、狩りの生産性が著しく高まり、現在の現生人類に連なる基盤が築かれたとされている。

さらにパッド・シップマンは、人間同様にグループで狩りをするイヌが、人間が白目を持つことにより人間の目線や相図を読み取れるようになり、人間は犬を道具とした非常に効率的な狩りのシステムを構築させ、同じく狩猟を糧としていたネアンデルタール人を駆逐したのではなかろうかと、白目の効用を拡大して解釈している。(「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」、2015年)

自然淘汰のなせる業ゆえにどちらが先ともいえないが、白目はアイコンタクトという新たなコミュニケーション手段をデザインし、狩りにおける言葉によらないコミュニケーションの切迫した必要性が白目をデザインした。目的もないままに繰り返されるDNAのコピー&ペーストと、そこで発生した間違いに端を発する突然変異と、さらには自然淘汰により生き残るというプロセスが、ゆるぎない意味を持つ優れたデザインとして白目を生み出したのだ。自然界では、意味とかたちは、同時にデザインされる。

■コミュニケーションをデザインする

コミュニケーションを如何にデザインして生み出していくかは、今日もなお大きなテーマである。

言うまでもなくインターネットをはじめとしたICT分野においては、多くのデザイナーやエンジニアが、コンピュータを念頭に、新しいコミュニケーションを想像すべくデザインしている。僕ら建築家やインテリアデザイナーは、ワークプレースや会議室を単なる仕事場からコミュニケーションの場と捉え、新たなコミュニケーションの場を生むことを意図しつつデザインしている。そして両者をつなぎ、より広範囲なコミュニケーションを形成することを目指して、IoTをデザインしようと世界中のデザイナーやエンジニアが躍起になっている。

しかし、膨大な時間をかけ、偶然が生む莫大なバリエーションによる無数のチャレンジを重ね、その結果を自然淘汰により洗練することで、白目すら創造してしまう自然のデザインプロセスを目の当たりにすると、僕らが当たり前のように思っている、目的や意味をまず設定し、その実現に向かって計画し設計を行い、モノをつくっていくデザインプロセスは、本当に正しいのだろうかとの疑問も沸いてくる。

人間は自然とは異なり、意味とかたちを同時にデザインせず、意味を先行させ計画しようとしてきた。ここにすべての間違いがあるのかもしれない。いやそのままならぬ自然を計画によってコントロールしようとするその性こそが、人間を人間足らしめ、言語や道具を生み出したのかもしれない。白目を見ながら、デザインという我が職業について、そんなことを考えてみた。

 

イラスト
▲我々人間にとって当たり前の存在である白目。実はその白目は人間に固有の特徴であり、自然が人間を人間足らしめたすぐれたデザインといえるものなのだ。(クリックで拡大)



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